横浜市金沢区の野島公園に来ましたよ
ここ野島にはかつて横須賀海軍警備隊の高射隊/第二高角砲大隊 野島浦高角砲台が山頂に構築されていたとされるが、公園整備により完全に消失している。
しかしその地下には広範に野島地下壕が存在し、駐車場周辺には塞がれた壕口が散見される。
地下壕にはごく限られた猛者のマニアしか入壕の記録はないが、
まあこれらは置いといて、他にここには簡単に見れる横須賀航空隊の巨大格納庫が残存しているとのことでグレとやってきたのだ!
はたしてその巨大格納庫は見つかるでしょうか?
くんクククっくんっ!なんていってるヒマもないくらいあっけなくみっかりましたよ!
野島掩体壕は夏島にある横須賀海軍航空隊の戦闘機を空襲から退避する目的で、太平洋戦争末期の1945年、横須賀所属の第300設営隊により建造された。
野島山を東西に貫く長さ260 m幅20 m高さ7 mのトンネル状の掩体壕だが、使用されないまま終戦となったとされる。
設置された看板をよもう。重複箇所は要約する。
野島掩体壕は、横須賀市夏島町にあった旧横須賀海軍航空隊基地の戦闘機を空襲から守る施設として建設されました。
この掩体壕は、標高約55メートルの野島山の東西をトンネル状に貫通しており、長さは約260メー トル、両側に出入口があります。
出入口の部分は、幅約20メートル、高さ約7メートルで、トンネル状にコンクリートが打設されてお り、中央部分は、幅約10メートル、高さ約8メートルで、素掘りの状態です。
作業に当たった横須賀海軍の「第三○○設営隊戦時日誌」には、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年) 3月15日から6月30日までの掘削工事が進められていた記録が残されており、同時に掘削されていた 夏島掩体壕とあわせて、海軍の小型機約100機を格納する計画でしたが、終戦で実際に使用されること はありませんでした。
通常の掩体壕は、戦闘機1機を格納する程度の大きさが一般的で、
この野島掩体壕は、現存する掩体壕の中でも国内で最大規模と言われています。
この野島掩体壕は、現存する掩体壕の中でも国内で最大規模と言われています。
第三○○設営隊は、横須賀海軍施設部第一部隊を改編した部隊で、海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊でした。
日吉台(横浜市港北区)の旧日本海軍連合艦隊総司令部地下壕や松代大本営地下壕 (長野市松代町) などの建設にも加わっていました。
ふむふむ…ということですね、よくわかりました!
それではウンガにそってコウエンをあるいてみましょう。あっちがわがヒコウジョウがあったとこになるんですね?
現在は日産のテストコースである夏島の旧海軍航空基地と野島掩体壕の位置関係です。古い航空写真では掩体壕の真ん前と夏島との間に橋がかけられていたようである。