松代大本営 象山地下壕/舞鶴山地下壕 | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

〜2014年迄のヤフーブログ「徒然鉄」(鉄道写真)/
2012年〜のFC2ブログ「Bunny The Flat」(犬との生活)
を移転統合しました。
現在はフラットコーテッドレトリバーの愛犬グレースとの
滝巡りや秘境探検を主に活動しています。
bunnytheflat@twitter.com

長野市の松代町にやってきましたよ。この周辺にはかつて、2012年に廃止になった長野電鉄屋代線(屋代ー須坂)が通っていて、
当時廃線前の姿を記録しようと先代犬のバニーを連れてよく訪れてたので懐かしくなり、衝動的に信濃川田駅跡にふらっと訪れました!
廃線からちょうど10年になりますが、なんと昭和の木造駅舎もホームもあの頃のまま残っていました!
現状の動画です。現在はバスの待合室として使われる駅舎ですが、かつて鉄道があったことは今でも町民の誇りなんでしょう。綺麗に保たれています。

 
この駅が現役だった頃の動画です。列車交換が可能な2面2線の駅でした。

信州の情景によく似合う木造駅舎でした。
 
この信濃川田駅待合室でのバニーです!
 
廃線間際の屋代線の駅巡りでは
よくこうして一緒に記録を楽しんだり、
バニー待たせて乗り鉄したり
気候の良いときはバニーとお散歩がてらロケハンしながらガチの撮り鉄したりしてました。懐かしいなあ。
 
というわけで今日の本題は、
追憶の彼方の廃鉄道路線、
長野電鉄屋代線のかつての中心駅であり
唯一の有人駅だった松代駅の、
ひと駅となりの駅である、
象山口駅の裏山に戦時中に築かれたとされる、
当時ホームの名所案内板ですら触れられていなかった、
松代大本営、象山地下壕を探検に来ました!
 
かつての屋代線両駅との位置関係が現在の象山地下壕のパンフレットにもしっかり書いてある。
廃線探索をしているとよく感じることだが、沿線の人々にとって我が街に鉄道があったというのは永遠の誇りなのだ。
 
象山地下壕の史跡入口の隣に、もうひとつの歴史館・松代というのがあり、3台分のPスペースがあります。

この日の施設担当者の方から、ここで200円を支払い歴史を学んでいただければ、駐車したまま地下壕の見学をして結構ですと言っていただいたのでお言葉に甘えました。
 
歴史館で予習を済ませ、あらためて地下壕受付に向かう。
ここでグレとは各地の戦跡巡りを一緒にしてきたこと、史跡を汚さぬようオムツをしてきたことを伝え、ワンチャン一緒に入れてもらえないかお願いしてみたら、なんと快く「特別に」許可していただけた!
 
入壕する前に松代大本営について要約しよう。
大戦末期に軍部は本土決戦を必至として、その決戦の指揮中枢のためのシェルターとして松代大本営を計画した。
長野市松代の象山、舞鶴山、皆神山などに分散して地下軍事施設のための壕が建設された。
極秘作戦のためそれらは松代倉庫と名付けられ、イ号(象山)ロ号(舞鶴山)ハ号(皆神山)と呼称された。
それらに東京から政府中枢、大本営、天皇御座所を移転する計画だった。
 
なお建設のための物資の輸送には先述した長野電鉄屋代線(当時の名称は河東鉄道/1922年開通)が重要な役割を果たしたことは感慨深い。
屋代線の廃線後、さっきの信濃川田にはこうした歴史的車両が移設され、レールパーク化されるのかと思っていたが、残念ながら頓挫し処分された模様だ。
 
ここ象山の地下壕は底長4m頂高2.7mの断面で、20m間隔で掘削され50m毎に連絡坑が設けられた。
ここに政府、日本放送協会、中央電話局の移転が予定された。
総延長は5853.6m。そのうちの519mが見学コースに設定されている。
 
はあはあ!わたしのネツイがみとめてもらえたようでうれしいです!
バニーさんがフォースをおくってくれたのかな?
ではいきましょう!
 
入壕します!

 
少し下るとすぐに平らになる。今までグレとは各所で見てきたような素掘りの壕だ。
 
30mほどで金網に当たると見学路は右折する。

 
金網の先、直進方向にも壕が続いている。
余談だが受付の方の話では小型犬などのペットの入壕を許可すると万一逸走してこんな中に入ってしまった場合、探すことができないから基本お断りしているのだそうだ。
 
車椅子犬になったからこそ掴めたチャンスだったのかもしれない!一緒にここを歩けるなんて夢のようだ!
 
地下壕にグレの車椅子の車輪の音が響き渡る!

 
路面は平らに整地されてあるので介助があれば車椅子の人でも見学できる。
 
この地下壕をはじめとする松代大本営の工事は昭和19年から20年8月までの9ヶ月の間に突貫工事で行われたそうだ。
 
その費用は当時の金額で1億〜2億円と言われている。
 
9ヶ月で3山併せて約10kmの壕が人海戦術で掘られたそうだ。想像を絶する過酷な作戦だったろう。先に見たもうひとつの歴史館ではその影の部分にもスポットを当てていた。諸説あるのでここでは触れない。
 
そうこうしているうちに道が広くなり明るくなってきた!
 
くんククク!なんかみどころのようですね?
 
かんばんになんかかいてありますよ!
 
ここ松代が大本営移転地に選ばれた背景として、固い岩盤で掘削に適し、現皇居を凌ぐ10トン爆弾に耐えられる能力があったからとされる。
また山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野があることが大きな理由とされるが、信州は神州に通じ品格があり、松代には縁起の良い松の字を含むなんて言うこじつけみたいな理由もあるそうだ。
 
ところで削岩機ロッドってどこにあるのよ?
 
くんくんくんくん!?あーうえにありますよ!
 
なんだ、天井にあったのか!
75年以上ここに刺さったままのロッド
 
ここでの動画です

 
さあ!どんどんいきましょう!
 
左右に交通壕を見ながら進んで行きます!
 
このあたりの仕上がりは、各所で丁寧な軍掘りを見慣れた目には余程の突貫工事だったんだろうと偲ばれる。
 
程なく見学路の左折地点になった!
 
ここでは山の反対側への開口部が遠望できる!
もうひとつの歴史館の方に行き方を教えてもらったので後であっちは見に行く。
ここは坑道の広い十字路になっているのでひと休み。
 
ここでの動画です

 
さあ、ここをまがってラストスパートだね!
 
しばらく進むと壁に木がささっている所があるが、
↓ということらしい。
 
だだっ広い巨大地底迷路。ゾクゾクするね。
こんな遺構を迷わず安全に見れるのはありがたい。
 
左折してからは連絡坑道を進むので20mおきに坑道とクロスする。
 
そのうちの1つに、トロッコの枕木跡がくっきり残っている!
ここは鉱山ではないのでトロッコは砕石を排出するために使われた。
こんな感じ
ここでの動画です

 
この先すぐで終点になりました!
 
ああたのしかったです!
 
天井に最後の遺物、測点跡というのがある
方角や水平出しをするためのものらしい
 
これで一通り見終わりました!
10年以上前にバニーと撮り鉄で通った松代に、
いまグレとこうして再訪してることに胸熱になった。
グレがここに入ることができたのはほんとにバニーのおかげかもしれないな。
ではまとめのドウガをどうぞ!
 
ラストの部分も含めた一連動画です!

 
それでは地上に帰ろう!
象山地下壕、脱出しました!
 
このあとは象山の反対側に回って
壕内からも見えた反対側の壕口を見に行きました!
壕口は確認できたけど、雨が強くなったのとグレにはきつそうだったので眺めるだけにしました。
 
 
そして後日、松代大本営のロ号壕である舞鶴山にもきましたよ!
 
火の見櫓のある、いい感じの里山です!もう奥に壕口が見えています!
 
案内板があります。ここの遺構は地下壕と3棟の庁舎からなり、天皇御在所と宮内庁の移転が予定されたとされる。
 
現在は松代地震観測所が管轄しているが、一部公開している。
 
これが舞鶴山地下壕の公開部分だ。
 
案内板。象山で書いた内容と同じなので割愛。
 
壕口左にも看板があります
 
地震観測には興味ないので
壕の全貌だけをアップで。これを見ると他にも壕口がありそうだ。
 
とりあえず入れるとこまで入ろう
 
って、ここまでですか…
 
地下壕の入口だけでも自由に見れるだけまだいいか。
 
まあいちおうきたってことでヨシですねここは!
 
普段は入口が見れるだけだが
年に何回か内部を公開することがあるらしい。
と言ってもグレは入れないだろうから
まあべつにここまででいいかな
 
それでもキチョウなイコウにふれることができて
よかったです!
 
ここでの動画です

 
それではここをあとにして、
てんのうゴザショというのをみにいきましょう!
 
それにしてものどかでいいとこだね!
 
5分ほど歩くと頑丈そうな建物が現れました!3号庁舎です。
舞鶴山地下壕の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省として予定されていた建物が造られた。
もう少し歩くと続いて2号庁舎とその奥の1号庁舎が出てきました!
これら建物は鉄筋コンクリート3棟からなり約600坪。廊下は地下壕へ連なっており、屋根は山に続き上空からは隠蔽された構造であったということだ。
 
平日に来れば建物内部を公開しているそうだ。
きょうは休日なので外から見るだけだが、
実際供用には至らなかったということと、平日に来てもグレは入れないだろうから、そんなに内部見学へのこだわりはない。
 
ま、これだってことだけでいいですね。
 
いちばんうえの1ゴウちょうしゃは、パパひとりでみてきてください!なんかあそこはカクチョウをかんじるからみてきたほうがいいですよ?
 
どグレがいうので階段を上がって1号へ。
この1号が天皇御在所用の建物だったようだ。
この説明板で3つの庁舎の用途が明らかになった。
要約する。
第一庁舎・第二庁舎・第三庁舎からなり、 第一庁舎は天皇の御座所、 第二庁舎は皇后の御座所、 第三庁舎は当時の宮内庁の施設としてそれぞれ使用される予定だった。 
建物の上と裏はコンクリー トの厚さが80~90cmあり、その上に土が盛られ半地下壕建築になっており、 裏山と一体となりカムフラージュされていた。
第一庁舎の天皇の御座所と第二庁舎の皇后の御座所は、それぞれから避難壕である小坑道に繋がっていた。
ということです!
べんきょうになりましたね!タンケンしゅうりょう!
 
それにしてもこんな長閑な田舎に戦禍が及んでいたのは驚きでした。
長野市松代の松代大本営の探索でした!
 
バニー「たのしめましたか?まだミナカミヤマとかカイグンのちかごうもあるみたいだから、おべんきょうしてまたまつしろにおいで!」