松代大本営 皆神山 /小市大本営海軍部壕 /十三崖弾薬庫 | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

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松代大本営探索の続編として、皆神山に来ましたよ

では象山地下壕、および舞鶴山を探索した。
松代大本営地下壕は、象山、舞鶴山、皆神山に築かれたとされるが、残る皆神山の地下壕に関しては詳しい情報がなかなか得られないのが現状だ。

初期の計画では皆神山地下壕に皇居、大本営の施設が予定されていたが、皆神山の地盤が脆く、舞鶴山地下壕に皇居と大本営を移転する計画に変更されたとのことだ。最終的に皆神山地下壕は備蓄庫・食料庫とされたそうだ。

そんな痕跡を探しにここ皆神山山頂にやってきた。
早速怪しげな看板を見つけた!
字がかすれていてまともに読めないが、驚愕の内容を要約する。
皆神山は世界最大で最古のピラミッドである。
エジプトのピラミッドと違って人力でなく高度な重力制御技法によって造られた。
造ったのはネアンデルタール人で目的は宇宙航行の基地だ。
皆神山祭神は知力体力の神で、4種類の神々が宇宙船で出没を繰り返した神聖な山である。

もう1つ新しめの看板がある。こちらはまともだ。
皆神山は、長野市松代町の東南に位置し、川中島平を一望に収める絶景地である。
近年新日本百景の一つに挙げられ、松代群発地震の震源地として世界的に有名になった。
形状が円錐形の見事な独立山のため古来より霊山として信仰の対象となり、最近では世界最大最古のピラミッドであるといわれている。
標高六七九メートル、山麓の周囲は約八キロ、山頂は中ノ峰・東ノ峰・西ノ峰に分かれている。
なお僕はアニメはほとんど見ないが、どうやらエヴァンゲリオンというSF作品中にロボット起動実験場として松代が登場するらしく、一時便乗した町おこし企画もあったらしい。きっと皆神山から着想したものだったんだろう。


戦跡探検に来たはずが、まさかのB級パワースポット探訪となった。せっかくなのでお参りすることにした。

境内入口にある随神門。神々しくフォトジェニックだ。

これをくぐって本堂に向かう

新緑に包まれた参道を進むと

本堂と思われる荘厳な侍従神社に着いた。

パンパン!くるまいすケンとしてこれからもゲンキでいろんなとこにいけますように!

僕からもいろいろお願いしておいたよ!たまにはこういうのもいいね!?

はい!パワーがみなぎりましたよ!

せっかくなのでゼッケイもたのしみましょう!

少し横に進むと、

川中島平を一望する絶景スポットに出ました。

ここでクルマイスをおりてのんびりしたいです!
というのでしばしのんびり遊んで、

ピラミッド石碑で更にパワーチャージして、さあ戦跡を探しに行こうか!?

はい!でもそのまえに、くるとちゅうですごいパワーをかんじたとこがあったので、そこにもよってください!

というので山の中腹あたりでグレの指示で車を停めると、

古風な石段を見つけた!

登ると、上に穴が開いていて

岩戸神社の看板があり、「皆神山ピラミッドの入り口ではないかと言われ、その奥は謎とされている」とある!

一瞬皆神山地下壕の入口かと思ったが

残念ながら奥は3mほどで終わってて祭壇になっていた。

そこで麓に降りて、目をつけていた皆神山北東のポイントに向かう。

このあたりのどこかに皆神山地下壕の壕口が眠ってあるはずである。

適当に当たりをつけて突入するだけでは発見は困難だった。もうこの季節になるとそこらじゅうが壕口に見えてしまう。
地元の年配者にも助言を頂いたが、「壕口はほとんど埋められいるが、犬をたくさん飼っているお宅の裏を登ると藪の中に壕口が残ってると思うよ」とのことだった。
即ち山の北〜東部の壕口のうち東部のものをさすのはわかったが、行ってみたらやっぱりグレの同行は厳しい激藪に変わりなく、探索は諦めた。

ザンネンでしたがニアピンはできてるとおもいます!
でもここ、たのしかったです!きをとりなおしてつぎのとこにいきましょう!

というわけで、車でさっき眼下に見えた川中島平に降りて長野市小市にある小市大本営海軍部壕跡にきましたよ!
松代大本営は帝国陸軍によるものだが、海軍も長野に大本営移転を画策していたのだ。
かなりのマニア向けのマイナーな遺構だがGoogle Mapで来ることができる。
というのもこの壕は長いこと放置され埋もれかけていたが、地元有志により周辺整備が行われ、2021年12月に大本営海軍部壕資料館としてオープンしたものなのだ。
残念ながらこの日は資料館はやってなかったが、貼り紙を参考までに。

資料館のすぐ裏山に壕口があった。

案内板がある。読み上げながら壕に向かう。

今次戦争末期、大本営・政府機関などの松代移転が迫ったので、 海軍も急遽二十年六月海軍省直属の第300設営隊(第3010設営隊と共に「虎の子部隊」といわれる)を長野に派遣し、
小市のこの地に大本営海軍部用の地下壕を掘削し始めた。
隊長は山本将雄技術大尉で、当初は先遣隊50人、その後は500人で担当しようとした。 
隊長などは民家、隊員は無常院・称名寺などに泊った。
取り付け道路を開け資材を集積、1000名収容規模のうち100M程を掘り、大型コンプレッサーも設置し、本格的な工事の直前に終戦となった。 
関係用地の取用は強引ではあったが、戦後補償料は支払われた。

ということですね。わたしはここからみてますから、パパ、なかをチラみしてきてください!

あとでドウガでみせてくださいよ!

今日は中には入れないので隙間から壕を見せていただくことにしよう!

ついに一般にはあまり知られていない海軍の壕が顕になった!


今まで特攻基地などで見てきたような海軍の壕だ。

約100m掘ったところで終戦を迎えたとのことだが、残念ながら20mほどで崩落閉塞しているようだ。

それでも稀有な遺構、保存して見れるようにしていただいたのは有難いことだ!

ほーう!めずらしいものがみれてよかったですね!

では、さいごのばしょにいきましょう!

長野市から中野市に長野電鉄沿いに向かう。
かつてバニー時代に撮り鉄で通った懐かしい道を通って、

高社山の麓、夜間瀬川のほとりの十三崖と呼ばれる場所に来ました。

夜間瀬川の対岸に十三崖はある。

で、すぐ気づいたのだがなんとここは撮り鉄時代にバニーを車に乗せて何度も訪れた場所、
夜間瀬川鉄橋のすぐ下流だったのだ!

こんなところにも地下壕があったのだ!
十三崖の地下壕
太平洋戦争末期、軍部は松代町(現長野市)に地下壕 を建設し、大本営をはじめ国の中枢機関の移転を計画し ました。
その一環として金沢師団が昭和二〇年(一九四 五)二月、臥龍山(現須坂市)に弾薬貯蔵壕掘削を始め ましたが難航、高社山十三崖に着目しました。
工事は試掘の後、三月上旬に着工、一一五〇人の将兵 が昼夜三交代ですすめました。さらに下高井郡内から 延べ一万人余の労務者と学徒(中野農商校)が 補助作業に従事し、わずか二〇日間余で 約二〇〇〇mの壕が完成、弾薬を貯蔵しました。
なお収納しきれない 一部は十三崖対岸の松林(水害防備林)に野積みにしました。 終戦後、米軍はこの弾薬を撤去、現在に至っています。

道路から河川敷に降りた。対岸の写真中央付近に壕口があるはずだ!
が、いまのグレには川の渡渉も対岸の藪の中に行くのも困難とわかったので、ここから眺めるだけにした。

せっかくだから川で遊んでいこうか!

かすかにセンセキのにおいと、カヤクのにおいをかんじます!そんなとこでカワあそびなんてサイコーです!


弾薬庫は枯れた季節にたっぷり時間を確保したら探索できるかもね!?
でもまあいいんだ!こうやって一緒に来て古の遺構に一緒に想いを馳せることができれば、今は十分だよ。

昔バニーときた夜間瀬に、

またグレと来れたのが嬉しいんだ!