筒美作品の時にいつも登場していただく榊ひろとさんの『筒美京平ヒットストーリー』から今回も引用しよう。

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 「スローな愛がいいわ」では作詞に三浦徳子、編曲にデビュー曲以来の萩田光雄を迎えて、複雑な曲構成とメロディー展開を聞かせた。なかにし礼が作詞を担当した「女優」では再び筒美自身がアレンジを手掛け、シンプルなマイナーの哀愁メロディーに回帰しつつもコンテンポラリーなサウンド作りを実現したAOR歌謡の世界を完成させている。

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 うんうん。私の目の付け所は間違ってなさそうだ。榊さんがズバリひとことずつで評したこの2曲の違いを、もう少し紐解いてみよう。

 

●メロディーライン

 

 まず「女優」である。わざわざ譜面を持ち出すまでもなく、口ずさんでいただければ一目瞭然ならぬ一唱瞭然であろう。流れるようなシンプルなメロディーである。次のアレンジの章で触れるべきなのだが、メロディーにも共通する音型と考えられるのでここで述べておく。イントロ・間奏・後奏と繰り返し現れる隣接する4音連続の下降型(譜面で赤い四角で囲った部分)。そしてサビ前のバイオリンによる16分音符の速いパッセージは、今度は逆に隣接する4音連続の上昇型()が見られる。この音型は、メロディーラインをとても流麗に聴かせる効果を果たしていると考えられる。ボーカルでも赤い四角で囲った部分は、同じ音型を使って効果を生み出している。

 

 

 逆に緑の四角は、6度以上の跳躍をしている箇所(フレーズの切れ目でブレスをする箇所はカウントしない)であるが、この曲ではわずかに1箇所しかない。このことも「女優」のメロディーをシンプルならしめ、親しみやすく歌いやすいものにしているのだ。

 

 

 一方の「スローな愛がいいわ」。緑の四角の跳躍箇所が、何と10箇所もあるのである!ラストの青い四角は、一瞬のブレスはあるものの、同じフレーズ内で何とオクターブ以上の跳躍を見せている。これも歌ってみていただければ、音程が激しく上下していることがすぐにお分かりいただけるだろう。

 

 

 ある時、ファン仲間の1人が、「スローな愛がいいわ」は難しくて上手く歌えない、と言ったことがある。少し突っ込んで訊いてみると、サビの「♪ スローな愛がいいわ だから スローな愛がいいわ」の「だから」の音程が取れないというのだ。そう言われて気づいたのだが、ここでF#にナチュラルがついてFになり、コードもE7でAマイナーのドミナントコードであり(譜面参照、ピンクの丸)、Eマイナーから一瞬、サブドミナントキー(下属調)のAマイナーに傾斜するのだ。だから難しいのである。サビと言えば、その曲の顔と言っていい。誰もが覚えて歌えるところが、普通はサビである。それが、宏美ファンをもってしても歌えないサビとは…。

 

 

 歌いやすい「女優」、歌うのが困難な「スローな愛がいいわ」。ここでもハッキリ差異が出た。

 

●アレンジ

 

 「女優」から見てみよう。まずリズムは軽快な16ビートで、ハイハットの音が耳に心地よい。バスドラムは基本4分音符、スネアドラムはお約束通りアフタービートのツーフォー(2拍4拍)を刻んでいる。Bメロ前半で、いったんスネアは止むが、バスドラムは変わらずに入っている。ギターはカッティングと合いの手的な入り方はするが、あまりリード的には使われない。ただ、Bメロ「♪ 嫌われないかしら〜」で歌の合間に4回入るギターの合いの手は印象的である。近年では岩崎宏美親衛隊が、そのリズムに合わせてペンライトを振っている(笑)。リズムセクションの他はストリングスが中心で、コーラスも入っている。最も着目したいのは、イントロ・間奏・後奏で繰り返し現れるコード進行、

 

(Gm-)G7-Cm7-F7-B♭△7-E♭△7-Am7♭5-D7-Gm

 

4度進行である。私のブログにも何度か登場しているが、ベースが4度ずつ上昇(=5度ずつ下降)する王道的なコード進行で、スタンダードの「Fly Me to the Moon」や、竹内まりやさんの「駅」など、多くの有名な楽曲で使われている。しかもGから始まってGまでキチンと一周しているのだ。いかにも教科書的で、リスナーの期待通りの安心して聴けるサウンドになっている。

 

 「スローな愛がいいわ」は8ビート。A1ではバスドラムは基本 付点4分音符+8分音符+2分音符の組み合わせ、スネアは叩かずリムショット?でツーフォーを叩いている。それがA2ではバスドラが4拍目のウラも打つようになり、スネアも入って来て徐々に盛り上がる。Bメロではバスドラムは4分音符の連打となり、疾走感が増す。そしてサビのC1で、意表をついてリズムが止まるのだ。そこでボーカルをじっくりと聴かせ、後半C2ではリズムが動き出して1コーラスを終える。楽器群は「女優」と同じくストリングス中心だが、エレキギターが要所要所で印象的な使われ方をしている。バックコーラスは入っていない。

 

 アレンジでは、「スローな愛がいいわ」に特に斬新な面は見て取れなかったが、「女優」のオーソドックス感が際立っていることは確かだ。

 

●そして音域と歌唱

 

 当時FM東京で『コーセー化粧品歌謡ベストテン』という番組があった。この番組のランキングは、他のランキングに比して宏美さんの楽曲が強く、この2曲ともベストテン入りを果たしている。「スローな愛がいいわ」がランクインして宏美さんがゲスト出演した折りに、興味深い発言をしている。「この曲は音域が広く、喉の調子を見ていないと歌い切れない」という趣旨のことを言っているのだ。しかし、2曲の音域を調べてみると、偶然だが、下のF#〜上のDまで、と全く同じなのである(「女優」のイントロの♪ルルル…を含む)。ではなぜ宏美さんは「スローな愛がいいわ」の音域が広い、と言われたのか。

 

 歌い手さんにとってみれば、音の高さというのは、Dだから出る出ない、キツいキツくない、と言った単純な話ではない。曲調やテンポ、フレーズや歌詞(特に母音)など、様々な要素が影響して来るだろう。その中で、一番分かりやすい音の長さで、今日は比較してみたい。2曲のテンポはさほど差がないと思われるので、B♭以上の高さで、1拍を超える長さの音を数えてみる。

 

 「女優」は、1コーラスで3箇所だけだった(上の楽譜参照、水色の丸)。「♪ 嫌われないかしら」の最後の伸ばしのCの音。あとはサビの「♪女はいつだーって」の太字のB♭が2回。それも1拍半〜2拍程度の長さである。イントロのスキャットで最高音のD音があるが、1拍だけで、しかもスタジオ録音からファルセットで吹き込んでいる。

 

 「スローな愛がいいわ」では、1コーラスで少なくとも8箇所ある(上の楽譜参照、水色の丸)。しかもB以上で4拍以上伸ばす音が4つもある。中でも、「♪ 何度か壊してしまったわ」はBの音で7拍くらい伸ばすし、「♪ だから スローな愛がいいわー」はCの音で4拍以上伸ばしている。しかもaの母音であるからキツいであろう。また、「♪ ガラス細工の love story」の部分で最高音のDが登場するが、スタジオ録音では地声で通しているものの、生歌唱ではファルセットを使用することが多かった。

 

 以上、最低音と最高音だけを比較したレンジは全く同じであっても、歌い手にとっては「スローな愛がいいわ」の方が、かなり高音が多い印象になり、歌う負担も大きいのは明らかである。曲調や音域だけでなく、歌詞世界の影響もあると思うが、「女優」は宏美さんが女性的に柔らかく歌っているのに対し、「スローな愛がいいわ」の方は、かなり気合を入れて声を張り上げている印象である。

 

●結びにかえて

 

 「女優」が発表された当時、宮川泰さんが宏美さんのことを論じた記事が新聞に載った。残念ながら取って置かなかったのだが、論旨はハッキリ覚えている。「この曲は今までの岩崎宏美の集大成的な楽曲。岩崎宏美の声は耳に心地よく、アクがないので誰からも好かれる。しかし、山口百恵と違って優等生タイプで、どの曲も90点で、50点も100点もない。もっと冒険してもよいのでは」といった内容だった。しかし私は思う。「スローな愛がいいわ」はどうなんだ。商業的には50点だったかも知れないが、このチャレンジには100点、いや120点をつけても良いのではないか。もっともっと、評価されてよい作品だと思う。残念でならない。

 

 最後に。2日間にわたってゴチャゴチャ言ってきた。お付き合い下さった方々にお礼を言いたい。私が宏美ファンになったばかりの頃の大切な、大好きな2曲である。それなのに、現在この2曲が置かれている状況は全く対照的に過ぎる。嬉しいことに、「女優」はその後も再レコーディングされたり、コンサートやライブで時折り聴かせてくださったりする。しかし、「スローな愛がいいわ」は、当時以降全くお蔵入りとなってしまった。2日もかけて私が言いたかったことは、要するに、もっと「スローな愛がいいわ」にも注目して欲しい、人生経験を積んだ今の宏美さんの声で、もう一度「スローな愛がいいわ」が聴きたい!それだけなのだ。難曲であることは百も承知の上である。宏美さん、スタッフの皆さん、是非よろしくお願いします!