発達障害家族の子育て記録とたまにバイクの話

発達障害家族の子育て記録とたまにバイクの話

父親と息子が自閉症、母親と娘達がADHD。6人家族全て発達障害という家族の子育て記録と同じ発達障害児を持つ家族の参考になればという思いで始めました。

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かき始めたばかりですが、訳あって引っ越しました。。。

数年前に別のところで作っていたのを忘れていました。

作ったまま放置していました。

 

どちらを残そうか迷いましたが、使いやすい方に引っ越すことにしました。

 

引っ越し先はこちら

 

https://buellx138547863.wordpress.com/

 

ありがとうございました。

 妻のIQは平均値以上です。

 

 妻はADHDで興味が次々と移動しがちで集中力が続かない特性があります。なので一つのことを最後まで続けることが苦手。食器を洗ってる途中で洗濯を始め、洗濯物を干している最中に窓のサッシの溝が汚れているのに気がつき掃除に没頭、気が付けば洗濯も食器洗いも途中までしか終わっていない。多種多様な仕事を効率よくこなしていかなければいけない家事には向いていない特性です。しかし、いろんなことに興味を持って熱中する傾向があるので沢山の資格持ちです。調理師免許、算命学(占い師ですね)、ケアマネージャー、傾聴カウンセラー、ライフオーガナイザー、身体の緊張をほぐすケア(なんて言ったかな?)

 人とのコミュニケーションも苦手で人間関係をこじらせることが多いです。人当たりが良いので気に入られることも多いのですが、大抵気に入ってもらった人に裏切ったという印象を与えてトラブルことが多いです。興味が他に移ったタイミングでトラブります。考える前に行動するのが要因ですが、これは治らない気がします。

 能力の平均が高かろうが低かろうが、脳の能力のバランスが良ければ上手くやっていける、許容されます。しかしADHDの場合、できること(凸)でボーダーラインを引かれてできないこと(凹)がより目立つことでトラブルを生み安いのではないかと思います。

 

 IQは70〜130の間に95%の人が入ります。70以下の人、130以上の人がそれぞれ2.5%います。私はその上位2.5%に属しています。高校受験では偏差値70以上ある公立高校を受験し卒業しました。しかし、興味のあることには没頭できるけれど興味のないことには全く取り組むことができない脳の特性ゆえに、大学受験の共通一次では数学と物理の自己採点結果は満点でしたが英語と社会系は惨憺たる点数でした。結果、進学したのは偏差値60くらいの大学ですが、これは学力が落ちたというよりは科目による学力の差が大きくなったためです。ちなみに、大学を選んだ基準は興味のある研究室があったためでしたので、全く後悔はしていませんよ!

 

 会社に入るのも会社に入って昇格するのも全く障害はありませんでした。転職するまでは。

 

 始めの会社での昇格試験は、一般常識と知能検査を足したような試験と実務に関する業務論文でした。問題なく合格しました。しかし転職した会社では入社して20年を超えましたが一向に合格する気配がありません。試験内容はインバスケット方式と論文、これに合格した人は面接があります。

 インバスケットというのは自分が実際の仕事とは関係のない架空の人物になり架空の仕事を担当しているという設定のもと、様々な部署の人から届いたメールや書類を参考にして業務を進めていくという一種のゲームで、いろんな質問に答えていくというもの。普段研究開発業務に携わっている人間に、営業の仕事をあてがって複数の人間とのコミュニケーションを前提とした業務をこなす設定で何をしろというのか。。。これは試験を終えても全く出来不出来を実感することができない私にとっては意味不明なテストだ。発達検査の時に先生に話したら、ああ、苦手でしょうね。。。と言っていた。

 論文のほうも苦手です。私はデータを分析して法則を見極め原因を仮定し対策を施す。その結果を分析し効果を判定し原因を特定するといった学術論文的な客観視する論文は得意です。上司に例題を出されて解凍するたびにもっとやる気を前面に出した文章を書けと言われる。主観的・主体的な文章ってこと?よくわからん。がんばりたいとおもいます、一生懸命やります、を最後につければいいの?ほんと理解不能。技術者として事実のみを客観的に判断し主観に惑わされない様思考訓練してきたんだよ、俺は。。。

 

 本当に相性の悪い会社だ。入社当時は独身だったから昇給とか全然興味なかったが、いまは結婚して子供もいるので死活問題だ。かなり焦ってたし試験勉強もした。が、本当に私の脳には理解不能のようで全く進展はない。途中で発達検査を受けてIQは会社の多くの人よりも高いことがわかって落ち込んでいた自己肯定感は上がったし、アスペルガーという特性上こうした試験に対応できにくいこともわかって試験自体を受けることをやめた。試験に合格できない理由を理解はしたが納得はできなかった。だってそうでしょう?私よりも資格の上の人に対して業務内容を教育したり指導したり相談にのったりさせられるのに、自分は平社員で給与も低い。納得できる訳もない。。。

 

そうこうしているうちに鬱になった。。。ある日いつものようにバイクで出勤すべく家を出た。が、向かった先は山だった。3月のまだ寒い山。林道を見つけて登って行った。ガソリンが心許なかったがどこまでも登って行った。なくなったら帰らなくてもいいや、崖から飛んでしまおうか。。。道が無くなったのでバイクを降りて歩いて登った。疲れたので枯葉の上に横になってウトウトした。ふと気づくとのっしのっしと大型の動物が四つ足で歩く音が聞こえてきた。鹿?熊?喉が乾いてきたので持ってきていた水筒のお茶を飲んでいたらその音で気づいたのか足音は離れていった。

 

その頃家と会社では大騒ぎになっていた。会社からまだ出社しないのだけれど休みですかと妻に電話があった。妻はいつも通り出掛けたと回答した。どこにいるんだ、事故にでもあったのか。電話がかかってきたしメールも届いたが無視した。驚いた、こんな山奥でも携帯のアンテナが二本も立っていることに。昼過ぎまで山で過ごし風景を見ていたら心が静まってきた。妻に電話した。。。

 

そして、それ以降会社に行くことは出来なくなった。診察結果は抑うつ症。鬱病であった。

長男は人とのコミュニケーションが致命的に出来なかったので、小学校を選ぶ際に支援級が何クラスもあり充実した大きな小学校よりも、少数の小さな小学校を選んだ。大きな小学校の方が学区内だったがバスで通わなければならない遠さで、小さな小学校はかろうじて歩いて行ける近い学校だった。まず感じたのは学区割?大人の都合で生徒数を多くしたい意図がありありと見えて、子供のことを考えて距離で学区割しろよと感じた。

 

長男にとっては少数の支援級は良かったようで、仲の良い友達もできた。不思議なもので、支援級の中ではよく話すし運動もするが、交流級(普通級)では一言も話さないし一緒に体育の授業も受けないと言う徹底ぶりだった。本人なりに自分が劣っていると認識した集団の中では活動が消極的になり、同類と認識した集団の中では積極的になる。自分を守る本能というものを感じた。

 

小学校・中学校の支援級についてを通じて感じたこと。

 

一つ目は、人事権を持つ校長が支援級の継続性を考えていないこと。例えば小学校では、2人しかいない支援級の先生を他校に移動させ、新任の先生と1年前にクラス崩壊させた先生のリハビリ的扱いで担当させた。支援級業務のノウハウ的なものの引き継ぎを考慮していない。長男が卒業した年の中学校でも似たような人事が発表された。基本的に支援級を重要視していない。発達障害にもいろんな種類があり、普通級以上に先生に対して勉強してもらわないといけないことが多いはずなのに、問題のある先生を担当させることが多い。精神的に病んでいて人前では穏やかにしているが生徒しかいない場所では怒鳴ったり脅したりする先生とか、普通級でなんらかの問題を起こした先生とか。中にはきちんとした勉強熱心な先生もいるんですけどね。

 

二つ目は、小学校と中学校の支援級のあり方の連続性がないこと。連携がないこと。

うちの長男の場合は積極的に声を出して挨拶することが苦手である。苦手ではあるが、中学年の頃にはやらせてできないレベルではなくなっていた。小学校では朝の出席確認の際、他の子は名前を呼ばれたら手をあげて返事をし、その日の健康状態を報告するのがルールだった。元気です!とかね。。。でもうちの長男に関しては、手を上げながらニコッと笑うことで許されていた。頑張れば返事も元気ですも言えたと思うようになっても。しかし、中学校の支援級でいきなりそれが許されなくなった。小学校と中学校で支援級の連続性というものがなかった。連携がないのだ。子供は混乱するよね。


三つ目は、全体的な傾向として支援級の子供達の学業に対しては学校側は完全放棄していること。子供達個々人を見ている限り、発達障害の子もきちんと成長している。発達遅延であって発達停止ではないと言うことを理解していない。普通級であっても個々人の成長速度には差があるはず。それを画一的な教育をしているから普通級の中でも落ちこぼれていく子が後を絶たない一方で授業の進行が遅くて退屈と感じている子も少数だがいる。アメリカのようにできる子もできない子も個々人のペースに合わせて飛び級したり留年したりさせてもいいのではないかと思う。日本特有の悪平等な教育が顕著に見られる。支援級であれば尚更だ。苦手なことも各自バラバラで、コミュニケーションや集中力といった学業以前の特性に問題を抱えた子達、しかもその程度はまちまち、一人一人にあったレベル・方法の教育が必要だが、こちらは出来ない子に合わせた教育が行われる。人手が足りないのだから理解はできるが、納得はできない。大きな学校で支援級が何クラスもある学校もあるが、実態は通常クラスでついていけない子達の支援級的な役割に感じる。これは方向としては正しいと思う。全クラス能力別にして、学年に依存しない子供達の実力に応じたクラス編成にすれば、人手不足も解消されると思うのだが。まあ、親からの反発がありそうではあるが、子供達にとっては幸せな方針だと思うけど。今の支援級では、一番発達の遅い子に合わせた遊びのような授業が行われているだけで、各自の成長に応じた教育は行われていない。従って、ボーダーと言われている位置にいる子達の成長の機会は失われている。長男の通っていた中学校では、小学校の支援級→中学校の支援級→養護学校と言う選択肢しかほぼないといってもいい。実際にはサポート校とか通信制高校とかいろんな選択肢があると思うのだが、その辺の情報は支援級の父兄には全く教えてもらえず、各自で調べて実行しろと言うスタンスだ。普通級の場合は学力のみで判断する偏差値という明確な指標があるから調べようもあるが、サポート校とか通信制高校とかは実体がわかりにくくて実際に学校見学とかを中学入学当初からじっくりと見て判断しないと難しいので、その辺の情報を学校がまとめてくれてもいいと思う。だって、学校は常に進学する子供達を抱えているから経験値も高いし情報を蓄積することもできるけど、父兄はその子供が受験を控えて初めて考えることだから経験値の低い素人だし。

 うちの場合はスクールカウンセラーの先生がアドバイスしてくれて慌てて何校か探して学校見学に行って決めました。アドバイスを受けるまでは養護学校しかないんだと思っていて、高校について調べるという発想もなかったですもん。決めてからは長男の算数(数学)と国語の理解度をチェックして、受験に必要なレベルにまで短期間に仕上げるというハードなことを子供に強いることになってしまいました。

 重度な障害の子は障害年金である程度守られています。しかし、軽度な子は障害年金学はかなり減らされます。しかも、養護学校を卒業して障害者枠で就職した場合重度な子も軽度な子も同じ時給、厚生労働省の決めた地域別最低賃金しかもらえません。大抵の場合は昇給すらされず一生そのままです。それだったら、資格を取らせて一般枠で就職できる可能性を残してあげられればと思うのは自然なことではないでしょうか。

さて、バイク遍歴を書いていたら長くなってしまった。ここからはしばらく発達障害のことに集中しようと思う。

 

まずは現在の状況。

 

長男は高校1年生。今まで支援級でぬるま湯状態の学校生活だったので、高校生活は厳しいらしくいきなり辞めたいと言い始めた。そりゃ辛いだろうと思う。

 

この2週間、妻が学校or学校の最寄り駅まで朝一緒に通学することでなんとか慣らしてきた。今でも昼ご飯を一緒に食べる友達はできていないようだが、一人で食べた後、学校内を探検して自分の居場所を見つけたようだ。

 

次に長女。彼女は小学5年生まではきちんと通っていたが6年生からは登校拒否。ずっと頑張っていたのだが、次女が学校に行けなくなって1年して自分も耐えられなくなった模様。面倒見が良くていろんなグループの子が寄ってくるらしいのだが、彼女は特定のグループに属するのを嫌っている。対立するグループ同士で悪口を言っているのも彼女には負担のようだ。人間関係が煩わしくて行きたくないということらしい。中学に上がったら行くという本人の言葉通り通い始めた。複数の小学校から集まって多少状況は変わったが、根本的なところは変わらなかったようで、2学期以降は行こうとせず現在2年生で教育支援教室に週一で通っている。教育支援教室とは自分の学校に籍を置いたまま、転校しないで通うことができる教室で、トーキング(教育相談)・自然体験活動・ゲーム・学習などさまざまな活動を通して、自立の手助けをするシステムらしい。小学6年生の頃から行きたいとお願いしていたが、中学になったら行くかもしれないから6年生はダメと断られていた。中学に入って一時的に登校したが再び登校拒否になってやっと通うことが許された。なんだかなぁ。まあ、学力的にはほとんどなんの助けにもならないが。学力的には、元教師の方々がボランティアで行っている教室があり、週1で2時間勉強を教わっている。4人とも放課後にあたる時間にちゃんと通っている。長女の場合はいじめとかではないが、人間関係に嫌気がさしての不登校ということになる。ちなみに、彼女は小学校にはなんの未練もないらしく卒業式にも出なかった。

 

次女は小学3年生から不登校気味になってきた。担任の先生は初めは猫なで声で登校を促していたが、思い通りにならないとなると怒りを露わにして応対してきたので、次女はまず担任に不審を抱くようになった。その後保健の先生が大好きだったので保健室登校を始めたが、今度は校長が自分の教室が無理なら職員室で勉強すればいい、誰かしら先生がいるだろうから教えてもらえるよと提案され、本人もその気になっていた。が、ある日、校長も忙しかったのだとは思うが、次女が職員室に向かっていたら、さっさと自分の教室に行けと手のひらを返したもので、校長不信に陥った。これには妻も怒っていた。

彼女が学校に通えなくなった原因は、ちょっと幼くて女子トークについていけないこと。人の悪口が苦痛なこと。相槌を求められてもうなずけないのが苦痛だったようだ。あとは、音に関して感受性が高いこと。周りの音が全部入ってきてしまい、気が散って勉強に集中できないそうだ。

 

対策として、授業中イヤーマフを使用することを許可してもらい、しばらく通えるようになった。きちんとこういう特性があるからイヤーマフを使うんだよという説明をクラスメイトにしてもらっていたのだが、それをからかわれたり後ろから静かに近づいてイヤーマフを外しながらワッと脅かすようなことをされて完全に行かなくなった。

 

 

ただし、長女と違って友達関係には未練があるらしく、修学旅行とか遠足とか発表会とか卒業式とか、そういったイベントには参加したいらしく、実際に参加していた。当然予想できることだが、授業にはでないくせに楽しいことだけは参加すると陰口というか表立って言われていたようだが、そういう事には全然めげないところが私には理解できなかった。現在中学1年生で入学式から1日も休まず通っているし、美術部に入るんだと体験入部もしているようで、いつまで続くのかヒヤヒヤしているが今の所楽しげに通っている。彼女の場合、幼さでませていた友達について行けなくなったのがきっかけで、今でも友達の悪口を言う子は避けているようだが、彼女自身少し成長して嫌な関係をいなすことができるようになってきたようである。今はイヤーマフも使っていないので、集中力がついてきたのかもしれない。コミニュケーション能力が原因の登校拒否だったのだと思う。

 

三女は今の所なんの問題もなく楽しげに学校に通っている。兄弟が多い末っ子であること、4月生まれであることも成長には有利に働いているようで、特にコミュニケーション上の問題も発生していない。物を片付けられないと言う特徴以外ADHD固有の問題点も強く出ておらず、一番順調に成長している。

 

ただでさえ成長が遅れ気味の発達障害児にとって、実質的に年齢が小さい早生まれの子は特につまずきやすいのかもしれない。長男と次女は1月生まれ、長女は7月生まれ、三女は4月生まれだから。

 

 

妻もバイク乗りで、ハーレーのスポーツスターのXL883Rに乗っていた。

 

 

一番右が妻のXL883Rです。一台前に私が乗っていたXLH1200Sの特別仕様車ですね。排気量は少し小さい883cc。私は相変わらずオフロード車持っていたので4台体制です。その後、妻もオフロードバイク購入して5台体制(セローを買いました)になりましたが、結婚後すぐにmonsterで事故って4台体制に戻りました。。。妻曰く、BMWに乗ってる時とmonsterに乗ってる時では人が違う、monsterはもう辞めなさいと言われ修理を断念しました。

 

その後数年はこの体制を維持しましたが、ある日ハーレーがBuellを扱わなくなる、つまり絶版車になるというニュースが流れ、程度の良い中古車が出回っているのは今しかないと思い、維持費の高いBMWを手放しBuellのS1lighteningに買い替えました。

 

 

もうこの頃からは、バイクだけが写っている写真は無くて、子供も一緒の写真です。一般には変態バイクと言われてもいて、普通の人には人気はないですが、本当に乗ってて楽しいバイクです。パワーもあるし。設計思想は重心を低くってことでマフラーとサスペンションを車体の下に、エンジンは扱いやすいスポーツスターのエンジンをチューンして乗せてます。が、載せ方が変わっていてフレームから吊り下げてる。しかも普通なら剛性パーツとしてがっちりフレームと固定するところ、振動の大きいエンジンなのでゴムパーツを介してゆるーく固定。お陰でフレーム剛性が足りなくて、コーナリングはぐにゃっと曲がる感じで気持ち悪いらしい。私は逆に、後輪は地面をグリップしつつ前輪が車体を捻って曲がる感じが、有機的に感じてしまって、馬に乗ってるような感じ?で、気に入ってます。

 

ちなみに妻もBuellは気になっていたバイクらしく、私のバイクに乗せてあげたら、楽しい!買い換える!といって、スポーツスターを手放して速攻買い替えました。

 

 

ちなみに、私のBuellはS1ライトニング、妻のBuellはM2サイクロン。私の方がパワーが少し大きくとんがったバイクで、妻のはマイルドな感じかな?

 

今は、子供も多く経済的に厳しいので、私のオフロードバイク(ジェベルGPS)は売却し、妻のセローは私の通勤車両として乗りつぶし状態です。実質、このBuell2台体制になっていますが、こちらも子育てで乗る機会がないため、車検止めて保険も止めて休止状態となっています。

 

この頃、新規事業の立ち上げで月の残業が100時間を軽く超える状況が続き、寮に帰って寝て起きたら出社という生活をすると同時に収入はバブルになった。多少精神もおかしくなっていたのかも知れない。。。スポーツスターを車検に出して取りに行った日、最後の調整で数時間待たされたのだが、その際、同じ店舗の隣のブースでBMWが展示されていた。そこでバイクを見ていたらたまたまその店のツーリングクラブの連中が続々と集まってきた。で、BMWがいかに素晴らしいバイクかという話が始まり、俺のバイクに乗ってみろ!という話になって、R1100RSの走行距離70000kmオーバーのバイクに乗る羽目になった。これがまたスポーツスターとは全く違うがとても乗りやすいバイクで、同じ2気筒のバイクとは思えないスムーズな回転特性を有するバイクだった。急ブレーキをかけても前につんのめることが無く前後輪ともに下に沈み込んで止まる安定性。しかも70000km走ったバイクとは思えないエンジン。すっかり虜になっていた。そして帰りには契約書にサインしていた。200万以上するバイクの衝動買いだった。でもねぇ、本当にバブルだったので半年で払い終わりましたよ。この頃から3台持ちになりました。

 

オフロード、オンロードを元気の走るバイク、オンロードを快適にこなすバイクね!

写真は左からXLH1200S(ハーレー)、スズキのオフロードバイクジェベル250GPS、BMWのR1100RSです。

 

 

この頃、我々の所属する部門が閉鎖され、同社の別部門への転属か他社への転職かを選択する必要に迫られた。私は転職を選択し、ガレージ欲しさに独身ながら中古の一戸建てを購入し移り住んだ。バイク仲間は散り散りになりオフロードの走り方が変わった。荒れた林道をガンガン走る走り方から、一人でのんびり遠出するツーリングに変わって行った。自然、バイクもTT250Rから当時としては珍しい純正のバイクナビのついたジェベル250GPSへと変わっていった。

 

 

そして、あんなに気に入っていたスポーツスターをあっさり下取りに出し、Buellに勝てるバイク、ドカッティのMonsterS4に買い替えてしまった。これはエンジンの設計思想がハーレーやBuellとは全く異なる2気筒ながら高回転型のエンジンで、今までのスポーツスターの感覚でスタートダッシュにフルスロットルで走り出そうとすると簡単にウイリーしてしまう恐ろしいバイクだった。排気量はスポーツスターの1200ccに対して900ccなのに、驚きであった。

 

この頃妻と出逢い結婚することになった。一戸建の家を買っていて良かった。。。

さて、限定解除を決意し練習場に通い、試験場で実地試験を受けること3回目にして合格した。

 

基本的に試験場では明確な差別というかえこひいきがある。暴走族っぽい若者には厳しめ、真面目な社会人には甘めってこと。まあ、無制限に大きな排気量のバイクに乗れる免許なので、危険な人間には乗せたくないという心理が働いている。もちろん点数が足りなければいくら真面目な人でも合格させるはずはないが、ギリギリの場合はこの心理が働く。なので、普段は真面目人間でなくてもこの時ばかりは教科書に載っている様な格好、長袖・長ズボン、フルフェイスのヘルメット、グローブ、着用でやばい雰囲気は極力消して行くことをお勧めする。

 

あと、実地試験では左右・後方確認が大事なのでそれをアピールしやすい工夫をすると良い。フルフェイスヘルメットの中央に前から後ろにかけて色のわかりやすいテープを貼って行くことが効果的である。実際に見ているかどうかは別にして首を左右に振る様子が遠くからでも確認しやすいからだ。

 

さて、限定解除してから(今でいう大型自動二輪免許)バイク選びが始まった。例によって仲間の載っていないバイクから選ぶ。傾向としてやはりアメリカンが少ないかな。で、排気量制限なし!真っ先に頭に浮かんだのはハーレー!でも真っ先に浮かんだ印象は信頼性。。。壊れやすいんと違う?

しばらく悩んだが、アメリカンに乗るなら本当のアメリカン(アメリカ製)でしょう!でも、ドコドコゆっくり走るのは趣味じゃない。結構スポーツな乗り方したいよね!で、調べたところハーレーにもスポーツスターという車種があるじゃないの!

 

仲間に故障を心配されながらも決めて、XLH1200Sっていうバイクを購入した。

 

 

このバイクはとても私の感覚に合ったバイクだった。私的にはこのバイクはとても速いバイクだという印象だ。サーキットで走ったら同排気量では遅い部類に入るだろうが、日常使いではとても速い。狭い日本の下道で図太いトルクでスタートダッシュキングって感じだろうか。とにかく出だしがハンパない力強さ。スタートしてすぐ交差点曲がって加速!をシフトチェンジ無しで軽くこなしてしまう。気合を入れない日常乗りでとっても楽しいバイクだった。

 

しかし、結構事故にあって廃車が続いたバイクでもあった。1回目は通勤途中ですり抜け中対向右折車に真横から当てられた。全治三ヶ月の重症で入院。マフラーにくるぶしの跡が刻まれていた。が、ベッドの上でバイク雑誌を見て次のバイクを検討するが、充分に堪能していなかったので同じバイクを注文した。2台目も同色の赤。退院して直ぐに慣らし運転で海岸沿いを走りに行き信号待ちで、デート中の車に後ろから突っ込まれてまたもや入院。廃車となった。3台目は色違いの青。これは片側一車線の比較的広い道路を走っていた時、結構手前から左の路地から出てこようとしている車がいたのは気づいていた。が、出てこない。。。対向車線も空いているのに出てこない。で、私のバイクが近づいて行き、対向車線も結構車が近づいてきている。今まで出てこないからこのタイミングでは来ないだろうと思っていたら、出てきた!ブレーキは間に合わない。車の側面に正面衝突した。。。今まで出てこないのになんで今出るかなというタイミングだった。で、廃車。。。この時は入院はなかったが股間をしこたま強打して気絶しそうだったことを覚えている。まあ、3度続いた事故で事故成金になり、4台目はカスタムしまくった。バックステップ、エンジンヘッド、カム、マフラー、ブレーキ、シーシーバー、キャブレター、ビキニカウル、オイルキャッチタンク等々。面白かったのは、国内メーカーのバイクはもともとかなりのポテンシャルにチューニングされているので改造してもたかが知れているのだが、ハーレーはマージンを残してチューニングしている、、、というか調整がもともと甘いので、弄れば弄る程別物のバイクと勘違いするくらい性能が上がって行ったこと。

 

そうそう、スポーツスターで改造にハマった理由の一つが、例のバイク病の原因となった先輩が、私のハーレーが思ったほど故障しない(事故りはしたが)のを確認した上で、ハーレーのエンジンを使ってハーレーからドロップアウトしたエンジニアが作り上げたビューエルというスポーツバイクを購入したことがある。一度乗せてもらったが、ハーレーの面白さを維持した上で本格的なスポーツライディングができる超面白いバイクだった。目指せビューエルで改造を続けたが、結局果たすことはできなかった。

 

そうそう、この頃オフロードバイクにものめり込んで、より走破性の高いバイクを求めて乗りやすいセローからヤマハのTT250Rに乗り換えてもいた。このバイクは悪路走破性はセローよりはるかに上を行くが、車高が高いので操縦スキルはセロー以上の腕を要求するバイクだった。

 

中学生の頃からバイクには興味があった。自宅の近くに大きなバイクが停めてある家があって、いつも家の前の道に無造作に置いてあった。

 

バイク屋さんを回ってチラシをもらったりしていたがお金を要求してくる店もあって、当時はなんて店だと思っていた。が、大人になった今考えてみれば、お店はお金を払ってチラシを購入しているわけだから客にもならない子供にタダでチラシを配る必要はない訳だ。

 

さて、実際にバイクに乗り始めたのは大学生になってから。バイトで貯めたお金を持ってバイク雑誌で調べた店に買いに行った。カワサキのAE80というトレールバイクだ。(まあ、オフロードバイクね!)あ、免許の方は高校時代に、当時バイクに関しては3無い運動(「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」)が盛んだったが、免許という国の認めた権利を学校ごときに禁止する権利はない!と考えて取得し学校に報告した。(資格だからね!)バイクを買うお金は残らなかったから結局は乗れなかったけれど。。。このバイクを買ったのは価格が安かったからだけど、バイクの楽しさを教えてくれたのは高校時代のギター仲間だった。山道や河原に連れていかれて急な坂道の登り方や下り方を教えてくれた。オフロードの楽しみを教えてくれた。

 

 

で、購入したバイクで遠出して割りのいいバイトでお金を貯めて、次に買ったのはスズキのGSX250Eを購入。就職するまで乗り続けた。

 

 

会社に入って1年間は乗り続けたが、全国区の企業に就職したのだが富山に赴任することになり、雪が降る冬場の足がなかったため車を購入し、バイクから少し離れることになった。しばらくすると、会社のもともとバイク乗りの先輩と同期の一人、そして新規にバイクを買った先輩の3人で、オフロードバイクをかって林道に走りにいくようになった。ここから私の本当のバイク人生が始まった。

 

 

先輩たちとツーリングに行くために中古のセロー225を購入。乗りつぶしては同じセローの中古車に買い替えを繰り返し、3台続けて乗った。本当にいいバイクで、どんなところでも走れるオールマイティーなバイクだった。

 

会社内で(独身寮ね!)バイク病が感染し、ドンドン増え続けていった。真っ先に第一感染源の先の先輩がオンロードバイクを購入し、オンロード仲間でツーリングに行き始めた。オフロードバイクで高速道路を着いていくのは大変だった。その頃すでにバイク仲間は20人を超えていた。その為、バイク選びも困難だった。なぜかというと、同じバイクに乗る人が少数派だったからだ。別にそういうルールは無かったのだが、暗黙のって雰囲気だった。。。と自分は感じていた。そこで選んだのがアメリカンバイクだった。いわゆる日本メーカーのジャパニカンってやつですね。色々迷って、ヤマハのヴィラーゴ400を購入した。

 

250cc以上のバイクには初めて乗った。まあ、友達のに乗せてもらったことはあったが所有しの乗り込んだのは初めてだった。パワーとトルクが250ccのバイクとは段違いだった。バイク仲間の印象は、アメリカンはのろい!まあ、確かにのんびり走るイメージだよね!しかし、日本車の場合エンジンは基本的にアメリカンもハーレーとかと比べると高回転型エンジンなので回せば回る!結構速いんです、直線ではね。コーナリングを早く走れるかどうかはバンク角が浅いので本来は難しい。でも頑張りました。ステップから火花散らして。。。峠に走りに行くと、一応仲間内ではトップ集団に入っていました。絶対的なスピードは恐らくスポーツバイクにはかなわないけれど、なんだろう?スポーツバイクとは少し乗り方が違うんです。スキーの様な、後輪に乗って走る感じ?

 

まあ、ここからオン・オフ2台持ちがスタンダードになった。そして、その病気も感染が広がった。。。最終的には2台以上所有する仲間は10人以上になったかな。

 

そして病状はさらに悪化することになる。限定解除である。。。

 

仲間内ではすでに限定解除している人間は何人かいた。しかし、それまで中型限定だった人が限定解除して大型バイクに乗り始めたのだ。その口火を切ったのも例の先輩だった。彼が乗り始めたのはカワサキのニンジャだった。2台以上持ちの仲間を中心に限定解除し始め、ついに私も耐えられなくなった。

 

 

 

 

「長男の自閉症」のところでも話したが、長男には視覚優位の特性が強い。なので、絵を習わせたいと、、、妻が思っていた。この辺の感性は僕は弱いんですよね。。。

 

で、また妻の探す力がすごい。多くの発達障害児を教えている絵画教室があるというので行ってみた。症状は様々だったが、みんな素晴らしい絵を描いていた。賞も沢山とっていた。いや、本当に素晴らしい絵で自分にはとても描けない絵だった。

しかも油絵、難しいのに。。。

 

 

習い始めて早々に面白い絵を描いた。富士山なんだけど、夕焼けの風景と夜の風景が合わさったような。長男は時間に関してとてもルーズだ。夏休みの宿題も最後の最後までやらないし、登校する際もいくら早めに起こしてご飯食べさせても結局遅刻ぎりぎりまでのんびり食べてるし。。。その理由の一端が垣間見れたと言うか。

 

時間というものの認識が普通とは違うというか。過去・現在・未来という概念が無いのかも知れない。全て現在なのかも。連続した今を生きているだけなのかも知れない。人間が作ってきた概念、時間の概念もそうだが、例えば高校・大学受験の時の偏差値で選ぶという概念?本来は将来やりたいことで選ぶべきで、、、ってそれも俺の概念か。とにかくそういった概念ってものから解き放たれてる感じ?動物的というか根源的というか、素直というか。。。人間のしがらみから解き放たれているというか。そんな風に感じた。

まず、妻が子供の頃から手を習っていたこともあり、子供には空手をやらせたいと思っていたみたい。いろんな空手教室を見に行ったが、子供四人だからなんて言っても費用が・・・。一つ目に入ったところは1人千円!安い!と思って入った。フルコンタクト空手の道場だった。しかし、しばらく通ってみたが実戦的ではあるものの基本を教えてくれない。いきなりみんなと同じ練習で、上達するという見通しの立たない道場だった。私もやれと妻に言われていたのだが、どうにもやる気にならず三女の面倒を見ながら見学する日が続いた。みんないい人ではあったんだけどね。

 

なので、通いつつも他の道場探しは続けていた。

 

で、見つけたのが伝統派空手、松濤館流の道場。そこの支部長が妻が子供の頃に通っていた道場の先生に似ていたらしい。笑って竹刀で叩くとか?もちろんそこに愛情があっての厳しい指導ね。

 

そこに移って正解だった。まず費用面。大人4000円、子供2000円、だけど3〜4人目以降は半額、5〜6人目はさらに半額。(そんなに大人数で習ってる家庭は無いので本当にそんなルールがあるのかも不明。)

費用の出し方がまた粋だった。一人目子供2000円、二人目も子供2000円、3〜4人目も子供で1000円✖︎2、5〜6人目を大人にして1000円✖︎2で8000円。安かろ?金額の高い大人を最後に持ってきてくれるあたりが本当に良心的。

 

しかもきちんと基本から丁寧に教えてくれる。本当にいい道場だ。私も48才から初めて空手を始めたが、去年初段(黒帯)を取ることができた。妻は二段。長男は人前で声を出すのが苦手なので空手でも気合をかけられないため今は1級止まり。茶帯ですね。長女と次女は初段で、三女は4級。次は茶帯です。みんな上達しました。

 

長男の成長は体力面でも発達が遅くて、始めた当初はうさぎ跳びもまともにできずに泣きながら練習していたのだが、今は余裕でできるようになった。すごい!

 

高校生になって、今までのように支援級ではなく他の子と同じように授業を受ける生活を送れば気合をかけられるようになるんじゃないかな?(あ、高校って言っても、登校拒否や支援級の子供たちを受け入れて簿記の資格を取らせてくれる高等専修学校です。でも、今まで温室のような支援級しか経験してこなかったので、結構辛そうです。この辺の話はまた後で。)