妻と私の発達障害(人生初の挫折) | 発達障害家族の子育て記録とたまにバイクの話

発達障害家族の子育て記録とたまにバイクの話

父親と息子が自閉症、母親と娘達がADHD。6人家族全て発達障害という家族の子育て記録と同じ発達障害児を持つ家族の参考になればという思いで始めました。

 妻のIQは平均値以上です。

 

 妻はADHDで興味が次々と移動しがちで集中力が続かない特性があります。なので一つのことを最後まで続けることが苦手。食器を洗ってる途中で洗濯を始め、洗濯物を干している最中に窓のサッシの溝が汚れているのに気がつき掃除に没頭、気が付けば洗濯も食器洗いも途中までしか終わっていない。多種多様な仕事を効率よくこなしていかなければいけない家事には向いていない特性です。しかし、いろんなことに興味を持って熱中する傾向があるので沢山の資格持ちです。調理師免許、算命学(占い師ですね)、ケアマネージャー、傾聴カウンセラー、ライフオーガナイザー、身体の緊張をほぐすケア(なんて言ったかな?)

 人とのコミュニケーションも苦手で人間関係をこじらせることが多いです。人当たりが良いので気に入られることも多いのですが、大抵気に入ってもらった人に裏切ったという印象を与えてトラブルことが多いです。興味が他に移ったタイミングでトラブります。考える前に行動するのが要因ですが、これは治らない気がします。

 能力の平均が高かろうが低かろうが、脳の能力のバランスが良ければ上手くやっていける、許容されます。しかしADHDの場合、できること(凸)でボーダーラインを引かれてできないこと(凹)がより目立つことでトラブルを生み安いのではないかと思います。

 

 IQは70〜130の間に95%の人が入ります。70以下の人、130以上の人がそれぞれ2.5%います。私はその上位2.5%に属しています。高校受験では偏差値70以上ある公立高校を受験し卒業しました。しかし、興味のあることには没頭できるけれど興味のないことには全く取り組むことができない脳の特性ゆえに、大学受験の共通一次では数学と物理の自己採点結果は満点でしたが英語と社会系は惨憺たる点数でした。結果、進学したのは偏差値60くらいの大学ですが、これは学力が落ちたというよりは科目による学力の差が大きくなったためです。ちなみに、大学を選んだ基準は興味のある研究室があったためでしたので、全く後悔はしていませんよ!

 

 会社に入るのも会社に入って昇格するのも全く障害はありませんでした。転職するまでは。

 

 始めの会社での昇格試験は、一般常識と知能検査を足したような試験と実務に関する業務論文でした。問題なく合格しました。しかし転職した会社では入社して20年を超えましたが一向に合格する気配がありません。試験内容はインバスケット方式と論文、これに合格した人は面接があります。

 インバスケットというのは自分が実際の仕事とは関係のない架空の人物になり架空の仕事を担当しているという設定のもと、様々な部署の人から届いたメールや書類を参考にして業務を進めていくという一種のゲームで、いろんな質問に答えていくというもの。普段研究開発業務に携わっている人間に、営業の仕事をあてがって複数の人間とのコミュニケーションを前提とした業務をこなす設定で何をしろというのか。。。これは試験を終えても全く出来不出来を実感することができない私にとっては意味不明なテストだ。発達検査の時に先生に話したら、ああ、苦手でしょうね。。。と言っていた。

 論文のほうも苦手です。私はデータを分析して法則を見極め原因を仮定し対策を施す。その結果を分析し効果を判定し原因を特定するといった学術論文的な客観視する論文は得意です。上司に例題を出されて解凍するたびにもっとやる気を前面に出した文章を書けと言われる。主観的・主体的な文章ってこと?よくわからん。がんばりたいとおもいます、一生懸命やります、を最後につければいいの?ほんと理解不能。技術者として事実のみを客観的に判断し主観に惑わされない様思考訓練してきたんだよ、俺は。。。

 

 本当に相性の悪い会社だ。入社当時は独身だったから昇給とか全然興味なかったが、いまは結婚して子供もいるので死活問題だ。かなり焦ってたし試験勉強もした。が、本当に私の脳には理解不能のようで全く進展はない。途中で発達検査を受けてIQは会社の多くの人よりも高いことがわかって落ち込んでいた自己肯定感は上がったし、アスペルガーという特性上こうした試験に対応できにくいこともわかって試験自体を受けることをやめた。試験に合格できない理由を理解はしたが納得はできなかった。だってそうでしょう?私よりも資格の上の人に対して業務内容を教育したり指導したり相談にのったりさせられるのに、自分は平社員で給与も低い。納得できる訳もない。。。

 

そうこうしているうちに鬱になった。。。ある日いつものようにバイクで出勤すべく家を出た。が、向かった先は山だった。3月のまだ寒い山。林道を見つけて登って行った。ガソリンが心許なかったがどこまでも登って行った。なくなったら帰らなくてもいいや、崖から飛んでしまおうか。。。道が無くなったのでバイクを降りて歩いて登った。疲れたので枯葉の上に横になってウトウトした。ふと気づくとのっしのっしと大型の動物が四つ足で歩く音が聞こえてきた。鹿?熊?喉が乾いてきたので持ってきていた水筒のお茶を飲んでいたらその音で気づいたのか足音は離れていった。

 

その頃家と会社では大騒ぎになっていた。会社からまだ出社しないのだけれど休みですかと妻に電話があった。妻はいつも通り出掛けたと回答した。どこにいるんだ、事故にでもあったのか。電話がかかってきたしメールも届いたが無視した。驚いた、こんな山奥でも携帯のアンテナが二本も立っていることに。昼過ぎまで山で過ごし風景を見ていたら心が静まってきた。妻に電話した。。。

 

そして、それ以降会社に行くことは出来なくなった。診察結果は抑うつ症。鬱病であった。