バイク遍歴 〜その1〜 | 発達障害家族の子育て記録とたまにバイクの話

発達障害家族の子育て記録とたまにバイクの話

父親と息子が自閉症、母親と娘達がADHD。6人家族全て発達障害という家族の子育て記録と同じ発達障害児を持つ家族の参考になればという思いで始めました。

中学生の頃からバイクには興味があった。自宅の近くに大きなバイクが停めてある家があって、いつも家の前の道に無造作に置いてあった。

 

バイク屋さんを回ってチラシをもらったりしていたがお金を要求してくる店もあって、当時はなんて店だと思っていた。が、大人になった今考えてみれば、お店はお金を払ってチラシを購入しているわけだから客にもならない子供にタダでチラシを配る必要はない訳だ。

 

さて、実際にバイクに乗り始めたのは大学生になってから。バイトで貯めたお金を持ってバイク雑誌で調べた店に買いに行った。カワサキのAE80というトレールバイクだ。(まあ、オフロードバイクね!)あ、免許の方は高校時代に、当時バイクに関しては3無い運動(「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」)が盛んだったが、免許という国の認めた権利を学校ごときに禁止する権利はない!と考えて取得し学校に報告した。(資格だからね!)バイクを買うお金は残らなかったから結局は乗れなかったけれど。。。このバイクを買ったのは価格が安かったからだけど、バイクの楽しさを教えてくれたのは高校時代のギター仲間だった。山道や河原に連れていかれて急な坂道の登り方や下り方を教えてくれた。オフロードの楽しみを教えてくれた。

 

 

で、購入したバイクで遠出して割りのいいバイトでお金を貯めて、次に買ったのはスズキのGSX250Eを購入。就職するまで乗り続けた。

 

 

会社に入って1年間は乗り続けたが、全国区の企業に就職したのだが富山に赴任することになり、雪が降る冬場の足がなかったため車を購入し、バイクから少し離れることになった。しばらくすると、会社のもともとバイク乗りの先輩と同期の一人、そして新規にバイクを買った先輩の3人で、オフロードバイクをかって林道に走りにいくようになった。ここから私の本当のバイク人生が始まった。

 

 

先輩たちとツーリングに行くために中古のセロー225を購入。乗りつぶしては同じセローの中古車に買い替えを繰り返し、3台続けて乗った。本当にいいバイクで、どんなところでも走れるオールマイティーなバイクだった。

 

会社内で(独身寮ね!)バイク病が感染し、ドンドン増え続けていった。真っ先に第一感染源の先の先輩がオンロードバイクを購入し、オンロード仲間でツーリングに行き始めた。オフロードバイクで高速道路を着いていくのは大変だった。その頃すでにバイク仲間は20人を超えていた。その為、バイク選びも困難だった。なぜかというと、同じバイクに乗る人が少数派だったからだ。別にそういうルールは無かったのだが、暗黙のって雰囲気だった。。。と自分は感じていた。そこで選んだのがアメリカンバイクだった。いわゆる日本メーカーのジャパニカンってやつですね。色々迷って、ヤマハのヴィラーゴ400を購入した。

 

250cc以上のバイクには初めて乗った。まあ、友達のに乗せてもらったことはあったが所有しの乗り込んだのは初めてだった。パワーとトルクが250ccのバイクとは段違いだった。バイク仲間の印象は、アメリカンはのろい!まあ、確かにのんびり走るイメージだよね!しかし、日本車の場合エンジンは基本的にアメリカンもハーレーとかと比べると高回転型エンジンなので回せば回る!結構速いんです、直線ではね。コーナリングを早く走れるかどうかはバンク角が浅いので本来は難しい。でも頑張りました。ステップから火花散らして。。。峠に走りに行くと、一応仲間内ではトップ集団に入っていました。絶対的なスピードは恐らくスポーツバイクにはかなわないけれど、なんだろう?スポーツバイクとは少し乗り方が違うんです。スキーの様な、後輪に乗って走る感じ?

 

まあ、ここからオン・オフ2台持ちがスタンダードになった。そして、その病気も感染が広がった。。。最終的には2台以上所有する仲間は10人以上になったかな。

 

そして病状はさらに悪化することになる。限定解除である。。。

 

仲間内ではすでに限定解除している人間は何人かいた。しかし、それまで中型限定だった人が限定解除して大型バイクに乗り始めたのだ。その口火を切ったのも例の先輩だった。彼が乗り始めたのはカワサキのニンジャだった。2台以上持ちの仲間を中心に限定解除し始め、ついに私も耐えられなくなった。