ある時、私の人生に突然ショックなことが許されました。

それは私の精神では、とても耐えることができない出来事で、私は心のバランスをとることができなくなり、精神の病になってしまいました。

 

毎日吐き気が止まらない日々が続き、吐き気を止めるために、家にあった頭痛薬や風邪薬を手当たり次第飲み始め、だんだんその量が増えていきました。

 

 

 

ある時は、突発的にたくさんの薬を飲んでしまい、体がおかしくなって、病院に行くという事を何度か繰り返しました。

 

そんな私の姿を見て、心配してくださった教会の方が、精神科の病院を紹介してくださり、私は教会で、牧師の方に病の癒しのために祈ってもらいつつ、病院に通って治療を受けることになりました。1回に10個ぐらいの薬を飲む、そんな日々が続きました。

 

しかし、神様はこんな私も見捨てられることなく、教会に通い続け、その中で癒しのために祈ってもらい、病院に通う中において、私の病はだんだんと癒されていったのです。

 

ある時、病の中で聖書を読んでいたときに、子供が与えられるという言葉が神様から与えられました。私はその言葉を堅く信じて、神様に癒しを求めていった結果、その後、急激に薬の量がへり、病気の症状がよくなり、神様の語られた言葉の通りに

子供が与えられるまで、元気に癒されて行ったのです。私はこの事を通して、本当に神様の語られた言葉は真実であるという事を体験し、喜びに満たされていきました。

 

 

そんな中でしたが、私の心の中には、一つの思いが残っていました。それは、どうして私に病が許されたのかという事です。病になった時の私は、教会で奉仕をさせていただいていたのですが、その一つ一つの奉仕も本当に祝福されており、何もかもが順調に行っていると思えていた時だったからです。病になったこと、病の原因が許されたことを考えるたびに、私は心に苦しみを感じ、悲しみと恐れを感じていました。

 

 

神様は聖書の中で、全てのことについて感謝しなさいとおっしゃっています。それは、良いと思えることにおいても、悪いと思えることにおいても、その裏に神様の素晴らしい計画が供えられており、神様が全ての事を働かせて、益としてくださるからです。

頭ではそのことは理解できました。でも感謝して祈ろうとするのですが、涙が出てきてしまって、苦しくて、祈ることすら、ずっとできなかったのです。

 

 

しかし、子供が生まれて、本当にそのことで喜びに満たされていった私は、少し子育ても落ち着いてきた中で、神様にじっくりと祈る時をもっていきました。

 

その中で、病気の原因となったことが許された事、また、病気になったことが許された事を神様に感謝して祈り始めていったのです。初めはやはり、涙が出て苦しかったのですが、本当にこの思いから解放されたいという一心で、神様に祈り続けました。

そんな中、私の所属している教会では、毎年イスラエルに行って祈ったり、神様に礼拝するチームが行くのですが、私もそれに参加したいと思うようになりました。

何度かイスラエルに行ったことがあり、いつも行くたびに神様の祝福をそこで受けていたからです。神様に祈る中で、主が共におられるという言葉が語られ、私は1歳になったばかりの娘を連れて、一人でチームに参加することにしました。今考えると、よくあの時一人で娘を連れてイスラエルに行ったなあと思うのですが、その時は、神様に触れていただきたいという思いでいっぱいだったのです。

 

 

イスラエルでは毎晩ホテルで集会がもたれます。ある日の集会で神様に賛美していた時、私は神様が今ここに私と一緒にいてくださっている事を非常に強く感じ、心に触れられました。

 

その時、賛美の後、このような神様の言葉が語られたのです。

「今回ここにきたかたの中に、長い間苦しんできたことの解放を求めている方がおられますが、そのかたはイスラエル滞在期間中に、神様に賛美を捧げることによって解放されます。」という言葉でした。その言葉を聞いた時、神様が私に語ってくださっているということがはっきりわかりました。

 

 

神様は、私がどんな思いで1歳になる娘を連れてイスラエルにまでやってきたのか、ちゃんと知っていてくださったんだ、とわかり、涙が出て止まりませんでした。それから私は、毎晩の集会の中で、神様に心から賛美し、褒め称え、バスの移動の中で、流されている賛美のCDに合わせて口ずさみながら賛美し、ホテルの部屋の中でも神様に心から賛美し続けました。

 

その中で、本当に今まで体験したこともなかったような喜びに私は満たされていったのです。そして、ある場所で、ホテルの部屋で、一人で神様を賛美していた時、本当に神様を近くに感じることができました。

 

その後、一つ一つ感謝の祈りを捧げていきました。病気になったこと、病気の原因が許されたこと、今まで苦しくて祈ることすらできなかったことも一つ一つ神様に感謝していきました。するとその祈りの中で、神様を私の心の中にこのような思いを与えてくださったのです。

 

「このことが許されたのは、神様の栄光が表されるため。」という思いでした。それははっきりと私の心の中に与えられた思いでした。

 

その時、私の心の中に、今まであった、苦しみの塊のようなものが消えてなくなり、恐れや不安から私は解放され、今まで体験したこともなかったような平安の思いに包まれていたのです。

 

さらに別の集会の中でも、歌っていた賛美の歌詞の中に、このような言葉がありました。

 

「苦しみにあったことも私にとって幸せでした。どこまでも進んで行こう。」この言葉を通して、私は心に深く触れられました。

 

そしてその直後読んだ聖書の言葉には、「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。私はそれであなたの掟を学びました。」と書いてありました。

この事を通して、本当にこの病が許されたことは、私にとって、神様の愛を深く知る、なくてはならない時だったんだと理解することができました。

 

この時から、私は、長い間私の中にあった苦しみの思いから、神様によって、解放されたのです。

 

苦しみから解放してくださり、私を癒してくださった神様の深い愛から私を引き離すものは何もないと私は今思っています。

私を解放してくださった神様に心から感謝しています。(A)

 

 

私にとって人間関係で悩むことは、私の弱さの一つで、以前働いていた職場で、同僚となっていた女性との関係がうまくいかず、とても悩みました。

 

相手からの言葉と態度に、私は心身ともに疲れ、弱ってしまいました。

 

 

ある日、気づけば、私の頭には、円形脱毛が10個ほどできていました。

 

髪の毛が抜け続け、その時は恐れと不安で休まらず、皮膚科へと受診しました。

 

お医者さんは「全部抜けては仕舞わないから大丈夫ですよ。一年ぐらいしたら元に戻るから」と言ってくださいました。そして、塗り薬を処方されました。

私は精神的に落ち込み、自分の弱さを実感しました。私には、髪の毛1本も増やすことができない事を痛感しました。

 

そんな中、一筋の光、希望が私の内側に溢れてきました。

 

それは、イエス様にお祈りすれば、癒してもらえるという思いになりました。

聖書の中には、たくさんの癒しのお話があります。

それで私も、円形脱毛症の癒しを求めました。

 

聖書の言葉で、病人に手をおけば病人は癒されます。私は自分でも祈り、また主人からも祈ってもらいました。

私の通う教会では月に1回、癒しの集いという、それぞれの病のため、癒されるように祈る集まりがあります。そこでお祈りをしてもらったところ、毎日抜けていた髪の毛の量が減りました。

 

もう大丈夫円形脱毛症は治る。髪はすぐに生えてくるという確信が与えられ、精神的なストレスで円形脱毛症になり、弱さを覚え、その弱さの中で感じた確かな希望は、イエス様が私を癒してくださるということでした。

イエス様は癒してくださいました。(Z)

 

 

私は妊娠の初期に血液の検査を受けたのですが、その結果不規則抗体というものが陽性であるとお医者さんから説明を受けました。

 

それまであまり聞いたことのない言葉でしたが、わかりやすくいうと、お母さんの血液が赤ちゃんの血液を攻撃してしまうものです。と説明されました。

 

不規則抗体にはいくつかの種類があって、危険度も3段階くらいあり、私の場合はその真ん中のレベルのもので、M抗体というものであると言われました。

 

不規則抗体は、輸血や出産によってできることがあり、陽性の場合、赤ちゃんに強い貧血や、黄疸の症状が出ることがあるので、一度大きな病院に行って詳しい検査を受けてください、と言われ、一般の病院で紹介状を出されたハイリスク出産の妊婦さんが通う病院を紹介されました。

 

検査の結果、数値が高ければ、そのまま転院しなければいけないとも言われました。初めのうちは不安があったのですが、教会で神様は病を癒すことのできる方であり、祈りに答えてくださる方であるという事を、いつも聞いていました。

 

そして、実際にたくさんの病が癒されているのを見ていました。それで私もたくさんの方にお祈りをお願いし、自分でも神様に祈っていきました。

 

神様に祈る中で、目に見える状況は何も変わっていなかったのですが、不安がなくなっていき、不思議なくらい安心することができました。詳しい検査を受けるまでの数日の間に、ちょうど教会の集会が行われることになっていました。

 

 

集会後、個人的に祈ってもらう時間があり、出産が守られるように、不規則抗体が癒されるように、お祈りをお願いしました。祈りの中で、癒されたいという強い願いが与えられました。その後、神様に祈る中、ある聖書の言葉が強く心に響いてきました。

 

 

 

それは、神にとって不可能なことは一つもありませんという言葉でした。

 

 

私には不可能でも、神様にとっては不可能なことは一つもない、と語りかけを受け、私の心は励まされ、希望が湧いてきました。その後、紹介された病院に詳しい検査を受けに行き、さらにその1週間後、緊張しながら検査の結果を聞きにいきました。

 

 

 

 

そこで、お医者さんはこう言いました。「検査の結果は陰性でした。」それは、神様に真剣に祈って来た、まさにその祈りの答えでした。正直にいうと、あまりにもびっくりして、しばらく呆気に取られていました。

 

夢でもみているような気持ちでしたが、だんだんと、神様が癒してくださったんだ。神様が祈りに答えてくださったんだ、と、喜びと実感が湧いてきて、心から神様に感謝しました。お医者さんは、念のため検査はしていきますが、病院はいままで通っていた病院のままで、転院する必要はないです、と言われ、そして、そのまま、無事に出産を迎えることができました。

 

 

私にとってあまりにもびっくりした、ありえない、けれども本当に起こった神様の癒しでした。(A)

 

私は子供の頃から偏食が多くて、お肉も魚も食べられませんでした。なぜかというと、元の生きていた時の姿を想像してしまうからです。そのため、給食には大変困りました。全部食べないとそとに遊びに行けないからです。ですから、お肉や魚は大抵床の上に落として、後から拾って捨てていたのです。

 

 

19歳の時に漫画家のアシスタントになるために愛知県から埼玉県に移動しました。締め切りの日に、編集の人が夜中に差し入れを持って原稿を取りにきます。それが毎回、唐揚げだったのです。私はそれまで唐揚げを食べたことがありませんでしたが、私だけ何も食べるものがないので、勇気を出して唐揚げを一個食べてみました。すると、「世の中にこんなに美味しいものがあったのか」と感動したんです。二十歳過ぎて初めて唐揚げの美味しさを知ったのです。そして、お肉や魚など、いろいろなものを食べることができるようになりました。

それから数年後私はクリスチャンになり、アルバイトをしながらキリスト教の出版社のイラストや漫画を書く仕事をするようになりました。当時通っていた教会には、一人癒しの祈りをされる方がいました。ノイローゼの方のために祈ったら、神様が癒してくださったという話もよく聞きました。いろんな教会の方々の癒しもされていました。

でも私は、現代は病院があるのだから、神様に祈って癒しを求める必要はないと思っていたのです。ところが、30代半ばのお話ですが、私は夜中に激しいお腹の痛みを体験したのです。

 

すぐに近くの病院に行き、いろいろ検査をしたら、膵臓炎だと判明しました。医師からは「膵臓は機能低下したら元に戻らないので、一生食事制限をしてください」と言われたのです。

食べていいのは、ご飯と味噌汁と野菜だけでした。油物は食べてはいけないと言われ、「海外に行ったら油物が多いので命の保証はしません」とまで言われたのです。家にいる時は何とかなるのですが、アルバイトで外出した時は困りました。食べるものがなく、ほとんどおにぎりやお寿司のかっぱ巻きぐらいでした。ある時、バイト先でうどんをとってくださったのですが、そこに卵が入っていたため、食べた後激痛に見舞われたこともありました。

膵臓はレントゲンは撮れませんが、胃のレントゲン写真を撮り、どうやって胃が押されて変形しているのかで膵臓の腫れを見るのです。夜中に何度も七転八倒の痛みを体験しました。救急車を呼ぼうと思っても、痛みで動けないので、そのまま祈りながら朝が来るのを待っていたのです。

 

大好きだった唐揚げや油物をもう一生食べることができない。海外旅行も、2度と行けない。そして少しでも油断すると激痛に見舞われる。こんな寂しい人生だと諦めるしかないと思っていました。

 

ちょうどその頃私は教会を変わりました。その教会は埼玉から2時間半かかる遠い教会でしたが、癒しを信じている教会でした。礼拝に出た後、いろんな方に癒しの祈りをしていただきました。そして、聖書を通して今も癒しがある事を教えていただいたのです。

 

前は病院があるから神の癒しはいらないのではないかと思っていましたが、それが間違いであったことに気がつきました。機能低下で一生治らないと言われた膵臓炎でも、神様の癒しがあるという希望が与えられたのです。そして自分でも癒しを求めて祈るようになりました。数ヶ月後には痛みもなくなってきて、夜中の激痛は全くなくなったのです。

 

 

ですから、卵や油を使わないお肉などを食べるようになりましたが、全く痛くないのです。新しい教会ではいろんなお友達ができました。ある、大企業の社長さんご夫婦が礼拝の後遊びに来てくださいと誘ってくださいました。そのままお宅に伺うと、食事を出して下さったのです。その中に大好きな唐揚げがありました。もう一年以上食べていません。勇気を出して一個食べてみましたが、その夜、何ともありませんでした。次の週にもそのご夫妻がお宅に招いてくださり、食事を出してくださいました。その中にまた唐揚げがあったので、今度は2個食べてみましたが、何ともありませんでした。もしかしたら癒されたのではないかと思い、色々食べてみましたが、全く何ともないのです。それからしばらくして、今の教会に変わりました。

 

ある年、イスラエルに行くことになりましたが、私は日本では油物が少ないので何とかなっているけれど、海外に行ったら命の保証はしませんと医師から言われていた言葉が引っかかりました。それで、大学病院で検査をしていただいたら、膵臓が悪かったという痕跡は何一つありませんと言われ、完全に癒されていたということが分かったのです。もちろん私は喜んでイスラエルに行き、美味しいチキンや魚をいただきました。

その後も仕事の関係で色んな国に行くことができましたが、食べ物に困ることはありませんでした。機能低下して一生治らないと言われた膵臓炎が、神様の癒しを信じるようになり、求めて祈ったことによって完全に癒されたのです。(M)

 

今から20年前のことです。

 

当時私は役者として人生を歩んでおり、一つの舞台が終わるとすぐ次の舞台の稽古に入るといった、舞台を中心とした日々を送っていました。

次の公演は、私の役が軸となってストーリーが展開していく大きな役でしたので、稽古にも自然と熱が入っていました。いよいよ本番まで3日。その日の稽古が終わった夜、私は車を運転していました。路上に車を止めて車を降りました。私の記憶には、そこから先がありません。

 

次の記憶は、私が病院の一室で寝ているところからです。

看護婦さんは意識が朦朧としている私に向かって、お名前はなんですか?とか、住んでいるところの住所を教えてください、とか聞いてきました。

 

私はその些細な質問に答えるだけですごく疲れ、答え終わるとすぐに寝てしまいました。そして起きるとまた同じ質問を繰り返し聞かれるのです。

 

私は自分の状況を全く把握していませんでした。私は舞台の稽古にいかなければ、とそのことばかりを気にしていました。

 

誰かがベッドを覗き込み、もうすでに舞台の公演は終わったと教えてくれました。しかし、なぜ終わっているのでしょう?私はさらに混乱してしまいました。

 

体を動かそうとしても力が入りません。左足の体勢を変えようとしても動きません。誰かが私に教えてくれました。私の左足はスネのあたりで骨が真っ二つに折れており、かかとに穴を開けて重りを吊るして引っ張られているということでした。

 

やがて、時間が経つにつれて私は現状を把握できるようになってきました。

 

 

その時の私は左足骨折、肋骨3本骨折、左の鎖骨を骨折、全身は擦過傷、顔はミイラ男のように包帯で巻かれていました。全治6ヶ月。意識は1週間ありませんでした。

 

原因はひき逃げの交通事故でした。状況はこうです。

 

私が車を路駐して、車のドアを閉めた瞬間に後方から来た車に跳ね飛ばされ、頭から路上に落ちたのです。

 

事故担当の警察の方からはこのケースは普通、死亡事故になるそうで、生きているのは奇跡だと言われました。

 

頭から落下したら即死するのが通常です。ですが私の場合は、持っていたカバンが頭と地面の間に挟まり、クッションの役割を果たし、頭を守ってくれたと聞きました。私は即死してもおかしくない事故で、奇跡的に生きたのでした。

 

私は意識は戻り、病院のベッドで生活しながら、頭の中でずーっと消えずに止まっている、ある思いがありました。それは、「私は生かされている」という思いでした。

 

私は事故以来、この、「私は生かされている」という思いとともに歩みました。事故をきっかけに、役者をやめました。

 

 

今までの目標を失った私は、何のために生かされているのかということを考えつつ生きるようになりました。この「生かされている」という思いとともに、それでは「誰に生かされているのか」という思いも同時に抱いていました。

 

その、私を生かしている存在を知りたくてたまりませんでした。おそらくその存在は、この万物を創造した神なのであろうと思い、どのようにすれば出会えるのか、街で資料を集めてみたり、調べたりしました。

 

超常現象 や、異星人について調べたり、様々な宗教に興味を持ってみたり、いろんな神社から買ってきた札を部屋に張り巡らしてみたり、海外を旅し、シャーマンがトランス状態になるために用いる幻覚植物を摂取してみたり、どうしたら私を生かしている存在を知ることができるのか、ずっと探し続けていました。しかし、事故にあい、ベッドの上で「私は生かされている」と感じた、あの感覚に繋がりませんでした。

 

 

事故から14年経ちました。当時の私は日本一周の旅をしており、旅先で出会った方のライブをみに、教会へ行くことになりました。

思えば、観光がてらに教会へいったことはありましたが、教会が一体どんなものなのかということをあまり知りませんでした。

 

ライブの内容は、日本で作られたオリジナルゴスペルでした。そのゴスペルを聞いているうちに、目からは涙があふれ、ボロボロ、ボロボロと止まらなくなったのです。ライブの後に、牧師を初めとするみなさんに、イエスキリストの話を聞きました。その時に、イエスキリストが実際にいたんだということを知りました。

私はその日、その場所でクリスチャンになりました。

あれからまもなく、6年が経とうとしています。私は、あの時から今までクリスチャンです。

 

20年前、病院のベッドの上で、「私は生かされている」と感じた、あの感覚に繋がる存在を、今は知っています。

 

イエスキリスト、私はあなたによって生かされています。

(M)