次女の不登校の原因であった、分離不安症について話したいと思います。次女には二つ上の姉と一つ下の弟がいます。3人とも年が近いため、子育ては毎日が大変でした。特に年子で弟が生まれたため、次女はすぐにお姉ちゃんになりました。しかし、一番手がかからないのが次女で、夜泣きもほとんどありませんでしたし、保育園の慣らし保育もいらないほど落ち着いていました。そんな次女が小学校入学してすぐに学校に行けなくなりました。

 

腹痛を訴えるようになり、明らかに元気がなく、笑顔も消えて、食欲もありませんでした。匂いにも敏感になり、「学校から帰って来た姉は学校の匂いがするから嫌!」とすぐにお風呂に入らなければいけないほどでした。突然のことで、どうしたらいいのか対応に悩みましたが、入学してすぐによくあることだから、慣れたら大丈夫だろうと、無理やり登校させようとしましたが、今までに見たことがないくらいに激しく泣いて拒否をし、絶対に学校に入ろうとしませんでした。

 

 

それから学校だけではなく、他のどんな場所も親と一緒じゃないと行けなくなりました。電車にも乗れなくなり、親が一緒でも外出するのが難しい時もありました。学校のカウンセラーの先生に相談し、専門のクリニックを受診しました。「無理には学校には行かせずに、安心できる場所にいさせてあげてください、それが今は一番大事です」と言われました。

 

分離不安症は、自宅や家族など、愛着を持っている人物からの分離に対して過剰な恐怖や不安を抱いてしまう疾患です。それから私たち家族の生活は一変しました。私か主人かどちらかが一緒にいないと行けないため、仕事の時間の調整をして主人は私と交代で夜に仕事に行くようにしました。どこに行くにも一緒のため、かなりの行動制限があり、休みの日も家族で遠出するのも難しかったりと、他の二人の子供たちにも、かなりの我慢をさせてしまったと思います。しかし、幸いなことに、私たちの心は守られていました。なぜなら私たちには神様がおられるからです。

 

 

「次女のことを一番知ってくださって、愛してくださっている神様が、この病も癒してくださる」と信じていました。そしてこのことを毎日感謝してお祈りしていました。

 

 

 

学校には行けなくなった次女でしたが、毎週日曜日、一緒に教会には行くことができました。ずっと家にこもっていると、曜日感覚も麻痺してくるのですが、日曜日に教会に行くことによって次女は元気になっていきました。

 

 

全く学校にいけなかった次女ですが、親と同伴で登校もできるようになり、親以外でも、お姉ちゃんとお留守番できるようにと、徐々に癒されていきました。このまま良くなっていくかな、と思っていましたが、3、4年生はまた全く学校に行けなくなりました。

 

5年生になる前にクラス替えがあるので、神様にお祈りをしました。「次女が親のように安心できる担任の先生になりますように、願わくば、○○先生になりますように。」ここが最後のチャンスのように思い、心から神様にお祈りしました。〇〇先生は長女の担任の先生だったのですが、とてもお世話になっていて、女の先生で、次女にぴったりだな、と願っていました。

 

そしてなんと、神様はお祈りに答えてくださり、〇〇先生が担任になったのです。ここから奇跡は始まりました。5年生になって、先生が毎朝家まで迎えに来てくださり、次女は学校に行けるようになったのです。6年生の最大のイベント、修学旅行にも行けました。学校では委員会の委員長をやったり、6年生の代表で、中学校で発表することもできました。カウンセラーの先生は、「こんなケースは珍しい」と驚いておられました。教会に行っているのを知っていたので、「神様ですね」と言ってくださいました。学校の先生方からは、「〇〇小学校の奇跡」と言われました。神様が奇跡をなしてくださったのです。

 

 

 

この春、次女は高校生になりました。教会ではゴスペルを歌っているのですが、この夏、なんと全国大会に出場し、大きな会場で、たくさんの観客の前でゴスペルを歌うことができました。今でも不安になることはいろいろあるのですが、本人は、「いつも神様が大丈夫と言ってくれるから、心配はしなくていい」と言っています。神様が次女の不安を取り除いて、安心を与えてくださっているのです。

 

 

次女の分離不安症を癒してくださった神様に心から感謝します。(K)

 

 

 

私と妻とは、ちょっと変わった場所で出会いました。それは、精神病院の中だったんです。妻は16歳の頃発病し、精神分裂病、今でいう、統合失調症と診断されて、14年もの間、入退院を繰り返していました。

 

 

一方私の方は、薬物依存症の挙句に、精神に異常をきたしてしまって、心因反応という病名で入院させられていました。そして、病院の中では、特に入院患者の中でも病状の悪い人が入れられる、保護室という個室にたびたび閉じ込められてしまうような状況で、その保護室の中で、絶望を覚えていたような状況でした。

 

妻も保護室に何度も入れられるような状況だったんですが、そんな私たちが出会った時に二人は恋に落ちてしまいました。そして、先生をはじめ、周りの方々の反対を押し切って入院中に入籍をしたんです。

 

しばらくして、少し病状が良くなったということで、先生の許可をいただき、私たちは退院することができました。

 

退院するときに、先生から言われたのは、

 

「この精神分裂病という病気は今まで完治した例はありません。だから、退院したからと行って油断することなく、薬を飲み続けて、また病状が悪くなったら入院するようにという事と、妻には育児をする能力はないので、子供はもうけないように」

 

というアドバイスをもらいました。そして私たちは退院をし、新しい生活が始まったんですけれど、けれども、精神に病気を持った私たち二人の生活というのはあまりうまくはいきませんでした。

 

私は睡眠薬と強いお酒を同時に服用するような状況になり、再び、薬物依存に陥ってしまい、また妻の方も、非常に不安定な状況が続き、そしてある時には睡眠薬を大量に飲んで、自殺未遂をしてしまうような生活が続いていきました。

 

 

 

私たちの前には、なんの希望もない、そのように思えていました。

 

けれども、そんなある時に、友達がキリスト教の教会に誘ってくださったんです。この教会で、精神病が癒された方がいて、その方は牧師夫人として神様に用いられている、と教えてくれました。

 

私たちはその話を聞いて、希望を見出したんです。そして教会に通うことにしました。教会では、私たちの罪の身代わりとなって、イエスキリストが十字架にかかってくださったので、私たちが自分の罪を悔い改め、イエスキリストを救い主として信じるならば、罪が完全に許されるということや、約2000年前に地上で病気の癒しや悪霊追い出しをなされたイエスキリストは、十字架の上で死なれたけれども、3日目に蘇って、今も生きて働きておられるので、そのイエス様に求めるならば、病気も癒されるというような話がされていました。

 

そして、何度目かの礼拝の中で、私たちはこれまでの罪を悔い改め、イエスキリストを自分の救い主として信じ、受け入れるお祈りをし、私たちはクリスチャンになりました。

 

 

その後、教会の方々のとりなしのお祈りと神さまの愛を受けながら私の病気は癒されていきました。

 

睡眠薬を止めることができただけでなく、お酒やタバコも全然ほしくなくなって、無理することなく止めることができました。

 

けれども、妻の方はしばらく不安定な症状が続いていきました。

 

そんなある日、教会の集会の中で、私は初めてギターを弾く奉仕が与えられたのですけれど、

 

 

その日、妻は特に症状が悪く、朝から取り付くしまもないという状況でした。そして、その日事件が起こったのです。ギターの奉仕終わって、席に戻ろうとした私に向かって、妻が突然大声で叫びながら私に殴りかかって来たんです。

 

慌てて、妻をなんとか取り押さえて、会場の外へ連れ出して行ったのですが、

 

そのとき、私は、神様はなぜこんなことを許されるんだろうと、非常に辛い、また暗い気持ちになってしまいました。

 

そして、神様に向かって、心から助けてください、と叫ぶような祈りをしたんです。

 

 

しばらくして、妻が少し落ち着いたので、集会の会場に戻ることができました。

 

その集会の後に、そのとき来てくださっていた講師の方に祈っていただく機会が与えられました。そして、その祈りの中で、その講師の方を通して神様の言葉が語られました。

 

それは、

 

「あなたの病気は霊的なものですから、霊的な対応をなすときに癒されています。

私はあなたに既に賜物を与えています。教会に通い続け、教会の守りの中で賜物を用い続けていく時に、私はあなたを完全にいやそう。」

 

という内容でした。

 

このとき、現実を見るなら、妻の病気は癒されるはずがないとしか思えないような状況だったのですが、私たちは語られた言葉を吟味し神様からのものと受け止め、そして神様に従うことを選びました。

 

妻は、礼拝をはじめ、教会の集会に出席し続け、教会の霊的な守りと、また助けを受けながら、賜物を用いていきました。

 

 

 

すると、3週間ほど経ったときでした。はっきりと状況が変わって行ったのです。妻の内側にあった不安や恐れ、また、幼い頃から虐待を受けていたために抱き続けていた、両親に対する憎しみの思いがいつの間にかなくなっていたんです。また、はっきりと病的な症状も出なくなりました。

 

こうして、お医者さんに絶対治らないと言われた妻の病気も、神様の言葉に従うことによって癒されて行ったんです。

 

また、育児能力がないと言われた妻が、現在、6人の子供の母として、家事を難なくこなしている姿を見るときに、神様の言葉の真実さと恵深さの故に、私は神様を褒め称えずにはいられません。

 

 

 

数年後、私たちの主治医と電話で話す機会が与えられました。そのときに、先生はこのように言われました。

 

あなたたちは私の希望です。この病気で薬も飲まずに社会でうまくやっている人たちは、あなたたちだけです。

 

という風に言われたんです。

 

 

 

けれども、もちろん、真の希望はイエスキリストにあるということは私たちは体験したんです。そして、この癒しを与えてくださったイエス様に心から仕えたいと願い、

 

今では、私は牧師として、妻は牧会伝道師として、神様の奉仕を喜んでなしています。

 

 

かつて精神科の病院の保護室の鉄格子の中で、絶望のどん底に置かれていた私たちはイエス様の救いと癒しを受けて、全く新しく変えられました。

 

イエス様に心から感謝を捧げています。

 

それでは最後に聖書の言葉をお読みして終わりたいと思います。(D)

 

教会はキリストの体であり、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられるところです。

 

 

私は16歳の時に、精神の病を発病しました。主治医からは統合失調症と診断され、入退院を繰り返していました。自分の中の憎しみや、破壊的な思いが抑えきれなくなると、心のコントロールがきかなくなり、精神安定剤に頼らなくては、夜も寝られなくなり、食事も喉を通らなくなるのです。

 

病状が悪化すると入院して、落ち着いてくると退院し、1、2年ほどでまた悪化し、入院するという生活が14年間も続いていました。

 

 

 

入院中は、特に病状の悪い人が入れられる、保護室というところにたびたび閉じ込められていました。その部屋は、テレビドラマなどで見る、独房とほぼ、同じような部屋です。

 

鍵を閉められ、何もすることがない部屋なのです。退院してもまたいつ病状が悪化するのかと、恐れと、不安な日々を過ごしていました。

 

主治医からは、「この統合失調症という病名の人が完治したという記録はまだありません。

ですから、薬を飲みながら、病気とうまく付き合っていくしかありません」と言われました。

 

 

 

自分でも、自分の病状が治るとは、とても思えませんでした。当時のことを振り返ってみますと、辛いことがあったりすると、受けるダメージは、今の私は10%だとすると、病気だった頃は98%のダメージを受けて、とことん追い詰められてしまうといった具合でした。

 

 

そんな私が、前々から知っていた人と急に親しくなった頃です。私はまたいつもの窮地に追い込まれ、その親しくなったばかりの友人に相談することになったのです。

 

その友人は、こう言いました。「実は、今週の日曜日に初めてキリスト教会の礼拝に行ったんだけど、あなたみたいな、治らないと言われた精神の病の人が全くよくなったって聞いたんだけど、もしかするとあなたも良くなるんじゃないかな」

 

 

 

 

と、教会の礼拝に誘ってくれたのです。

それからは、毎週日曜日には礼拝に行くようになり、半年も立たないうちに、自分の中にいつも感じていた憎しみの塊みたいなものが消えていることに気が付きました。

 

 

たびたび、窮地に追い込まれていたことが、いつの間にかなくなっていったのです。病気が悪化するのを恐れていることも、なくなりました。

 

主治医からは、育児能力が低いので子供は設けないほうがいいと言われていたのですが、今では6人の子供がいます。

 

 

 

 

主治医からは統合失調症は治らないと言われていましたが、教会で神様の教えを聞けば聞くほどに、私の精神の病はよくなっていき、完全に癒されました。

 

16歳の時から14年間の間、何度も何度も窮地に追い込まれましたが、長く辛い日々から、全く脱出できたのです。(H)

 

 

 

 

 

今から25年前のある日のことです。夜突然心臓の発作がありました。

脈が異常に早くなる不整脈で、朝になるまで我慢しようと思ったのですが、我慢できず、夜中にタクシーで、新宿にある心臓病で有名な病院に行きました。

 

 

 

病院についた途端、私は集中治療室に運ばれ、よくテレビドラマで見る、心臓のモニターをつけられ、処置を受けました。

 

 

医師からは、また発作が出るようなら手術だと言われました。集中治療室の中で、私の想像は、体に付けられたモニターの波形がゼロになり、ご臨終ですという、ドラマでみるシーンが頭をよぎり、これは大変なことになったと思いました。

 

1日の入院だけで家に帰ることができたのですが、職場に連絡ができなかったため、職場から家に電話が入り、家でも状況が分からず、私は救急車で病院に運ばれたということになってしまい、ちょっとした騒ぎになっていました。

 

 

その頃、仕事では新しいプロジェクトの一員として、そのストレスがあり、それが体調不良の原因かと思ったのですが、原因はわかりません。

 

ただ、それから体調が悪く、不整脈の小さな発作もあり、いつまた大きな心臓の発作が起こるかわからないという不安でいっぱいでした。

 

普通に生活はできるんですが、精神的にも辛く、閉鎖空間がダメで、例えば床屋さんでじっとしていることも、大変でした。このままでは仕事にも影響が出るという状況で、不安な毎日を過ごしていました。

 

しかし、教会では神様が癒してくださるというメッセージと、実際の体験談をたくさん聞いていたので、牧師さんに祈ってもらうとともに、自分でも癒しのために祈りました。

 

祈り続ける中で不整脈がなくなり、不安もなくなって来ました。祈っていただいた牧師さんに、癒されたことを報告すると、大変喜んでくださいました。

 

神様の癒しに感謝しています。(Y)

 

 

クリスチャンなるためにはどうしたらいいかというと、クリスチャンとはという事を知らなければなりません。聖書では何て言っているのかと言いますと、「人は全て罪人である」と言っています。その罪の内容に関しては、マルコの福音書に書いてあります。

マルコの福音書7章20節にこう書いてあります。

「また言われた。人から出るものこれが人を汚すのです。内側から出るものすなわち人の心から出てくるものは、悪い考え不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、妬み、そしり、たかぶり、愚かさであり、これらの悪は皆内側から出て人を汚すのです。」

 

こう書いてあります。これは一つの罪の現れに関して言っていることですが、中心的には、モーセの律法を破ること、そして具体的には今言ったような事柄です。

 

そして、人は全て、偉人であってもガンジーであっても、あるいは法王であっても、あるいは日蓮であっても釈迦であっても、全て罪人なんですね。

 

そしてその結果主の裁きを受けるのです。これが人の運命となります。罪の裁きを受ける。このことが起こる訳ですね。

 

ですから私たちは全て罪人であり、裁かれるものである、ということです。そして裁きの結果はどういうものかというと、一つは、神との関係がなくなる。

 

ですから、神と人との間に断絶ができて神との交わりがなくなる。そして、一つは永遠の滅びです。

 

死の後に、神から永遠に隔絶された場所、地獄とも言います。そこに行く。

 

これが聖書に書いてあることです。

 

しかし、神様は神様の一人子であられ、また神様ご自身であり、神であり人である、イエスキリストをこの世に遣わせてくださいました。

 

そして、このイエスキリストは他の人と違うところがあります。それは何かというと、ただ一人、罪のない方でした。

 

他のものは全て罪人であるにもかかわらず、イエスキリストは罪のないお方だったんですね。そして神はその一人子であり、神ご自身であるイエスキリストを私たちの罪の身代わりとして十字架につけられたのです。

 

そこのところはイザヤ書の53章という聖書箇所に出てるんですね。

 

これはイザヤという方が預言した箇所で、イエスキリストが生まれる700~800年ほど前に預言したところですが、その53章5節6節にはこうあります。

 

「しかし彼は私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちのとがのために砕かれた。彼への懲らしめは私たちに平和をもたらし、彼の打ち傷によって私は癒された。私たちは皆、羊のようにさまよい、各々自分勝手な道に向かって行った。しかし主は私たちの全ての咎を彼に負わせた。」

 

つまり、私たちの罪をイエスキリストに負わせたということですね。皆さんはイエスキリストが十字架に掛かられた事をご存知ですが、これはどういう意味を持っているのかと言いますと、私たちの罪の身代わりになって殺されたと、こういう意味を持っています。

 

ですから、イエスキリストを信じるもの、これは罪が赦されるという事になります。

 

で、クリスチャンっていうのは、このイエスキリストを信じて、実は自分は罪人なんですが、罪が赦されたもの、実は我々は裁かれなくてはいけないんですが、かわりにキリストが裁かれてくれたので、裁きの代わりに祝福を受けるものとなっていったもの、これがクリスチャンということになります。

 

そしてイエス様を信じた時に罪の赦しとともに永遠の命が与えられるというこのことが起こってくるんです。

 

ですから、皆さんがクリスチャンになる時には、皆さんが罪人である事を認めて、そしてイエスキリストの十字架を信じる。そして罪を悔い改める。神様の前に謝る。このことが必要なんです。

 

ですから、この事をなす時に、皆さんは、クリスチャンとなる、つまり、神の子ということになります。

 

皆さんの中で、自分は神の子になりたいと、私も罪の赦しを受けたい、と思われた方がおられると思います。今、そのためのお祈りを致しますので、もしそう思われた方は、どうぞ私の後について祈ってください。

 

特に、十字架によって罪が赦される事が中心ですから、イエスキリストの十字架を信じてそして、私の後について祈っていただきたいと思います。私が言いますので、皆さんはその後について祈ってください。信じたいと思われる方は、どうぞ私の後について祈ってください。

 

天のお父様、

私はあなたを信じます。

今まで信じなかった事を許してください。

私は自分が罪人であることを認めます

私の全ての罪を赦してください。

イエスキリストの十字架によって

全ての罪が赦された事を信じます

イエス様、

私の心の中に入ってください

約束通り、

イエス様が

私の心の中に入られた事を感謝します

私は罪赦されました

私は救われました

私の人生はあなたのものです

感謝いたします

イエス様のお名前によってお祈りします

アーメン

 

今、祈られた方は祈りが聞かれています。

そしてクリスチャン、神の子となったんです。

 

そういう方々にこれをする事をお勧めします。

まず第一にご自分で神の前に出てください。

そして、ご自分が小さい時から犯したと思われる罪を一つ一つ告白して、そしてそれを赦してくださいと悔い改めていただきたいと思います。忘れてしまった罪もあると思いますので、その罪に関しては、忘れてしまった罪を赦してください、と言ってください。そして、最後に、「イエスキリストの十字架によって全ての罪が赦された」と宣言していただきたいと思います。

また、日曜日に教会の礼拝にオンラインでもよいので、出席することをお勧めいたします。