今から5年以上前のある時のことです。私は体調の不調を感じながらもなんとか日々の生活を送っていました。何か、物事に集中したり、考えたりすると、頭が重くなってきたり、痛みが発生したりしてきました。中学生の頃運動部だったので、歩いたり走ったりすることが大好きだったのですが、歩くことすら億劫に感じて、5分ぐらい歩き始めると、全身が痺れて痛くなって途中でしばらく休んではゆっくり歩き始めると言うことが続きました。それで私はある時、内科の病院に行って検査を受けることにしました。検査の結果、先生は、精神的な病気の症状だと思いますよ、うつ病の症状だと思います。うつ病です、と言われました。そして、結果的に、私は自宅でしばらく療養生活を送ると言うことになったのです。

 

 

 

この出来事は私にとって、まさにマイナスの出来事でした。

 

 

 

 

 

自宅で、寝たきりの状態が続く中で、私は初めの頃は悲しくて泣いてばかりいましたが、ある時、こんな時こそ神様に感謝をするのかな、と言う思いが与えられました。なぜ感謝をするのかと言いますと、聖書に、「全てのことについて感謝しなさい」と書いてあるからです。

 

 

マイナスと思えること、悪いと思えることにも、神様の素晴らしい祝福と最善の計画が用意されているからなのです。私は、少しづつですが、神様に感謝のお祈りをしていきました。神様、精神的な病気が許されていることを感謝します。うつ病を感謝します。うつ病の症状を感謝します。しばらく感謝のお祈りを続ける日々が続く中で、だんだんと私の心は開放されていき、寝たきりの状態からも最終的には解放され、立ち上がる力も、そして再び歩く力も与えられていきました。

 

 

生きる力、生きる希望、生きる喜びが再び与えられていきました。私はそのことを心から神様に感謝しました。そしてこの感動を忘れないようにと日記のようなノートに書き記しました。読み直してみると、まるで詩のようで、これにメロディーが与えられたらゴスペルになるのではないかとふと思ったのですが、その時はノートを閉じて、直しました。

 

 

それから数年後、昨年起こった出来事です。私たちの教会では、オリジナルゴスペルの歌集の制作という働きが神様によって導かれています。私は神様からそのオリジナルゴスペルの歌集の働きのために作詞作曲をするようにという導きが与えられていたのですが、締め切りがもう間近に迫っているのに、応募することができる曲が準備できていないという状況に陥ってしまっていました。私は神様に、その状態を「ごめんなさい」とお祈りして、神様に、「今からでも新しいゴスペルを与えてください。そして応募することができますように、助けてください」と祈りました。

 

 

 

その時、かつて生きる力、希望、喜び、が与えられた、感動した日記のノートのことを思い出しました。私は急いでそのノートを探し出して、開きました。今一度書いた内容を読んでいくと、やはり詩のようで、これにメロディーが与えられたらゴスペルになるのではないかと思い、神様に、「どうかメロディーを与えてください。そしてゴスペルにしてください。」とお祈りしました。すると、心になんとなく、メロディーが与えられてきて、そして、しばらくすると、一つの曲として、なんとか形になったので、思い切って応募することにしてみたのです。

 

 

 

すると、特別な神様の恵によって、次の新しいオリジナルゴスペルの歌集の中に選曲される一曲となりました。私はとても驚き、心から神様に感謝しました。また、さらにもっと驚くことがありました。ある方から、「その曲を通して、とても苦しい状況の中から神様から励ましと慰めが与えられ、助けが与えられたんです」という体験談をお聞きする機会があったんです。私はそれを聞いた時、とても驚き、神様に心から感謝を捧げ、神様を褒め称えました。

 

まさに私にとってマイナスと思っていた出来事がプラスとなったのです。そのことを心から神様に感謝します。

 

 

ある時、私の父が腰のヘルニアの手術をすることになりました。腰の状態が非常に悪くて、すぐに手術をした方がいいとお医者さんに言われ、腰の手術をすることになったのです。

 

 

手術は無事に終わりました。そして後日、病院の先生から、退院までのスケジュールのお話がありました。しばらく入院をして、術後の様子を見ましょう。そしてリハビリをして、歩けるようになってから退院ですね、ということでした。そして手術の費用と入院費は大体このぐらいかかりますよ、退院の日にお支払いいただきます、という話だったんです。

 

私たち家族はその手術費用と入院費用の額を聞いて落ち込んでしまったんです。なぜかというと、実際問題として、その金額を支払えるだけのお金がなかったんです。父は手術する前から腰の痛みが酷くて、仕事もできないほどでした。ですからその間はお給料も少なくて、また母も体調が思わしくなく、仕事ができる状態ではなかったんです。ですから、私がなんとかしなければ!という思いが強かったんですけれど、助けることもできませんでした。

 

 

もう本当にどうすることもできないという状況になってしまったんです。しかし、私たち家族はクリスチャンで、聖書には、「全てのことを感謝しなさい」と書いてありますし、「求めなさい。そうすれば与えられます」と書いてありますので、「経済的に非常に厳しくて、手術代、入院費が支払えないことも感謝します。そして、手術代、入院費を支払うお金を与えてください」と神様にお祈りして、求め始めて行きました。

 

 

そんな中、父の退院する日が決まりました。でもまだ経済はありませんでした。ですからとにかく必死に、毎日毎日、お祈りを続けて行きました。でも状況は全く変わらなかったんです。そしてついに明日退院と言う日まできました。しかし、経済状況は変わらず、支払うお金は私たちの手元にはありませんでした。

 

困ってしまって、その日の夜中、「神様助けてください。明日が退院です。支払うお金がまだありません。助けてください。」とお祈りをしていきました。しばらくお祈りしていると、私の心に一つの思いが湧いてきました。それは「安心しなさい」という言葉です。この「安心しなさい」という言葉が私の心に湧いてきた時に、すごく不思議だったんですけれど、特に状況が変わっているわけではないんです。お金が与えられたわけでもありませんでした。でも、なぜかびっくりするほどの安心感に包まれて、気がついたら寝てしまっていました。

 

そして、退院当日の朝、5時ぐらいに家の電話が鳴ったんです。母がその電話に出てみると、以前父が親しくしていた友人の方で、十数年前ぐらいから連絡を取れていないという方でした。

 

 

 

その方が、父と話したいと言って来られたので、入院していますよ、とお伝えしました。そうすると、その方が、「以前、あなた方のお父さんにお世話になったので、何かしてあげたいと思って電話しました」という風にいって来られたそうです。びっくりしました。そしてその方が、「何か困っていることはありませんか」と言って来られたそうです。そこで、突然のことでびっくりしたんですが、正直に手術の費用と、入院費用を支払うお金がないということをお話ししました。そうしたところ、なんとその方が、「私に支払わせてください」と言ってくださったんです。

 

 

 

「えーー?!」と思いました。必要な経済がそこで与えられました。しかもそれは、父が退院する数時間前のことでした。私はびっくりしました。まさかこんなことが起こるとは!と思って神様に感謝しました。

 

神様は私を愛してくださっていて、私の祈りを聞いてくださって、そして助けてくださったということを、このことを通して体験することができたんです。

(N)

教会では、毎日礼拝が行われています。私はスタッフとして奉仕をさせていただいている曜日があります。

 

会堂の椅子を準備している時のことです。柱の奥にある、消毒済みのパイプ椅子を取り上げようとして、手を伸ばし、一脚を持ち上げた瞬間、十脚ほどがなだれて来て、柱の間に板挟みになって、右腕を強く打撲して損傷してしまいました。一瞬の出来事に戸惑いました。

 

 

「やってしまった」と口にしてしまいました。しかし、聖書では悪いことも良いことも、全て感謝しなさいとあります。それは、神様が最善に導いてくださるからです。すぐに心の中で、この状況を感謝して、お祈りしました。不思議と心は平安に満たされ、痛みもほとんど感じませんでした。傷は縦12、3センチほどで、損傷が一部酷かったので、すぐに止血をしました。そして、近くにいたスタッフのSさんがすぐ、氷を準備してくださり、応急手当てをしました。

 

それからすぐに、Sさんの助けを借りて、タクシーで病院に向かいました。

 

向かった先では、総合病院の形成外科を受診しました。右手が使えない私に変わって、Sさんが受付上必要なことは手伝ってくださいました。そして側で励ましてくださり、待ち時間は一緒にお祈りをしてくださいました。とても心強く、神様に感謝いたしました。教会でも、とりなしのお祈りをしてくださいました。

待ち時間も全く痛みを感じることなく、平安でした。

形成外科の先生はとても丁寧で、時間をかけて縫合してくださいました。17針縫合となりましたが、結果は良好で、あれから数ヶ月経ちましたが、全く傷は残っていません。腕を出す季節になって傷があると腕を出すのが気になるので、残らないように神様にお祈りをしました。私の不注意の出来事でしたが、祈りを通して最善に働いてくださり、完全に癒してくださった神様に感謝しています。

(K)

 

 

ルカの福音書第18章35節から43節には、こう言う記述があります。(新改訳聖書)

 

35 イエスがエリコに近づいた時、一人の目の見えない人が道端に座り、物乞いをしていた。

 

36 彼は群衆が通っていくのを耳にして、これは一体何事かと尋ねた。

 

37 ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々が知らせると、

 

38 彼は大声で、「ダビデの子のイエス様、私を哀れんでください」と言った。

 

39 先を行く人たちが、黙らせようとしてたしなめたが、その人はますます激しく「ダビデの子よ、私を哀れんでください」と叫んだ。

 

40 イエスは立ち止まって、彼を連れてくるように命じられた。彼が近くに来ると、イエスはお尋ねになった。

 

41 「私に何をして欲しいのですか。」するとその人は答えた。「主よ、目が見えるようにしてください。」

 

42 イエスは彼に言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」

 

43 その人は ただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て、民はみな神を賛美した。

 

 

イエス様は今の時代でも、癒しをなしてくださいます。

「いやしてください」と単純にお祈りする時に、信仰を持っている方をイエス様は癒してくださいます。

 

ですから、熱心に癒しを求めていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、仕事から家に帰って来た時の話です。息子が、お腹が痛くて横にうずくまっていました。その息子が、私が帰って来た姿を見ると、「神様にお祈りしてほしい」と私に言うんです。

 

 

「わかった」と言って、本当にお腹が痛そうだったので、手を置きました。聖書にイエス様が手を置いて祈るシーンが出てくるんですけれども、それと同じように息子に手を置いてお祈りしました。そんなに長くお祈りしたわけではありません。お腹が痛くなくなるようにお祈りしたんです。

お祈りを終えて、「どう?」って聞いたら、「痛くない」というんです。

 

私は「あ、そうなんだ」と言ったんですが、息子は本当に瞬間的にお腹の痛みがなくなったようで、びっくりして、自分のお腹を自分の拳で何回も殴っていました。

 

そして、本当に全然痛くないということで、息子自身がそのような神様の力を体験するのは初めてだったようで、今も生きておられる神様を本当に褒め称えました。

 

 

こんなに、特別長く祈ったり、一生懸命祈っていたわけではないんですが、ただただ純粋に息子のお腹の痛みがなくなるようにと祈った時に、神様はこんな小さな祈りにも答えてくださいました。本当に素晴らしい恵を感謝いたします。(M)