仙人であるべきか、男であるべきか・・・仙人になろうo(^o^)o
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2014年11月24日(月) 15:03 兄がこの世を去りました。


兄が遺した生涯最期の日記は、

別途 遺そうと思います。


以下は、忘れないうちに、その瞬間、その時を書きとめたものです。


**************


10月17日(金)に、父のアルツハイマー検査の為、会社を休み実家へ行った所、兄の様子が余りにもおかしいことがわかり、幾度も話して、翌日 近くの病院へ検査に行きました。

この日を起点に、CT / レントゲンなどの検査を経て、横浜市大病院へ。


10月23日(木) 私大病院の医師より、胃癌の疑いを告知され、精密検査を至急行う事に。


10月31日(金)・・・それまで幾度と無く検査を受けていたが、この日 ついに体力が限界となり、病院側の判断で、その場で緊急入院


11月1週目は、栄養失調気味だった兄も、点滴により元気になり、スキップが出来るんじゃないか・・くらいに回復。

しかし・・・


11月7日(金)・・・先生より呼び出しがあり、兄と2人で、スキルス胃癌、余命 もって1年・・と告知を受ける。

既に胃の70%が、癌細胞に入れ替わり、更には腹水が溜まり始めている。

なので、手術不可。抗がん剤を投与しても、副作用が激しくなるのみ・・と手立てが無い事も説明を受ける。

すぐに離婚した奥様に連絡するよう進言。


10月10日の週は、親友と元奥様と、かなりメールでやり取りしていた模様。


僕は、入院当日から毎日 1度は通うようにしつつ、父に何と説明するか悩みだす。

結果、11月9日(日)に、父へ説明。。。

しかし・・・余命1年以内・・とは、とても言えなかった。


11月13日(木)・・・一次外出の許可を貰うも、当日 兄の様態が急変。中止となる。

体力の回復と共に、がん細胞の動きが活発になった模様。

兄の残した日記によれば、この頃から激痛の連続、そして腹水を排尿させていた為、1時間に1回以上のトイレにより、殆ど眠れない状態が続きだす。

紙オムツに変更し、毎晩 届けだしたのも、この頃。


11月18日(火)・・・金沢八景の若草病院へ転院

  僕のミスで、私大病院の退院時間と、若草病院への入院時間を間違えてしまい、ギリギリ間に合う。

  ・・・が、予定していた実家への立ち寄り中止。


入院時の検査を受けた後、担当医師より僕のみ呼び出しを受ける。

想像以上に進行が早くなっていて、今日 亡くなってもおかしくない状態との告知を受ける。

お腹の激痛は、胃癌に乗っ取られた胃の壁が崩壊し、胃酸と腹水が内蔵に飛び散った事により、腹膜炎をおこしている・・・との診断。

よって、担当医師の見立てでは、ここ1-2週間がヤマと言われる。。。


とても、、、兄に言えない。


兄に伝えたのは、"思ったより進行が早くて、今日 急変してもおかしくない状態"・・まで。

父が帰りを待つ実家へ戻る途中、車の中で大粒の涙をこぼした。。。


父に言えたのも、同様に"思ったより進行が早くて、今夜 急変してもおかしくない状態"・・・まで。

ちゃんと 一人でトイレにも行けてるよ・・と希望交じりに伝えた。


11月19日(水)・・・

先生から最終告知を受けた際、

動けるうちに・・・と、強引に外出許可を貰ったので、午前中に外出。

実家にて、父母と最期のお別れ。

寝たきりの母を囲んで、父・母・兄の3人で写真を撮る。


離婚した兄嫁に連絡しておいたので、

実家から病院へ戻ってきたところで、鉢合わせ。

物凄いサプライズが出来た!

兄の遺した日記を見ると、心から嬉しかったこと・感謝したことが、文面からしてわかる。


そして、Lineを通じて従兄弟に連絡していた事が功をなし、


11月23日(日)・・・父方の叔父さん・従兄弟が来てくれた

 今でも忘れない。。。

 叔父さんが帰るとき、流した兄の涙を。。。


11月24日(月)

 6:44am・・・病院から緊急連絡

   その時、洗濯物を畳んでいて判らず、7:27am 連絡

   兄がベッドから落ちて蹲っている状態・・かつ心肺停止で発見。

   蘇生処置を行い、一命は取り留めたものの、非常に危険な状態との事。

 7:42am・・・実家に連絡がつく

   実家へ行くつもりだったが、病院へ急行する旨を伝える

9:30am・・・従兄弟が1人 到着。

      すぐに、訪問ヘルパーに連絡を入れて、緊急でヘルパーを出すよう依頼

      実家に連絡を入れて、従兄弟に車を渡し、父を連れてくるよう依頼

 9:56am・・・酸素マスクをつけているものの少し安定した状況

      そして、従兄弟が迎えに行く旨を父に伝える

    ・・・と共に、可能な限り親戚に連絡しつつ、

    兄に声をかけ続け、体をさすり続ける。

11:30am・・・前日 見舞いに来てくれた父方の叔父から連絡が入ったようで、

        母方の親戚が来る・・・が、既にこん睡状態の兄を見て、仰天・・・

12:30pm・・・父 到着

   返事をしない兄に、声をかけ続ける。。。

   その後、また実家へ。。。


  この後、不思議なことが起こる。

  僕が外に出ると、様態が悪化。

  腹水を口から吐いたり、急激に血圧が落ちたり、、、

  戻ってくると、回復・・・

  これが 3回 続く。


14:37・・・僕の代わりに見ててくれた従兄弟から電話。

  "止まっちゃった・・・"


14:38・・・心臓以外の活動停止

14:42・・・心臓停止


父に連絡を取り、父が来る前に死亡確認を取る許可を貰う。


15:03・・・医師による死亡確認


15:30・・・父 到着



11月3日は、僕にとって特別な日。


まだ、救急指定病院が少なかった頃、
メッケル憩室という病になり、
たらい回しにあって、
藤沢、横浜の病院を点々とし、
命の炎があと1-2時間・・という
ギリギリのタイミングで、一命を取り留めた日。
あれから、ちょうど 40年という節目でした。


あの時、僕を看病してくれた父・母・兄
今、母も兄もベッドの上。

母は、3年前から自宅介護

兄は、つい最近 胃癌が判明し検査入院。

父も、母の在宅介護疲れで心身共に疲弊し、

アルツハイマーと診断。


昨日、寝たきりの母の隣で、
疲れきって倒れこんで寝ている父。
2人のその姿を見た時、涙が出た。


今の僕に出来る事は、
朝晩の炊事・洗濯・掃除くらいしか無い。




ところが、今朝、寝たきりの母が、
数週間ぶりに笑って言葉を発してくれた。


そうだった。。。
行動は、ほんの少ししか出来ない。

けど、
いつも元気で、明るく、
そして、熱く生きている姿を見てもらう事こそ、
今の僕が出来る唯一の恩返しなんだな・・・と思った。


陸前高田で学んだ一つに、
"頑張れと言われても頑張れない時がある"


全く違うシチュエーションだが、
父も母も兄も、少しずつだけど、
確実に炎が消えていかざるを得ない今、
まさに この言葉が心の中で重なった。


これからも、
常に元気で、明るく、
そして、熱く生きてみよう!

数年前、母が寝たきりとなり、その介護を父が。

父が介護に専念できるよう、炊事・洗濯を兄が。。。


父は、24時間つきっきり。

元々、体操の選手だった事もあり、体力には自信があった。

・・・が、母が、タンが絡んで呼吸が苦しくなるたびに、深夜も関係なく起こされる事もあり、寝不足が続く。

その中、母を見ている訪問医師から、可能な限り早く検査を受けたほうが良い・・と言われ、先日行ってきた。


結果は、アルツハイマー。。。

まだ、軽度なので、日常生活に深刻な打撃とはならないが、

今の24時間看護をやめるよう、医師から強く言われた。


一方、兄は、兄で、日に日に やせ細っていくのが、気になり、

幾度と無く検査を勧めたが、頑なに断ってきたが。。。。

ついに体力が限界に来た模様で、今日 兄を病院へ。


結果は・・・胃がん。

まだ、精密検査を受けないと、正式な結論は出ないが、、、という注釈つきで、恐らくは末期。


津波の怖さを語った「てんでんこ」
  津波の時は親子であっても構うな。
  一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け<!

被災地ボランティアをしていた僕には、この言葉が重なった。


母を看ている父、父を支える兄

3人が24時間 同居していた結果、全員が倒れ、そして、

一番後ろで支えていたはずの兄が最初に、死を宣告された。


生きるとは何だろう。。。。


僕は、この数珠のように繋がっていく不幸を

数珠のように繋がっていく"幸"に変えて行きたい。


人間とて、生物に変わりない。

生まれ、そして死んでいく事は、地球上の全ての生物と同じ。


けれども、

どうせこの世に"生"を受けたのなら、

死ぬときには、笑顔で死にたい。


どうせこの世に"生"を受けたのだから、

前を向いて、上を向いて、一人でも多くの人に、笑顔を届けたい。


凹む事は多々ある。


でも、自分は一人ではない。

"一人"だと、自分で自分を決め込んだときに、世の中は閉じていく。

実際は、全てにおいて、色んな人が絡んでいて、

"お互い様"の中に生きている。


それを感謝しつつ、

受けるときには素直に受けて、

与えるときには笑顔で差し出す。


辛い辛い、忙しい・・・という言葉を吐くのではなく、

更にその次を目指して、そしてどんなに長いトンネルであっても諦めない。

そして、笑顔を忘れない。


自らが、常に元気で笑顔でいる限り、

それを見た複数の人達の心を救える。


意地を張らなきゃいけない時はある。

けれども、自分は一人じゃない。

意地を通すためにも、自分を抑制させるときが必要。


継続できて、初めて勝ち得る幸せがある。


今回もまた、自分にそう 言い聞かせている。。。




病んでいる人には、声をかけやすい。
暗黒な時期が長い人ほど、声をかけやすい。
普段なら声をかけられない人に、
簡単に声をかけることが出来てしまう。


でも、それは、
通常ではありえないだけに、
どこかに必ず理由がある。


その"理由"が判ったとき、
受け入れられることなのか。
受け入れがたいことなのか。


自分が辛い時に声をかけてきてくれる人は、
一生の友になる事は意外にに多い。
けれども、
一生の伴侶になる事は、意外に少ない。


会社が傾いている時に声をかけてきてくれた企業は、
協業パートナーになるケースがとても多い。
けれども、
合併すると、すぐに壊れてしまう事が多い。


いずれも、
その"理由"がわかって、
それが自分の許容範囲を超えていたとしても、
互いに大きなマイナスにならない


そんな程度の関係を維持している限り、
頼もしい仲間になっていく。


その"理由"が、
自分の許容範囲だとした場合は、
1+1が、2どころか、10にも100にもなっていく。



殆どの場合、
ほんとに心から想ってくれている人は、
辛いときにだけ現れたりはしない。


何故ならば、本質を見抜いた上で、
自分を認めてくれているから。


ゆえに、
声をかけづらい・・という感覚そのものが無い。


けれども、その存在には気づかないもの。
気づいていても"うざい"・・とさえ感じて避けるようになる。



それでも、
ほんとに優しい人は、
自分がどれだけ傷ついても、
自分の事ではなくて、
相手のことを心配し、身を挺して守ってくれる。


ここに恋愛感情とは別の愛がある。
この愛は見返りを求めない。
強いて言うなら、
立ち直って去っていく姿を見れる事が
寂しいけれども、一番嬉しい。



立ち直っていないのに、
突っ走る人が多い。


そういう人であっても、
一言 礼を言う・・という勇気を持っていれば、
必ず笑顔で応援してもらえる。


傷ついても、
帰ってくる場所を用意してくれる。


おかえりって言ってもらえる。
ただいまって言える。



突っ走った先、
下心の巣窟で、めちゃくちゃにされてしまう場合がある。
逆に、温かい、ぬくい所もある。


もしくは、、、
最初は最高!

付き合いだしても、体は求めないし、
とても紳士的。
心から安心して付き合える。


ところが、、、、、

その"理由"は・・・・


うーん、
それら一通り、経験しちゃってたな(^_^;)


あ・・・
話の筋がずれてしまった。



愛の裏返しが恨み・・と言うが、
常に、自分がきっかけを作っているもの。


お金に困っているとき、
精神的に病んでいるときは、
優しい人、わかってくれる企業
・・・と勘違いしてしまう。


それらを正確に嗅ぎ分け、見分ける術を持っている人は、
まぁ、この世にいない。


とんでもない所へ向かう事は、誰にでもある事。
話を聞いてくれる友達や大人がいるだけで、
とんでもない所へ堕ちる前に、それる。


それでも、
取り返しのつかないことになった時、
走馬灯のように、助言をしてくれた人たちを思い出す。


もし、
今までありがとう!
行ってきます!


・・と笑顔で去っている場所ならば、
きっと、その時、温かい飲み物を用意して
待ってくれている。


それを怠ると、
戻る場所は、消えている。


そして、這い出せない輪廻に堕ちていく。



Give and Takeとは、事の大小ではなく、
礼儀なんだと思う。


自分ではとても返せない恩義があったとしても、
自分の事をほんとに考えてくれた相手ならば、
下心丸出して呪いのような事はしてこない。


だから、
恐縮する必要は無い。
ただ一言、"ありがとう"を返せばよい。


結果として、
自分が再び傷ついた時、
いつでも癒してくれる場所を用意してくれる。


その時、
本当の意味で、
温かさ、ぬくもり、愛を理解できると思う。


少なくとも、僕はそれで立ち直れた。
だから、同じ事を次の人たちに返してあげたい。



自分が困っている時だけ、甘えてくる
猫のような人
これ、実はとても多いと思う。


寂しがり屋。。。


そんな人に限って、
周りの目を気にせず、
突っ走ってしまう。


そういう人に限って、
自分に見返りが無い人からの相談は、
適当にあしらってしまう。


それを否定するつもりは無く、
逆に、それで良いと僕は思っている。


そうではなくて、
困っている時に甘えてきて、
立ち直って次へ進む時、
ありがとう。。。その一言が言えない人が多い。
それが気になる。



この一言は、
実は、とても勇気がいる。


落ち込んでいた時の自分を
正面から見れない限り、
自然な言葉として出てこない。


言いづらいから、
なかなか言えないまま次に進む。
傷つき、ふと気づくと、、、、
誰もいない自分に気づく。


ただいま!

・・・っていえる場所がなくなっている。


一人ぼっち。


そして、また違う人に甘える。
そして、立ち直ると、
その甘えた人にお辞儀もせず、走り出す。


傷つく。
振り返ると、誰もいない。


ただいま!

・・・っていえる場所がなくなっている。


一人ぼっち。


この連鎖


運命とは、抗えないのではなく、
自分が行った事が、
そのまま自分に返ってきているだけだと思う。


良い事をし続けるなんて出来るわけがないw
いや、良い事だと思ってたら、
人には大変な迷惑をかけたりしているもの。


運命とは点であり、
それを抗う唯一の方法は、
日々の積み重ねなのかも知れない。


良い事も悪い事も、積み重なるもの。
だから、最悪の運命もあれば、
ときめく最幸の運命もある。


受け入れがたい運命があったとしても、
次の運命が受け入れやすいものになっていくよう、
前向きに、その時の運命を受け入れる。


人生の中で受け入れがたいものがあっても、
受け入れなければ次に進めない。


たとえ時間がかかっても、

ひたむきに、自然と受け入れられるように

前へ進むこと。


結果として、その行為の積み重ねが、

いつか、最幸の運命を掴む。


人と比べてしまうと些細な幸せかもしれないけれども、

それでいい。


生きていくとは、そういうものかもしれない。


今年で、小さな会社を起業して、14年。


プロジェクトが重なり、個人事業主を使い始めてからは、紆余曲折。

数千万の赤字になったり、数千万の黒字になったり、落ち着かない。


自分の給与どころか、スタッフにも支払えない時もあった。

今は、この大きなブレが小さくなってきているが、それでも厳しい時は厳しい。。。


支払い・振込みが無事 完了した時は、新宿で贔屓にしている店で「上天丼」を頼む。



1,000円で昼食なんて、新宿では当たり前なのかもしれないが、

お金が無い中、1,150円・・は大金。

無事 支払えただけでなく、自分の給与もゲットできた時のご褒美。


苦しかった時、儲かっている時、関係なく、

このご褒美に変化は無いw


離婚し、1人暮らしをしながら起業した事もあり、

今、自分がどこに立っているか・・・モチベーションバランスを再確認する為・・という目的もある。


面白いもので、全く同じメニューを月に1回頼んでいると、

月によって、高い・・・と感じたり、安い・・・と感じたりする。


ちなみに、今日の「上天丼」は・・・高いと感じたw


頑張らねば!

つい先日、洗礼をしてくれた牧師が亡くなりました。

振り返ると、こんな牧師が日本にもいたんだ。。。と思ったので、ここに残します(^^ゞ


教会に行き始めたのは、ミッション系の中学校にいてて、

夏休みに、教会へ3回以上 通って、レポートを書く・・という宿題が出た為。


そして、教会に通うようになった理由は、カンボジア難民を受け入れていた寺に行って、そこにいる子供たちと遊ぶ・・・という機会をもらったから。


キリスト教なのに、仏教の所へ遊びに行く・・という面白い企画に乗って見たら、

同じ年頃の女の子と、小さな男の子しかいない。

聞いてみたら、男の子たちは、お世話になりっぱなしには出来ない・・・と言って働きに出ていた。


中学生ながら、同じ年の男の子たちは、土日関係なく働きに出ている事に、ショックを受けました。

そういう所に連れてってくれるんなら、これからも通って見よう・・・という感覚が教会という所に通うきっかけでした。


だから、静かにしていなきゃいけない礼拝は、とにかく苦手。

合唱クラブに入っていたので、讃美歌を歌うときだけ礼拝堂に入る・・という状態でした。

(これは、数十年経た今でも、そのスタンスは続いてますw)


その頃、この牧師に出会います。

牧師は、見てからに慶応ボーイ。


かっこよくて、スポーツできて、楽器(特にピアノ)がうまくて、歌がうまくて、頭脳明晰で笑い話が得意。

当時の婦人会は、彼のファンが集まって出来たんじゃないか・・・というくらいでした。


その牧師に、
賛美歌を歌い続けていくんなら、それだけで立派なクリスチャンだよ。
礼拝に出なくてもいいから洗礼を受けてみたら?・・と言って頂いて、洗礼受けましたw

教会で行う夏期講習では、軽井沢のとある女子大の施設を使っていた事もあり、確か20時くらいが門限。

彼は、「ここの窓は、鍵が壊れてて、開くんだw」・・・と呟いて、

当時の青年会を引きつれ、

率先して窓から外に出て、飲んで騒いで、窓から戻って就寝・・を教えてくださった方ですw

先生は、キリスト教の教会としては、日本で始めて聖壇にエレキギター、アンプを持ち込んで礼拝をされた方ですw

礼拝では、聖書の解読・・・意味を、教団という所が決めた内容で語る必要があります。

なので、牧師個人が持っている主観的な感覚は、礼拝の説教では話してはいけないそうです。


その言ってはいけない、先生の主観としての聖書の訳を、当時 私が開いた聖書研究会で、語ってくれました。


「教団は、ここの部分を○○と伝えなさい・・と言うんだけど、僕はそうは思わないね。」

・・・と平然と話してくれる先生の話を聞きたくて、結構 いろんな人達が集まりました(^^ゞ





そんな"あっぱれ"な方ですw
今の"若者"に欠けている"若者らしさ"を、幾つになっても持っていた方です。


僕もまた、かくありたい(^^ゞ

勝つことだけが人生ではないんだよ。
勝つことよりも 何かがあっても負けない事だよ。


加藤茶さんのブログから引用させてもらいました。



人は、ついつい勝ち負けに拘る。

大きなトラブルが発生すると、人は、誰が悪者かを決めたがる。


勝負に拘り続けることは、悪いことではないし、当たり前な事だし、どちらかと言えば、拘ること自体は、とても良い事だと思う。


でも、勝負が全てを語るのではなく、

勝負できる状態まで自分を引き上げること。

引き上げ続けるように日々を暮らすこと。


その方が、大事だと思う。


人は、優劣をつけたがる。

優劣で"優"にいたがる。


勝つために頑張る。

何かを得るために頑張る。


そこまでは良いが、勝者は、"劣"になった相手を更に突き落とす。

そうする事で、自分の立ち位置を守ろうとしてしまう。


だから、"劣"に陥った時、同時に孤独を感じる。


何かがあっても負けない・・・とは、一人では出来ない。

いろんな人とのご縁や協力があってのこと。


自分の気持ちが前向きでいられること。

どんな時であっても、笑顔でいられること。


心が広く、視野が広くないと、それは出来ない。


僕から言えば、何かがあっても負けない人こそが、勇者だと思う。

よく、「いい人」という言葉が節々で使われる。


ネットで見ると、"どうでも"という言葉を頭に付けると、わかりやすい。。。と書かれている。

なるほど。。。


で、「誰に対しても」という言葉も頭に付けられるそうだ。

なるほど。。。


僕は、過去を振り返れば、通常よりかは比較的悪い(?)事をしてきた人なのに、特定の人にだけは「いい人」として我慢してしまう。

誰に対しても同じ行動を取っているわけじゃないのに、相手から見ると、他の人にも同じようにしているように見られてしまう。


それは先入観を引き起こす。

だからといって、違うことをしようとすると、極端に違うことをしてしまう。

ま、所謂 不器用な奴。


ボランティア仲間のおじいさん(自分も一部で"じぃー"とは呼ばれているが、これはほんとのじいさんw)と数ヶ月ぶりの再会をした時のこと、"君はピエロだね"・・と笑いながら言われた(^^ゞ


ほんとは違うのに、皆を笑わせようといつも演じてる。

でもね、被災地で淡々と側溝堀をしていても、君たちが来ると周囲が明るくなる。

ありがとう。


肺腑をえぐられた気分。

寂しがり屋で、そのくせ、一つのことに集中すると目つきも変わり必死になる。

周りの人が笑いながら会話し、わいわいしだすと、すっと端っこに行って抜け出すタイプ(^^ゞ


数ヶ月前、大事な友達同士が、とある事で犬猿の仲になった。


元々の発端はレイプ事件。

大好きな人を大事な人が襲った・・という事からとんでもない事に発展。

事実が違う事を本人に直接 確認し、その話を"信"とし、全員が被害者だと諭しつつ、

誰も傷つけたくない一心で、

そして、彼らのサンタクロースになる・・・と決めて、ほとんど全てのプライベートを捨てて、作戦を練り、色んな形で彼らと接触し、二人の間を取り持って数ヶ月。


つい先日、やっと、元の鞘に収まり、ごめんなさい、ごめんなさい・・・と泣き叫びながら、男2人が抱き合い泣きじゃくる。

それを近くで見ながら、もらい泣き。

そして、3人で明け方まで呑んだ。


その翌日、仲直りした彼らと彼らの友達に、食事に誘われたが、丁重に断り、自宅に帰り、

一人、お酒を少し飲みながら、自炊の食事を取り、ふぅ~っとため息を漏らす。

でも、ここに、好きな人がいてくれたら、思いっきり甘えたい、抱きたい。。。と我侭な自分を振り返る。


そんなんが本来の自分。


「いい人」って、そんなもんなのかなぁ。


僕の場合は、大好きな人には、「すっ」と引き下がることが出来ない・・・

出来ないのに、「いい人」を演じてしまっているのかもしれない。


あー、むっちゃ不器用。。。

お前の親って、どんな教育してたんだよ。親の顔を見てみたい

という事と、

お前がいた会社って、名前だけで、たいしたこと無いな

って、ある視点に立つと同じ気がする。


自分が情けないがために、親の悪口を言われるのは、心穏やかではない。

会社を辞めて独立した人間にとっても、古巣を悪く言われるのは心穏やかではない。


熱い思い・願いがあって育ててくれた親の気持ち

そのどれだけを理解して、巣立ったのか。。。


自分がいた古巣は、親と子という関係が成り立つような小さな会社ではなく、私は豆粒のようなものだ。けれども、その古巣で学んだ事、全ては今につながっていて、今に生きている。

悪い部分は、反面教師。

良い部分は、恩師として。

それでも、なお、いまだに気づくことが多い。


どこまで恩恵に携わったかを理解するには、後々 ひしひしと感じていくものだ。


自分の評価は自分が決めるものではない。他人が決めるものであり、お客様が決めるものだ。

親の期待に応えているとは言えないが、少なくとも親に恥じない生き方をしていこう。