ガザの次は西岸潰し
2024年9月1日 田中 宇
イスラエル軍(IDF)が8月28日から、ガザで昨秋からやってきたような、パレスチナ人に対する攻撃・破壊・虐待などの人道犯罪を劇的に強める軍事作戦を、ヨルダン川西岸でも開始した。
この作戦の目的は、西岸を破壊してパレスチナ人の居住を不可能にして、西岸市民を難民化させてヨルダン川東岸のヨルダン王国に追い出す「パレスチナ抹消」だろう。昨秋からのガザ戦争の目的が、ガザを全面破壊して居住不能にして、ガザのパレスチナ人をエジプトに追い出すガザ抹消であるのと同じだ。
(Israel Steps Up Assault on the West Bank, at Least 18 Palestinians Killed)
(Masked Israeli Army and Police Forces Attack Palestinians in West Bank, Eyewitnesses Say)
ヨルダン王国は、西岸から自国への難民流入の増加を予測・懸念している。これは「パレスチナ国家とは、西岸のPA(パレスチナ自治政府)でなく、東岸のヨルダン王国のことである」という、イスラエル右派が15年前から言ってきた「ヨルダン・オプション(ヨルダンを使った、拡大的または詭弁的な2国式の実現)」を、暴力によって実現する策でもある。
(Jordan sounds alarm over Israeli incursion into West Bank)
既存の2国式は、あらかじめヨルダン川東岸をパレスチナの範囲から除外してあり、それは英国系の謀略だとイスラエル右派は言ってきたが、英国系のエスタブやリベラルは、ヨルダンオプションこそイスラエル右派の詭弁だと言ってきた。
(The Forgotten History of the Term "Palestine")
IDFは8月28日、西岸を破壊する新たな攻撃を開始するのと同時に、ガザに残っているパレスチナ人の面倒を見る人道担当官の職位を新設した。私が見るところ、この動きは、IDFが昨秋来のガザ破壊を一段落し、今後は、残っているガザ市民を監視しつつ、国際社会からイスラエルへの人道犯罪の非難をかわす時期に入ったことを意味する。
(Elad Goren new Head of Humanitarian-Civilian effort in Gaza)
IDFは「国際社会と協力してガザの民生インフラを再建していく」などと表明しているが、これは非難を回避するためのウソだろう。IDFは、ガザを不可逆的に破壊・抹消し、市民を追い出して、パレスチナの半分を潰した。イスラエルはパレスチナの完全抹消によっって、パレスチナ問題を終わりにしようとしている。イスラエルが、ガザ市街の再建を許すはずがない。
(Israeli army sets up new position to control Gaza ‘for years to come’: Report)
IDFはガザの破壊をおおむね完了し、今後は壊したガザに市民が戻ってこないよう、何年間も監視し続ける。人道担当官の新設の意味はそれだ。そして同時にIDFは、西岸の最終的な破壊に着手した。これらは連動している。今回の動きは、そのように見える。
(Egypt Reiterates Opposition To Israeli Military Presence at Gaza-Egypt Border)
イスラエルから見ると、パレスチナ問題は、国際社会を率いていた英国が、イスラエルの強国化を防ぐために独立戦争(中東戦争)で得た領土(西岸とガザ)を自国化することを許さず、パレスチナ人に譲渡せよと強要した問題だ。英国系が邪魔しなければ、イスラエルは独立戦争で西岸とガザからも先住のアラブ人(パレスチナ人)をヨルダンやエジプトに追放(ナクバ)して自国領にしていた。
イスラエルは、米英覇権が永久に続くかに見えた冷戦後の1990年代前半に、いったん譲渡(パレスチナ建国。2国式和平)を容認してオスロ合意を結んだが、その後、翻心し、911後のテロ戦争に便乗してパレスチナ人をテロリスト扱いしてパレスチナ国家を潰しにかかった。
IDFや入植者がパレスチナ人を攻撃虐待するほど、怒りを扇動されたパレスチナやアラブ諸国の人々が過激化し、イスラエルや後ろ盾の米欧に対してテロやゲリラをやり、その対策として米国からイスラエルへの軍事支援が増える仕掛けが作られた。イスラエルは、敵であるハマスをこっそり支援してきた。
その動きをさらに過激化し、これから米英覇権が崩壊してイスラエルの後ろ盾が失われる前に、パレスチナ人を西岸とガザから追い出してパレスチナを抹消してしまう策が、昨秋からガザ戦争として進行している。
以前は、米国にイスラエル防衛をやらせるためにテロ戦争やアラブ過激化扇動策が用意されたが、今後は米覇権が衰退して頼れなくなるので、その前に、イスラエルがやりたかったが米国に気兼ねしてやれなかったパレスチナ抹消をやることにしたのがガザ戦争の意味だろう。
イスラエルが安定・発展するにはパレスチナ国家に協力する2国式しかないという観点からみると、これは世界からイスラエルへの制裁を招く自滅行為だ。
だがイスラエルが実際に昨秋からの抹消・大破壊・人道犯罪をやってみると、イスラエルは誰にも抑止されず、ほとんど制裁も受けず、思い切り人道犯罪をやってガザの抹消をほぼ完了し、次は西岸の大破壊に入ろうとしている。
(Kamala & Gaza: All words and no deeds make a divided party)
米国では選挙戦の真っ最中で、トランプはネタニヤフに好き放題にやらせて全面支援することを確約している。民主党は、左派がイスラエル敵視を強めたが、権力を握るバイデンやハリスの陣営は、停戦仲裁の演技をしつつ、ネタニヤフを軍事的に全面支援している。来年以降も、イスラエルは好き放題に人道犯罪をやれる。
米欧は、エスタブ内のリベラル派(左派)が、人権外交の観点からイスラエルへの非難を強めており、マスコミはガザ戦争での人道犯罪を喧伝している。
だが同時に、米欧エスタブの政界や諜報界、軍産複合体はイスラエルに牛耳られて傀儡化しており、親イスラエルな政策を出し続けることを強要されている。
(Special relationship at risk if UK bans arms sales to Israel, says Trump adviser)
この相克・分裂傾向はガザ開戦後に強まった。米欧の上層部は、反イスラエルとイスラエル傀儡がせめぎ合い、決定不能になる傾向を強めつつ、覇権低下が加速している。
イスラエルは今の覇権の空白状態に便乗し、懲罰・制裁されないまま、パレスチナ抹消を圧倒的な暴力によって進めている。英国系の人権外交用の断罪機関であるICCでの有罪も、イスラエルにとって痛手になっていない。
最近、EUのボレル外相が、イスラエル非難を強めている。「ホロコースト犯人」のドイツが主導するEUはイスラエルに対する立場が弱く、ボレルは10月で任期が切れることを利用して最後っ屁的にイスラエル非難を開始した。
だが、EU内での賛意は弱く、腰が引けた状態だ。ボレルはむしろイスラエル側から「ユダヤ人差別」の逆レッテルを貼られかねない。
(Israeli foreign minister's call to eject West Bank's Palestinians condemned)
中東では、サウジアラビアやUAEがいまだにイスラエルとの和解案を捨てていない。イスラエルがパレスチナを抹消したら、サウジが和解の条件にしているエルサレム分割も実現せず、サウジはイスラエルと和解できなくなる。それがわかっているのに、サウジはイスラエルとの暗黙の和解を保持している。
サウジの気持ちを逆なでするかのように、ネタニヤフ政権のベン・グビール国内治安相が最近、エルサレムの神殿の丘にユダヤの第三神殿を建設する構想を蒸し返している。こんな挑発をされても、サウジは少し怒ってみせるだけだ。
(Saudi Arabia Outraged At Ben-Gvir's Call To Build Synagogue Over Al-Aqsa Mosque)
サウジは米国から軍事支援を切られたくないので表向きイスラエルに良い顔をしているだけだという説もあるが、今のサウジはBRICSであり、中露など非米側から兵器類を買える。サウジは、パレスチナの大義よりも、現実的な中東の早期安定を望んでいるように見える。パレスチナ国家にこだわっている限り、中東は安定しない。
(The Saudi Crown Prince Is Talking About An Assassination. His Own)
こうした現実策は、トルコやイランにも見て取れる。ポピュリストのエルドアン大統領が支配するトルコは、ガザ開戦直後から、イスラエルを非難し、石油輸出など貿易関係を断絶する経済制裁をやると言っていた。
経済制裁の一部は開始されたようだが、トルコとイスラエルの貿易停止の多くは迂回路が用意され、イスラエルへの打撃が少ないように設定されている。トルコは、イラクのクルド地域から原油を密輸入してきたが、この密輸入分をイスラエルに輸出することで、表向きだけイスラエル制裁しつつ、裏は仲違いしてないとも指摘されている。
トルコも、サウジと同様、イスラエルのパレスチナ潰しを黙認している。それが中東安定の早道だからだろう。パレスチナ国家に拘泥しても、永久に実現せず、不安定さだけが恒久化する。
(Israel Starts Ethnic Cleansing In West Bank)
イランは7月末、テヘラン滞在中のハマスのイスマイル・ハニヤをイスラエルに殺され、面目を失った。イランは、イスラエルに報復すると宣言したが、報復を実行していない。4月にダマスカスのイラン大使館を空爆された時は、イスラエルを報復攻撃したが、今回は自制している。
米国では、イランが近いうちにイスラエルを報復攻撃するので、米軍を中東に派兵せねばならないと言われている。しかし、これは米軍派兵の口実作りの誇張話だ。イランはイスラエルに報復しない。
イランは、パレスチナの大義に拘泥してイスラエルと潰し合いの戦争をするのでなく、イスラエルと冷たい和平の関係を維持することを模索しているように見える。
(The world is heading towards war, and it will begin in the Middle East)
ヒズボラやイラク民兵団など、イランの傘下にいるシーア派の武装諸勢力は、イランの自制に対して不満を持っていると報じられている。
今後長期的に見て、米国の覇権が低下し、米国が唯一の後ろ盾であるイスラエルも弱くなる。ヒズボラなどイラン系がイスラエルを倒せるようになる。いずれ、イラン系がイスラエルに戦争を仕掛けて潰すのか?。
(The world is heading towards war, and it will begin in the Middle East)
私の見立てでは、今後の多極型世界の中心になるBRICSを率いる中国ロシアが、そのような展開を望んでいない。中露は、既存覇権の英米と異なり、パレスチナ問題を使ってイスラエルを弱体化すべきだとも考えていない。
それよりも、イスラエルをめぐる不安定さが現実面で早く解決され、中東が早く安定することを望んでいる。中露がイランをなだめてイスラエルへの報復を自制してもらった可能性がある。
今後の多極・非米世界を主導するBRICSは、イスラエルやパレスチナ問題に対して意見が多様で、統一した行動をとりにくい。原加盟国の中で、南アフリカとブラジルはイスラエルを非難・制裁している。
中国はもう少し中立で、二国式に拘泥し、パレスチナ側で長年対立・内紛してきたハマスとファタハの和解を最近仲裁したが、イスラエルをあまり非難していない。
中国がパレスチナの内紛を仲裁したのは、アラブ諸国に依頼されたからだろう。パレスチナの内紛は2008年に米国が(イスラエルに依頼されて)扇動・誘発したものだ。米覇権が強かった従来、アラブ諸国は米国のパレスチナ弱体化策を黙認してきたが、米覇権が低下して中国など非米側が台頭する中で、アラブが中国にパレスチナ仲裁を依頼したと考えられる。
イスラエルが再了承しない限り、2国式は進まない。イスラエルは2国式を二度と了承しない。パレスチナ内部の和解は、ハマスの正当性を強めるだけの結果になっている。
(US Rejects China's Gaza Mediation Efforts For Legitimizing Hamas)
国内の財界にユダヤ人が多いロシアは、イスラエルに対して中国よりもさらに寛容で中立的だ。印度は、現政権が国内のイスラム教徒を差別するポピュリズムを展開している関係で反イスラム主義の傾向が強く、BRICS原加盟国の中で最も親イスラエルだ。
BRICSには昨年、中東諸国が新加盟したが、その中でも、UAEとエジプトはイスラエルと正式な外交関係があり、サウジアラビアもイスラエルと隠然和解しているが、イランはイスラエルと鋭く対立している。
このようにBRICSは、イスラエルやパレスチナに対する姿勢がバラバラで、統一した策を決めてイスラエルに強要することができない。米欧も、すでに述べたように上層部での相克が強く、イスラエルに何も強要できない。イスラエルは戦争し放題になっている。
私はこれまで、イスラエルは巨大な人道犯罪によって人々を激怒(親ハマス化)させつつ、ガザ市民をエジプトに追い出し、西岸市民をヨルダンに追い出すことで、エジプトとヨルダンの既存の米傀儡政権をハマスに転覆させ、ガザと西岸でなくエジプトとヨルダンを「パレスチナ国家」にする「ヨルダンオプションの拡大版」を進めようとしているのでないかと推測してきた。
事実、エジプトとヨルダンの政権は、ハマス(同胞団)支持の国内世論の強まりを受け、かなりぐらついている。今後いずれ「アラブの春」が再発し、両国の政権転覆・ハマス化が進むのかもしれない。
(Jordan could pay a steep price for Netanyahu's endless war on Gaza)
ドナルド・トランプは大統領だった2018年、イスラエルに依頼されてヨルダン国王に西岸の面倒を見てくれと「ヨルダンオプション」を提案して断られている。イスラエルは、バイデン政権を破壊する策動をやり、トランプを再選させて、ヨルダンオプションを具現化したいのでないか。とか。
(Jordan rejects alleged US proposal for confederation with Palestinians)
だが、そのような動きについて考える以前に、イスラエルは圧倒的な暴力によってパレスチナ人をエジプトとヨルダンに追い出す攻撃を続け、ハマス化と関係なくパレスチナ抹消を具現化している。
ハマス化もヨルダンオプションも、2国式のパレスチナ問題解決を定義拡大によって成し遂げようとする政治的な策略である。
現実のイスラエルは、それらの政治的な策に依存せず、軍事的にパレスチナ人を追い出す策だけを強硬にやって、パレスチナ自体の抹消を進めている。パレスチナ人は、強制的にエジプト人やヨルダン人にされていく。
この暴力・戦争でパレスチナが消されてしまうと、2国式がどうのこうのという政治的な話自体が消し飛んでしまう。
ハマスがエジプトとヨルダンの政権を強奪したら、エジプトとヨルダンの軍隊がハマスのものになり、ハマスがイスラエルに負けない軍事力を持ってしまう。イスラエルは、むしろハマス化を抑止しているとも考えられる。
イスラエルの圧倒的な暴力、抑圧、略奪、人道犯罪。だが、世界の諸大国はどこもそれを抑止せず、傍観するか、イスラエルの傀儡になっている。パレスチナは消されていく。