【貼り付け】窮地に追い込まれた日本共産党の「社会主義革命」 | ワーカーズの直のブログ

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平成は「社会主義体制が完全に敗北した」時代

窮地に追い込まれた日本共産党の「社会主義革命」

ロシア史上最も偉大な人物、スターリンがプーチン氏抑え1位に 調査

ロシアの首都モスクワで行われたメーデーの集会で、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの肖像画を掲げる女性(2017年5月1日撮影、資料写真)。(c)AFP/Kirill KUDRYAVTSEV〔AFPBBNews〕

 

JBpress 2019.3.26(火) (筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)

 

 平成も残すところ約1カ月となった。新しい元号が、数日後には発表される。

 

 思えば平成は、世界の大激動の中で始まった。平成元年の1989年の11月には、東ドイツが自国の体制を守るために作った「ベルリンの壁」が崩壊した。この年は、ソ連によって政治、経済、社会体制が押しつけられた東欧の社会主義国の全体が崩壊し始めた年でもあった。

 

 激動は、まずポーランドで始まった。ソ連の言いなりだった統一労働者党に代って独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。ハンガリーでは、政権党の社会主義労働者党が党名を社会党に改称して社民政党化し、政権党の「指導的役割」を規定した憲法から同規定を削除した。東ドイツでは、社会主義統一党書記長だったホーネッカーが辞職に追い込まれ、「党の指導性」規定が憲法から削除された。チェコスロバキアでも、国民の反政府運動の高まりの中で共産党書記長が辞任に追い込まれた。

 

 ソ連の言いなりだった独裁政権に対する民衆の批判は、東欧全体に広がり、日本共産党と親密な関係にあったルーマニア労働者党書記長、初代大統領でもあったチャウシェスク独裁政権も崩壊し、最後は銃殺による公開処刑にされた。

 

 91年8月には、ついに親玉のソ連共産党が解体し、ソ連邦も崩壊していった。

眼前で繰り広げられている歴史的必然とは

 マルクス主義の最も重要な命題は、「資本主義から社会主義への移行は歴史的必然」だとするところにある。

 

 私が18歳で日本共産党に入党した際、先輩党員から手渡された勧誘本には、次のようなことが書かれていた。

“今、世界の半分近くの人びとが社会主義の下で暮らしている。世界は音を立てて資本主義から社会主義へと変わりつつある。これこそが人類進歩の方向である。この速度を速めるのが君たち若者なのだ。君たちこそが社会を発展させる主役なのだ”

 

 その証明がソ連であり、東欧の社会主義国の存在であった。だが、この歴史的必然論が成立しなくなった。それどころか、私が18歳の頃に読んだ勧誘本をもじれば、眼前で繰り広げられているのは、皮肉にも社会主義から資本主義への移行であり、こちらの方がよほど必然的に見えるのである。

地球上に社会主義体制などなかった?

 ソ連共産党が解体した際、日本共産党は『大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の終焉を歓迎する──ソ連共産党の解体にさいして』(91年9月1日)と題する常任幹部会声明を発表し、この中で「もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事である」と表明した。

 

 全世界を覆った「共産主義・社会主義崩壊」論に対抗するためであった。そのため、“そもそもソ連の体制は社会主義ではなかった”と言い始めた。レーニンの時代は良かったが、スターリン以降変質したとも言う。現在の綱領ではソ連、東欧について次のような評価を下している。

「レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ」

「東ヨーロッパ諸国で一九八九~九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった」

 

 この綱領の草案を作成したのは日本共産党の指導者である不破哲三氏である。その不破氏が2003年6月の党大会で、綱領改定の報告で次のように述べている。

「1917年に始まった、資本主義を離脱して社会主義へという世界的な流れは、ソ連・東欧の崩壊によって終わったわけではない」

「中国、ベトナム、キューバなどでの社会主義への前進をめざす努力に、私たちは注目しています」

 

 ソ連、東欧諸国は社会主義国ではなかった。中国、ベトナム、キューバも社会主義国ではなく、今は社会主義を目指す途上にある国々だというのだ。つまり、とうとうこの地球上から社会主義国は消え去ってしまったということなのである。

若者を誤導した日本共産党

 スターリンが権力を握ったときにこういう指摘をしていたのなら、その先見の明を褒めることもできる。

 

 だが、実際には、日本共産党はまさにスターリンの指導を受け、スターリンと共に歩んできた。

 

 スターリンが書記長になったのは、ロシア革命から5年後の1922年である。この年にコミンテルン(共産主義インターナショナル)日本支部として創立されたのが日本共産党であった。一方、日本共産党が“ソ連は社会主義ではなかった”と言い出したのは、1991年にソ連共産党とソ連邦が解体してからである。スターリンが権力を握ってから実に69年も経っているのだ。

 

 私が日本共産党に入党した当時の綱領には、どう書かれていたか。

「第二次世界大戦後、国際情勢は根本的にかわった。社会主義が一国のわくをこえて、一つの世界体制とな(った)」

「資本主義の全般的危機はふかまり、資本主義世界体制は衰退と腐朽の深刻な過程にある」

「社会主義世界体制は人類社会発展の決定的要因になりつつある。世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避である」

 

 日本共産党は、スターリン以降の社会主義体制をここまで持ち上げていたのである。この綱領を振りかざして、多くの若者に入党を呼びかけていったのだ。ところが今になって、実は社会主義世界体制など誕生してもいなかった、と説いている。無責任の極みと言うしかあるまい。

 

 私自身は別段、個人的恨みはないが、この綱領を信じて、どれほど多くの若者が日本共産党に入党したことか。若者を誤導した責任は、決して軽くはない。日本共産党の幹部だった私にも責任はある。

 

 そもそも社会主義国には、自由も民主主義もなかった。社会主義国の憲法には、それぞれの国の共産党、社会主義政党の指導性が書かれていた。一党独裁が憲法で保障されていたのだ。現在の中国やベトナムもそうである。

 

 かつてドイツが東西に分裂していた時代に、東ドイツから西ドイツに逃げて来る人は大勢いたが、その逆はなかった。理想社会どころか、地獄のような体制であったということだ。これらの事実をほんの少しでも正面から見ていたなら、ソ連や東欧の社会主義体制に未来などなかったことを見通せたはずである。

 私の眼も曇っていたと言うしかない。

平成は「社会主義の展望」が消滅した時代

 日本共産党のこうした弁明は、日本共産党自身を窮地に追い込むことにもなった。

 

 社会主義革命の歴史的必然論を説いたマルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』が書かれたのは、1848年のことである。それからすでに171年が経過した。それでもこの地球上に社会主義国が1つも存在していないというのが、日本共産党の立場なのである。

 

 これでは社会主義の展望など語ることができないのも当然である。

 

 私自身を振り返ってみても、入党した当時は「マルクス・レーニン主義」と呼ばれており、マルクスやエンゲルス、レーニンの著作をよく読んだものである。難解で容易に理解できない内容だったが、兎にも角にも読んだものである。党の会議に出ると、党員たちと社会主義の未来を語り合った時期もあった(どの党員も浅薄な知識しか持っていないのだが)。

 

 だが現在はどうだろうか。社会主義革命を目指している党員は皆無だろう。そもそも目標にもなっていないのだ。

 

 共産党の指導者である不破哲三氏は、一昨年11月17日付の朝日新聞のインタビューで、「党名の変更はしないのか」と問われ、「日本共産党は、戦前から95年、この名前で活動してきたが、将来的には21世紀から22世紀も展望しながら、日本に理想社会をつくるために活動する政党です。党名には、その目標が体現されています」と語っている。

 

 21世紀中どころか、22世紀までかかると言い始めたのだ。100年以上先の展望なのである。不破をはじめ、誰一人として存命していない先の話を平気で展望として語るというのだから、呆れるほかない。こんなものは展望とは言わない。この方針に確信を持てと言われても、まともな党員なら困惑するばかりだろう。だが誰一人として困惑しないのだ。なぜなら誰も社会主義など、真面目に考えたこともないからである。