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くにつかみ 地津神 |
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| あめのふちこまの 天乃斑駒乃 |
みみふりたてて 耳振立氐 |
きこしめせと 聞食世登 |
かしこみかしこみもまをす 畏美畏美母白須 |
人生、夢が大切・・・ いつかきっと幸福になる・・・ |
「いま・この瞬間に生きる」ことが大切です、
ということがよく云われます。
それは、あらゆる時間軸を取り外した「永遠」というものが、
いま・この瞬間にあるからです。
また、高次元領域においては、
いま・この瞬間に、過去-現在-未来が、
ひとつに集約されているのであり、
その場所に立ち置かれたとき、
私たちは、多次元的存在であることを知るからです。
それは、私たち生命体が、もうじき、
完全移行する場所でもあります。
そのときに備えるために、また、
多次元的存在であることを自覚して、
そのように生きることを意図するためです。
それはまた、個人意識を超えた、
地球意識、さらには、宇宙意識へと至るものです。
そのようなことで、「いま・この瞬間に生きる」
ことを実践すれば、私たちは、
多次元宇宙へと入ってゆけます。
「いま・この瞬間に生きる」ことはまた、
霊能者を超えた、霊格者の視点に立つことです。
それは、霊性進化の道を歩む人格者
であろうとすることです。
しかし、「いま・この瞬間に生きる」ということは、
非常に難しいことです。
私たちは、ときに、過去を思い煩い、
未来に心配を抱き過ぎて、現在に留まることを
疎かにしてしまいがちです。
この、「いま・この瞬間に生きる」ことを、
明確に意識する方法は、
スピリチュアル・ガイドと繋がることです。
スピリチュアル・ガイドと繋がろうとすること、
スピリチュアル・ガイドと繋がっている瞬間が、
「いま・この瞬間に生きる」状態そのものです。
それは、頭の中の思考や想念に囚われずに、
直観や閃きに意識の焦点を当てている
「無」の状態です。
この状態に身を置くというのは、
例えば、自然の中に入って無心になり、
自然と一体化するように意識することです。
神社や寺、聖地などへ訪れて、
礼拝しているときなどもそうです。
そのとき、私たちは、無心になっていて、
何か心地よい感覚で満たされているはずです。
他には、神託を受けるための道具を活用しているときです。
オラクル・カードや、タロット・カード、
他のスピリチュアルな道具類を活用して、
スピリチュアル・ガイドと繋がろうとするときです。
なぜかと云えば、スピリチュアル・ガイドは、
過去-現在-未来がひとつに集約された
多次元宇宙に存在しています。
その多次元的存在と繋がろうとすることは、
自分自身も、多次元的存在の意識や
周波数に合わせて、繋がろうと試みることであり、
過去-現在-未来がひとつに集約された場所に、
身を置くことになるからです。
この状態が即、「いま・この瞬間に生きる」
という状態なのですから、このような感覚を、
頻繁に体験し続けて、いつでも、
その感覚を思い出せるようにすることが大切です。
私たちは、あらゆる聖地や神社に赴き、
礼拝に向かいます。
それは、御祭神という神々を、拝むためでしょうか。
M・ドーリル博士著『療法の真義』の中に、
次のような記述があります。
イエスが、「あなたがたは、
あなたがたの心をつくし、思いをつくし、
魂を捧げて、あなたがたの神を愛しなさい」
と言われた言葉ほど偉大なる言葉は無いのである。
多数の人々は、これは、
神を拝むことだと思っているのである。
わたしは、拝むということを信じないのである。
もし、我々が、神の一部であるならば、
神を拝むということは、我々自身を拝む、
ということなのである。
拝もうと欲することや拝まれたいと望むことは
不均衡の状なのである。
私たちは、神社に礼拝に行くとき、
神社拝殿の中心に置かれてある鏡を、
真正面に見据えて、自分自身の姿を拝みます。
それは、自分自身が、
神の分身であることに気づくためです。
人は、神の分身、分霊です。
ですから、神を拝むことは、
自分自身を拝むことです。
それは、自分自身を強く信じることです。
アセンデッド・マスターと呼ばれる神人たちは、
このことをよく理解して実行している存在たちであり、
彼ら彼女たちは、宇宙の法則の名のもとに、
その最善なるところにおいて、自分自身を、
絶対的に信じる存在たちです。
それは、自分自身の内側深くに秘められている、
光のパワーの強さを信じることです。
彼ら彼女らは、そのことについて、
片時も疑わないのです。
彼ら彼女らは、私たちに対しても、
そのようであるようにと伝えています。
物質界という「この世界」で暮らしている、
私たちにとっては、辛抱と忍耐の伴う作業ですが、
それは、あらゆる扉が開かれてゆく道です。
しかし、聖地や神社には、確かに、
御祭神たちに会いに行くという側面があります。
それは、私たち一人ひとりが、
自分自身を強く信じることを思い出させるための、
彼ら彼女らからのサポートであり、
相互に助け合うものであるという、
光のネットワークにおける共同作業です。
“私たち地球人類は、動物種ではありません。
人は神の性質を宿している生命体であり、
人は神とは、根源的に光を宿す生命体であるということです。
私たちの魂は、光そのものであり、
そこには、一点の曇りもなく、
地球物質界に生命を受けたものはすべて、
輝きに満ちた光そのものであり、誰もが、
祝福されて生まれて来たということは真実です。
ですから、怖れや不安に心を動かすことなく、
適切な行動を取って、各自、
与えられた任務と役割に徹してください。”
“私たち地球人類は、遺伝子、
その核からの変容が起こり始める、
非常に最良な時期を迎えています。
私たちに出来ることは、これを逆らわずに、
受け入れるということのみです。
なぜならば、私たち地球人類は、
霊性進化の次なる段階に差し掛かっているのであり、
それは、多次元宇宙を自由自在に羽ばたいてゆくための、
DNA(遺伝子)全解除です。
これを受け入れた後では、私たち生命体の身体は、
半霊半物質体と呼ばれる状態へと変容を果たして、
永らく、離ればなれとなっていて出会えないでいた、
宇宙での、魂の友人たちとの再会を果たすことになります。
そのことにより、私たち地球人類は、顕在意識において、
決して孤独ではないということを、超感覚的に理解することになります。”
“いま・この時期に、私たち地球人類が、
最優先する必要のあることは、
変化、変容を受け入れることです。
平凡で退屈な日常生活のサイクルといったものは、
これ以上続かなくなります。
いま・この時期からは、あらゆる危機を乗り越えることにあり、
それは、冒険心や好奇心、知的探究心を追求することにあります。
物事の観方を、ことごとく変えてゆき、
より最善なる方向へ、発想を転換してゆくことにあります。
それは、一にも二にも、「内なる声」を通してやって来ますから、
外界の出来事、事象などに、心を惑わせるのではなく、
平安で静謐なる自分自身の内側で待機をし続ける
という心構えが、常に、必要となります。
現実のヴィジョンを創り出すのは、自分自身です。
いま・この瞬間に、外界で、何事が起きていようとも、
次の瞬間に、外界において、どんな事象を表現してゆくのか、
どんな出来事を映し出してゆくのかは、何をおいても、
自分自身しかいないのです。
このような現実化は、以前にも増して、
加速度が進んでいますから、心の在り方によっては、
素早く、現実の世界に成就してゆくこととなります。
ですから、自分自身の思考と想念と感情とを、
常に、自分自身で見張る、監視するという作業を怠らずに、
それが、適切でないと観じるのであれば、即座にして、
より、最善で、適切な状態へと置き換えることです。
これを、各自が、一分一秒でも早く行なうのであれば、
その方の人生生活において、劇的な変化が起きることは、
言葉では語り尽くせないほどに、素晴らしい結果を
もたらすことになるでしょう。
これは、理想論でも、綺麗事でもありません。
必ず、そのようになるのです。
それが、宇宙の法則の名のもとに、正しく、
その流れに乗り、生きてゆくという、
最も簡単な秘訣です。”
「終末の世の様相と明日への宣言」(浜本末造著)から
何も求めることなく「ただやる」「ただ尽す」それが魂の働きである。
生も死も考えない。生きていて良し、死んでよし、報われて良し。「ただやる、尽す」それだけであり、それが真の信仰であり、真行である。
生かされていると思うことも、生かされていないと思うこともない。
今生きている、今働いている、ただそれだけである。
そして今・今・自分が魂の命ずるままに働くことである。心を魂に支配させるだけである。一所懸命やる。生命を賭ける。それでいて一所懸命やっているとも、生命を賭けているとも思わない。
「ただやる」それだけである。
病気になった。なおろうとも、悪くなろうとも思わない。なおっても、悪くなっても、それをだまって受ければ良い。そこまで徹したらどんな難病でみなおってしまう。
「そんな事が出来るものか」と思う人が勝手に苦しめばよい。出来るか出来ぬか、やってみれば結果は直ぐ判る。
ただやる、ただやる、ただ程高価なものはない。結果を求めないでやる。
これが出来ればどんな思凝(しこり)でも融けてしまう。
即ち今に生き切り、過去と未来に死に切るのである。
持病を抱えている方なども、多く
いらっしゃるかと想われます。
そのような状態は、健康とは
ほど遠い位置にありますので、
アセンションなど、夢のまた夢だと、
想われてしまうかもしれません。
結論から申し上げますと、
それらの病気を抱えている方でも、
アセンションが可能となっています。
ここで、大切なのは、心と魂の状態です。
このブログの中では、M・ドーリル博士著、
『療法の真義』からも、幾つか、
引用させて頂いておりますが、
目を向けるべきなのは、心と魂の状態です。
心の中にネガティヴ思考が巣食っていることが、
あらゆる、ほとんどの病気の根源となっています。
ですから、心と魂の浄化が第一である、
ということが云われています。
そのためには、病気のことで、
必要以上に話し合ってはいけないし、
想ったり、考えてもいけない
ということが云われています。
このことはまた、病気という概念に、
「同調してはいけない」ということでもあります。
それに同調してしまうことで、
その周波数に合わさっている状態を
維持していることになります。
そうはいっても、病気で苦しんでいるというのに、
ポジティヴ思考になどなれない、
というのが通常の見方です。
そのような、何らかの病気を抱えていながら、
あるいは、何らかの持病を抱えていながらにして、
心と魂の浄化を進めていくための方法は3つあります。
これは、3つで1セットのものであり、
どれかひとつが欠けてしまいますと、
効果が半減してしまいます。
1つ目は、「自分自身の中心軸に留まる」ことに、
意識を集中して専念させることです。
2つ目は、「光のネットワークに繋がる」ことであり、
これは、「自分自身の中心軸に留まる」ことで
成されるのであり、この1つ目と2つ目とは、
密接な相互関係にあると云えるでしょう。
このことは、特に、このブログの過去記事、
「自分自身の中心軸を簡単に見つけ出す方法」や、
「マントラを最大限に活用して、光のネットワークに繋がる」
などを参考にしてください。
3つ目は、「頭の中の思考と想念、感情を止める」
ことですが、これは非常に難しい項目となっています。
頭の中の思考を止める、心の中の想念を止める、
これらは、頭の中の、そして、心の中のおしゃべりを、
ストップさせるということです。
頭の中を、心の中を、何も考えずに、
何も想わずに、空っぽな状態にする、
「無」の状態にするということです。
感情を止めるというのは、感情を動かさないことであり、
何が起きても動じない、何を見ても、耳にしても、
感情を揺らさない、感情移入しないということです。
これらは、テレビを観ていても、ラジオを聴いていても、
その他の何かを行なっていても構わないのですが、
そのように訓練をし続ける必要が充分にあります。
このような状態を、出来るだけ長く持続させます。
その中で、さらに、1つ目と2つ目の項目を実践します。
かなりの根気のいる作業ではありますが、
必ずしや、有効な結果に繋がってゆきます。
その間、掛かりつけの病院からの処方箋を
飲み続けることは全く問題はありませんし、
むしろ、西洋治療も、漢方治療であっても、
治療の一環として必要なことでしょう。
このような方々が、アセンションの
完了プロセスに入ってゆきますと、
好転反応は極めて大きいかもしれませんが、
そのまま、治療薬を飲み続けながら、
あるいは、投入しながら、安静に
過ごされるといいでしょう。
好転反応とは、確実に、
病気が快方、改善する方向へ進むための、
修理、修繕過程です。
決して怖れずに、自分自身は、
体内から、すべての病気が根絶する、
道しるべを辿っているのだと、
強く意識して、イメージをし続けることが重要です。
なお、ここに書かれてある
方法だけがすべてではありません。
他の光の諸先生がたも、すでに、
幾つかの方法を示しているか、もしくは、
これからも、様々な方法を見つけ出してゆくはずです。
それは、各光の先生がた独自の方法であり、
自分自身にとって、最も相応しく、日々、
実行し続けられると想われる方法で、
実践を試みられるのがよろしいのではないでしょうか。
