少し前に、子供の頃の僕の夢は、野球をすることだったが、
母の厳命で、それが果たせなかったことを書いた。
参考「中学生になった僕が、グレたわけ」
僕は、大人になってからも、
「あの時、野球部に入りたかった。」
って話を、折を見て、母に何度かしたことがある。
最後にしたのは、母が70代のころ、だったろうか?
その時もまた、直ちに、鬼のような形相に豹変した母の回答は、
「野球をやらせれば、お前はプロ野球の選手になれたとでも、思うのか?」
だった。。。
80代になってくると、母は傍目にも衰えは明らかだった。
あざみ野の家
【アットホーム】横浜市青葉区 美しが丘5丁目 (あざみ野駅 )
で、このまま一人暮らしを続けていては、
いずれ階段から転げ落ちて骨折し、寝たきりになるのは、時間の問題だ。
僕は、そう思った。
だって、その家の階段は、こんななんだから。
だから、そういう事態になる前に、
バリアフリーで生活のサポートも受けられる老人ホームである、
いわゆるサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に移ったほうが良い。
そう思った。
だから、僕は、とあるサ高住の見学に、母を誘った。
母の感想は、
「こんな、寂しいところは嫌だわ。」
とか、
「まだ、早いわ。」
だった。
その後、折を見て、
僕「そろそろ、(サ高住に)移ったほうが良くない?」
母「まだ、早いわ。」
そんな、やり取りが繰り返されていた。
ある日も、そんな押し問答が繰り返された後、
母は、
「強要しないでよ。。。」
と言った。
だから、僕は、
「強要は良くないから、しない。でも、僕がやりたかったのは、野球であって、剣道ではなかった。」
と、言った。
その時、その話題になると繰り返された「あの鬼の形相」になりかけた後、
母は、「はっ」とした顔をした。
多分この時、当時の僕の気持ちが、
現在の自分の気持ちと同じであることに、
やっと気がついたのだと思う。
僕は、
「(当人に)良かれと思えば、強要して良いのかよ?」
「12歳の少年には強要して良いのに、
84歳の婆さんには強要してはいけないと言うのなら、
その理由が、僕には分からないな。」
と、言った。
そうしたら、しばらくして、母は、
「今日は、もう帰って良いわ。」
と言ってきた。
だから、その時は、そのまま帰った。
しばらくしてから、母は、
「移っても良い施設(サ高住)が見つかった、そこなら移っても良い。」
そう言ってきた。
そこは、行き慣れたショッピングセンターから徒歩圏内の街中にある施設だった。
だから、僕はすかさずその施設との契約を進め、母にうつってもらった。
多分、母は、
「息子の気持ちを考え忘れていたけれど、
客観的、合理的に考えるなら、当時の私の言っていることは正しかった。」
かつ
「(いつまでも自立した生活を送りたい)その私の気持ちを置いといて、
客観的、合理的に考えるならば、今回は息子の言っていることのほうが正しい。」
そう、納得したんだと思う。
そうして、自分でなんとか許容出来る施設を探してきて、移ってくれた。
母の変心を推察するに、そういうことだったのだろう、と思う。
そのタイミングは、本当にギリギリだった。
85歳直前の秋に移ってもらって、
翌年桜のころには、歩行器なしでの外出はおぼつかない感じになった。
その後の母は、
どんどん筋力が弱ってきて、
最後は1人ではトイレにも行けない、ほぼ寝たきりに近い状態にはなった。
年寄りは、衰えだすと急激に衰えるようだ。
享年90歳3ヶ月くらいだった。
介護施設への入居期間は、わずか5年ちょっとにすぎなかった。
けど、
骨折等大きな怪我はすることはなく、最後を迎えられた。
先の選択のおかげで、
死ぬ間際の苦しい体験を、最小限には出来たのではないか?
とは、現在の僕は、思っている。
話を戻すと、
子供の頃の僕は、母の厳命で野球部に入ることが出来なかった。
その時、僕は、母が、
「お前の大好きな野球は、絶対にやらせない。勉強をしろ!」
と言ったと思った。
だから、徹底的にそれに反抗し、勉強をすることを拒否し、不良化した。
だけど、現在の僕は、
母は、そうではなく、こう言ったのだと、理解している。
「体も小さいし、力もない。野球で大成するのは、難しいのではないか?
そのかわり、お前は頭が良い。勉強に力を入れた方が、良いのではないか?」
この意見、「本当のこと」とまでは言えないが、
「確からしい」ものでは、なかろうか?
冷静かつ客観的に考えると、現在の僕にも、また、そう思える。
つまり、この時も母は、
相手の気持ちを考えることを忘れて、
無配慮に「あなたのことを思えばこそ」本当のことを言って、
トラブルを起こしているのである。
つまり、この時と、全く同じことなのである。
参考「悪いのは、本当のことを言った、あなたの方ではないでしょうか?」
世の中には、母のように、
相手の気持ちを考えるのを忘れて、無遠慮に本当のことを言ってくる人達が、少なからずいる。
その分析も続けるつもりですが、それは次回以降にしたいと思う。
現在の僕は、先の母の意見に対して、こう言う反論を心の中に持っている。
僕は、不良化した中学2年から、大学に進学することを決意した高校3年生になるまでの4年間、
勉強は、ほぼ誰からも教えてもらわずに、独学でしていた。
母親には、
「お前の言う通りには、絶対に勉強をしない!」
そういう態度を示す必要があったから、
先生の前含め、大人の前で勉強をすることはなかった。
だからといって、
「勉強が全く分からない。」
となるのも嫌だった。
だから、当時の僕は、
大人が見ていないところで、
主に自分で教科書を読んで、勉強を理解していた。
そして、高校3年と、流石にそれだけでは間に合わず、一年浪人して、
この2年の猛勉強だけで、千葉大学理学部物理学科に入った。
ここ、二時試験に英語がない国立大学の中では最難関の部類の学校であった。
結局、
ヒアリングやスピーキング等、トレーニングが必要な英語が独学では克服できず、
そこにしか行けなかった。
だって、こんなやり方で、英語の問題を解いてたんだもん^_^
参考「僕のバカ自慢」
それでも共通一次試験(今のセンター試験に相当する)では、
1000点満点で820点を超えた。
これ、英語の得点が120点そこそこで、
だったから、
他の教科同等、英語の得点が160点を超えてくれば、860点を超えたはずだ。
これは、東大理Ⅲとは言わないが、理Ⅰなら、視野に入ってくる得点だ。
もし、
中高6年間を、真剣に野球と勉強に打ち込んでいたなら、
どうなったであろうか?
六大学野球で、東大野球部エースとして、早稲田相手に一勝でも出来れば、
プロ野球球団から、声がかかったかもしれない。。。
東大というのは、プロ野球チームにとってもブランドである。
特に、地頭が良いことは分かっているので、
選手としてはダメでも、デスクとしていくらでも潰しが効くと思ってもらえる。
つまり、ダメ元で、声をかけられた可能性もなくはない。
そうなれば、一生大好きな野球に関わる仕事に携わることになった。
そんな可能性も、全く無かったとは、思えない。
僕には、これ、6人もいると思える。
参考「日本プロ野球史上わずか6人の「東京大学出身」選手たち」
まあ、「希望は過去にしかない。」って話だけど、
この歳になっても、僕は、
そういう人生もあり得たかもしれない
との思いを捨てきれない。
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1日目 信教の自由の日に関するネット上の文章への反論
2日目 私が考える日本教とは?
3日目 信教の不自由な宗教と信教の自由な宗教
4日目 先の戦争の悲惨な体験を語り継ぐな
5日目 現代の鶴田浩二 ー傷だらけの人生ー
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