一月中旬のこと、何時ものジム仲間で飲んだ時に、鋸山に行こうということになった。
ロープウェイで中腹まで行って山頂に登り、下山後は港で美味しい魚介料理を食べようという企画。
朝早い内房線に乗り、一路浜金谷を目指す。
鋸山には二度行ったことがあるが、いずれも運転手付きの車かチャーター・バスだったので、電車で行くのは初めて。
実はこの日の前の夜は、茶目子さんと6軒をハシゴして飲んでいたので、睡眠不足の上にアルコールが残っていた。
⇒馬喰ろう/虎ノ門、そして新橋ワイン食堂NAGARE&くし家/新橋でハシゴ酒
天気が良く、東京湾と空の青が美しい。
浜金谷駅に到着。
跨線橋を渡って駅舎前に着いても、乗ってきた電車が発車しない。
何故かと不思議に思っていると、下り電車が到着した。
そうか、ここは単線なので駅ですれ違わないと先に進めないのだ。
駅舎を出てロープウェイ駅に移動しようとすると、メンバーの一人が「えぇ、嘘でしょ」と声を上げた。
彼が指さす先を見ると、「ロープウェイ運転休止」の掲示。
ロープウェイで登っても、その先には急な階段が続き、結構な負荷がある鋸山。
わずか標高330mの山ではあるが、切り立った険峻な山なので、標高数mの麓からの登頂は若い人でも結構きつい。
でもジムで鍛えている高齢者5人は登る気満々。
駅から登山口までの道は舗装された緩やかな登坂。
途中の岩肌には幾つも洞窟があり、”ヒカリモ発生地”の立て看板。
早咲きの桜がもう咲き始めている。
この辺りでは、まだまだ皆さん余裕の足取り。
登山口に入った途端、登りが急になり、石の階段が続く。
石を敷いた道は幅が狭く、途中には落石や倒木が転がっている。
ロープウェイが出来てからは、この道を利用する人は少ないようだ。
先に進むにつれ、登り勾配がどんどんきつくなり、足元も悪くなる。
一番若い私は先頭を切って登り、足元の落石や倒木の枝等を取り除きながら進む。
この道は、山頂付近で切り出された石材を運び降ろすために造られたもの。
信じられないことに、この急な山道を一本80kgの石材を三本も荷車に積み、運び降ろしていたのだそうだ。
岩をノミで切り開いた場所もある。
写真ではわかりにくいが、かなりきつい勾配で、最初は元気だった皆さんも言葉が少なくなる。
ようやく眺望の効く場所に出て、一休み。
ここまで登り続けること、約一時間。
でも山側に目を移すと、石材を切り出した壁が行く手を遮る。
壁面には、石を切り出したのこ目を見ることが出来る。
目的地はこの石壁の上なのだが、真っ直ぐは上れないので周囲を登ったり下ったり遠回りしながら少しずつ上を目指す。
途中には、石を切り出していた時代の跡が残されている場所もある。
石の壁には、「安全第一 芳家石材K」の文字。
今から登頂を目指す場所は、中央に見える、崖の上に突き出した岩。
急な階段や岩肌を、手摺や命綱を頼りに上り続け、やっと山頂のすぐ下に到達。
ここからだと、はるか下に浜金谷の街が見える。
あそこからここまで歩いて登ってきたのだ。
山頂部は乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)の境内になっている。
日本寺は、神亀二年(西暦725年)に行基によって開かれている。
最初に迎えてくれたのは、百尺観音。
昭和41年に完成した観音石像である。
さらに急な階段を延々と登り続ける。
この階段の両側は、険しい崖になっている。
ここまで来ると皆さん流石にバテ気味で、休み休み登ることに。
ようやく山頂に到着。
このライオンの頭のようなのが、先程下から見上げた岩で、地獄のぞきと呼ばれている。
地獄のぞきに来るのは三回目だが、やはり足がすくむ。
山頂から金谷港を見下ろすと、丁度フェリーが出港したところだった。
港の先に見える白い塊が川崎に向かうフェリーボート。
下りは、大仏広場に出る近道もあるのだが、山肌を巡りながら千五百羅漢を見て歩く遠回りの道を選ぶ。
1,553体の石仏があるのだそうだ。
回遊路には、延々と石仏が続く。
幾つもの石仏は首が取れて無くなっているのが痛々しい。
明治維新の廃仏毀釈で荒廃したのだそうで、今も”羅漢様お首つなぎ”の復興を続けているのだそうだ。
宝筐印塔(ほうきょういんとう)は、江戸蔵前の大口屋平兵衛が寄進したものだそうだ。
途中には、岩山を穿って作られた道もある。
維摩窟(ゆいまくつ)。
中には即身仏を想わせる石像。
ここから階段は急な下り坂。
脚に疲労が溜まっているので、膝が震えて下れないと立ち止まってしまう方も。
何とか急な階段を下りきり、大仏広場に至る。
この石の大仏様、薬師瑠璃光如来の高さは31.05mあり、日本一の大きさなのだそうだ。
鎌倉の大仏様、阿弥陀如来は13.35m、東大寺の大仏様、廬舎那仏は18.18mである。
ジム仲間との鋸山登山の楽しい休日は続きます。





























