ブロンプトンで御坂峠 ヒルクライム編 の続き。
11月14日土曜日、ブロンプトンで御坂峠(みさかとうげ)まで登ってきたのだが、このような素晴らしい冠雪の富士を拝むことができた。
古来、御坂峠(地図の①)は甲斐の国から東海道へと抜ける鎌倉往還の要衝であり、多くの旅人が行き交った。
近代においては、1931年に御坂隧道(トンネル)を含む旧・国道8号(後の国道20号)が開通した。当時は未だ笹子峠にトンネルができていなかったので、ここが東京から甲府へ通じる最短ルートとなり、それに伴って峠を行き交う人や車が大幅に増えた。
御坂隧道の河口湖口にある扁額には当時の内務大臣である安達謙蔵の揮毫による「天下第一」の文字が刻まれている。
その3年後の1934年、トンネル入り口横に今の天下茶屋ができた。
茶屋は峠越えの旅人の休憩所・食事処として繁盛した。また富士をのぞみ見る絶景から富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれたが、徳富蘇峰が新聞に「天下茶屋」と紹介したことで全国的に有名になった。太宰治は1938年に井伏鱒二と共に来訪、およそ三カ月の滞在を小説「富獄百景」に書き記した。有名な『富士には月見草がよく似合う』は富嶽百景の一節である。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。(太宰治『富嶽百景』)
時は巡り、1958年の新笹子トンネルの開通により東京~甲府間の交通量の大部分が所要時間の短い笹子ルートにシフト、さらに1967年の新御坂トンネル開通により、御坂峠旧ルートの人通り・車通りは激減、天下茶屋は約10年の休業を余儀なくされることとなった。しかし天下茶屋を惜しむ人も少なくなく、1978年に待望の営業再開が実現し、今日に至っている。富士の眺望を見に来る人、三ツ峠山登山の人などで週末や連休には大賑わいとなっている。
天下茶屋のある御坂峠は、本日も相変わらず山奥とは思えないほど混んでいた。
甲府盆地へとダウンヒルする前に、天下茶屋で早い昼食を摂ることにした。
縁側の席に案内された。席で寛ぎながら富士山を眺めることができる。新型コロナのこともあるのでこの席は特等席である。
関連記事:
ブロンプトンで御坂峠 ヒルクライム編 (前記事)
峠越え・探検記事:
あなたの清き1クリックをお願いします!