20100402_想像力
ゴヤ作
『 我が子を喰らうサトゥルヌス 』
(ウィキペディアより拝借)
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友より、『 怖い絵 』(中野京子著)という面白い本を借りて読んでいます
その中に、この絵の解説があって、著者が最後にこんなことを言っていました
(ちょっと端折って、)
「昨今、親の子殺しがマスコミをにぎわしている。彼らが一度でもこの絵を見たならば、自らの浅ましい姿をサトゥルヌスに重ねずにはいられないはずだし、ひとつの抑止力になる気がする」
全く同感!・・・だけど・・・
”想像力”
私は、とても大切なことだと思っています
だけど、残念ながら、欠如している人が多いように感じます
”相手の立場になること、相手の気持ちを考えること”
これがまさしく、想像力だと思う
私は、まだまだできていない
だから自分本位になることが多いです
先ほどの絵画と最近の事件の話に戻ると、
自分と、おぞましい絵画を比較できるような想像力が豊かな人は、そもそも残忍な事件は起こさないんじゃないかなと思います
想像力がないから、自分の勝手な言い訳で行動するのだと思います
自分があの絵のようになっているとは、とても想像していないのでしょう
世の中を変えるのは、想像力じゃないかなと思うのです
なんだか大きなことを言ってしまいますが、みんながもう少し、想像力が豊かになれば、世の中がよくなってゆくと思います
それには、もっと余裕のある生活が必要なのかも知れません
自分の気持ちに余裕がないと、相手を思いやる心も生まれてこないから
優先順位としてまずは自己防衛、というのは悲しいかな本能なのだと思う
日本人が、ダラダラと散歩したり、食後にみんなでまったりする時間を持てたなら、日本社会はもっと優しくなるのかな、と考えました
20100402_スペイン語・イタリア語
スペイン語を勉強する時、「イタリア語に随分助けられている~」と私はよく言っていますが、
例えばそれは、こんなかんじです。
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① 単語が似ている
『来る』
イタリア語: venire(ベニーレ)
スペイン語: venir(ベニール)
『時間』
イタリア語: tempo(テンポ)
スペイン語: tiempo(ティエンポ)
『お願いします』
イタリア語: per favore(ペル・ファボーレ)
スペイン語: por favor(ポル・ファボール)
② 単語の、スペルは違うけど発音が似ている
『助ける』
イタリア語: aiutare(アユターレ)
スペイン語: ayudar(アユダール)
③ 文法が似ている
『何時ですか?』
イタリア語: Che ora è? (ケオラエ?)
スペイン語: ¿Qué hora es? (ケオラエス?)
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ね。
こんなにも助けられているのに、
それでも、私の語学に対する苦手意識変わらず。
どうしたものか・・・
でも、
似ていると、混乱する。どっちがどっちかわからなくなってくる
語学の得意な人は、一気に何カ国語も勉強できて楽しいのだろうな
いいなぁ。。。
20100331_年度末にどうでもいい話
年度末。
仕事をしていると、大きな区切り
仕事をしていないと、普通の1日
来年度もみなさん適度にがんばりましょう
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そうそう。
父のカレンダーメモのくだりですが(追記欄↓に書いた話です)
http://ameblo.jp/brazodegitano/entry-10495643247.html
今日改めてカレンダーを見たら、父の赤いペンで私の誕生日が書き込まれていました!
私の外出中にブログをみて、こりゃいかんと思ってメモってくれたらしいです
真面目父です
今晩もたくさん肉を食べていました。まだまだ元気です
さて、
どうでもいいブログの、さらにどうでもいい話
今さっき友が、「D.W.ニコルズの春風を歌いたい」と言ったのを、
私は、「へえ!C.W.ニコルさん、歌だしたんだ」と勘違いして言ってしまいました
どんな曲かな?ニコルさんの春風、すごく癒されそうだな。朗読調かな?PVは森の中かな?・・・ecc.
妄想の中で試聴するいきおい
散々ひとりで盛り上がった後、、、ハッと気付いた
恥ずかしかった
さらに正直に言うと、
最初、「へえ!W.C.ニコルさん~…」って言っちゃったんだよ私
相当恥ずかしいよね。トイレじゃないんだからさ
ニコルさんファンの方、すみません
D.W.ニコルズのファンの方、すみません
ブログ読んで下さった方、本当にどうでもいい話ですみません