みなさん、こんばんは。おはようございます。こんにちは。

このブログをご覧になって下さり有難うございます。

元銀行員の中小企業診断士で、産業カウンセラーで、NPO法人メンタルレスキュー協会認定、MRC(メンタルレスキューカウンセラー)、UCPC(うつ・クライシス専門カウンセラー)の「しゅん」こと、本多です。

実は明日から、福岡県鞍手郡小竹町商工会で、創業塾の講師を務めさせて頂く予定でしたが、今日から数年に一度の大寒波の接近で1週間ずつずらして頂き、明日は久しぶりに一日何もしない休養日にしようと思ってます。

前置きが長くなりました。
今日の内容はテレビドラマの話です。
NHKで火曜日の十時から放送されている「東京サラダボウル」というドラマです。

主演が「奈緒さん」で、彼女が福岡出身だし、応援しているので観てます。

最初はよく分からない感じでしたが、毎回観ているとハマっています。

火曜日の10時ドラマは結構社会問題を取り上げているので、あまりニュースでも取り上げないような事をドラマにしているので、いろいろと考えさせられる枠です。

本題に戻ると、このドラマでは警察の中で外国人が関わる犯罪を担当する部署で様々な外国人がで、その人の通訳が必要になるものです。

今はドラマでも説明してますが、外国人労働者の問題は多々あると思いますが、報道されるのはトラブルや犯罪絡みの出来事がほとんどです。

今、コンビニや飲食店で外国人のスタッフが働いてますし、病院はそこまでは行ったないと思ってますが、介護施設では多くのスタッフが働いているのは現実です。

今日のドラマの中でも有りましたが、出生率が減っている中、今後外国人の労働者に頼らないと少なくとも約20年くらいは高齢者が圧倒的に多い状況で法規制の見直しが必要になると思ってます。

アメリカではトランプ大統領が不法移民の問題を強硬な対応をいろいろと言われてます。

まとめると、今後外国人労働者を受け入れてくれる企業が、基本的に日本人の正社員として貰えるかという事が重要だと思ってます。

確かに真面目に働く人達で、数年後に帰国する人もある少なからずいますが、中には日本で永住して頑張りたいという人もいます。

もちろん、実習目的で一定期間で帰国する人もいますが、ある程度の人は日本に住み続けたいひともいるので、少子高齢化社会の現状を踏まえて、そのような法律を考える時期に来ているのではないかと思ってます。

そのために一番大切な事は、帰国を前提で来日する人と可能であれば永住権を与えてでも、差別なく働ける制度を作る事が必要だと思います。

要するに真面目に働きたい思って日本に来て入れた人を、差別する事なく受け入れて行くことを考える時期に来ていると思います。

既に中にはそのように対応している企業もあり、もっとその様な企業が増えると良いなと思ってます。

そのためには、来日してくれた人たちに、まず日本の生活習慣やマナー、挨拶を教えながら、仕事を教えて行く事が必要です。

中には、新人を育てるのにそこまでしなければいけないのかといわれそうですが、今の若い人、いわゆるZ世代とのな違いは大きいので、そう考えると普通にできますし、逆にZ世代との付き合いでも外国人に指導すると思えばできます。

私が若い頃は新人類と呼ばれ、扱いにくい若者という時期を過ぎ、その後毛いろんな呼び方になり、Z世代と言われますが、同じ人間です。外国人の場合は言葉や習慣は違うかもしれませんが、教えてあげればできる様になります。

同じ地球人として関われたらいいなと思います。

最後までご覧いただき、有難うございました。

みなさん、こんばんは。おはようございます。こんにちは。

元銀行員の中小企業診断士で、産業カウンセラーで、メンタルレスキュー協会のUCPC(うつ・クライシス・専門カウンセラー)の「しゅん」こと、本多です。

実は今日2月4日は私の誕生日なのです。
なんと、国が認める「高齢者」になってしまいました。今から人生を振り返ります。長文ですし、私の独り言なのでお時間がございましたら、ご覧頂けたら嬉しいです。

私は子供の頃から小さく生まれ、10歳くらいまでは何度も命を亡くしかけるくらいの病弱でした。

3人兄弟で兄と妹は算盤と習字を習っていましたが、私だけは5年生の時から剣道を習わせて勉強よりも健康を心配してくれました。

夜中に鼻血が止まらなくてタクシーで遠くの耳鼻科を探して回ってくれたことや、中1の夏休み。テレビでは野球のオールスターが放送されている中、福岡は台風で停電している時に盲腸が破裂しかけて救急車でその時、停電してなかったということで、小倉南区の病院に運ばれました。

実はその病院は自家発電装置があったのではなく、たまたまその時停電が治っていただけで手術は出来ないと言われて、死ぬほど痛みと吐き気を堪えながら朝まで我慢し、ようやく手術して頂きましたが手遅れ寸前でした。

当時、盲腸の手術は30分位だったのが、私は2時間を超えました。

入院の期間も普通は1週間位が平均のところ、17日間も入院しました。その病室は6人部屋でしたが、私ともう一人のおじさん以外は全身に見事な刺青がある人でした。

私は子供だったので、刺青は怖くなかったようですが付き添ってくれた母は後で、あの時は怖かったと言ってました。

幸いに、その後は剣道を続けたせいか健康になりました。

高校に入学してすぐに、いじめに遭い夏休み明けにいじめグループの事に母が気づいて学校に文句を言ってくれ、一旦はいじめは治りましたが、陰で小さないじめは続きました。

それから2年生の時に、3年生の生徒会長から次の会長のなり手がいないから、お前出てくれないかと半強制的に立候補させられて、なんと生徒会長になりました。

その1年は学校の創立70周年だったので、学校行事も様々でいろんな経験をしました。この1年は大変でしたが、多分た私の人生が変わった1年だと思います。

その後、銀行に就職できました。これも生徒会長の経験が評価して貰えたのでしょう。

実は就職してからも、26歳の時はバセドウ病で入院し、手術しましたし、47歳で無意識で自殺しかけて、精神科に入院。さらに復職後に仕事でのミスから二度目の自殺未遂で人生二度目の救急搬送。

それから、まだ銀行員時代にバイクでの転倒で肩の手術を受けるなど、銀行が福利厚生が良かったからこそ良かったですが、銀行も想定して無かったと思うくらいに福利厚生をフル活用させて貰いました。

さらに、コンサルとして独立してから3年目に脳梗塞で入院。さすがに、ここでは福利厚生がないので、まだ頭が十分に回復しないまま仕事を再開しました。

幸い、頭を使う仕事なので仕事がリハビリみたいな感じで回復していきました。お陰様で、独立してからは仕事にも仲間にも恵まれて来たと思ってます。


そんな中、昨年9月に左半身が動かなくなりまだも入院!


幸い、脳梗塞ではあるのですが、脳梗塞になる原因が頚動脈の脂肪と分り、脂肪を除去して無事に仕事に戻ってます。


実は今心臓の問題が分かって、出来るだけ早くにバイパス手術を受けるように言われましたが、事情があって3月に手術の予定です。


そんなこんなでいろいろ有りましたが、なぜか今生きていて今日、無事に高齢者になれることができました、


さらに実はまだ結果がわかりませんが、今新しいチャレンジをしています。その結果次第では、これからの人生が変わるかもしれません。


今日65歳の高齢者になりましたが、これまでに書いて来たように様々なことがありかながら今日を迎えられたということは、まだまだ私がやる事があるのではないかと思っています。


あと、どれくらい生きられるかは分かりませんが、一日一日を大切に生きて行こうと思います。


最後までご飯頂き、有難うございました、

みなさん、こんばんは。おはようございます。こんにちは。

このブログをご覧頂き、有難うございます。

研修で宿泊施設のベッドから落ちたけど、幸い少し腰が痛いかなぁというレベルで特に問題がなかった、元銀行員の中小企業診断士で、産業カウンセラーで、キャリアコンサルタントで、メンタルレスキュー協会認定UCPC(うつ・クライシス専門カウンセラー)の「しゅん」こと、本多です。

先週までで、無事事務所移転が終わったところで、今週は東京の中小企業大学校東京校に研修を受けに行きました。





中小企業診断士資格は、1次試験に合格しても2次試験に合格出来ずに資格取得を諦める人が少なからずいます。


2次試験に代わり、登録養成課程を行う機関で講義や実習を受けて合格すれば、2次試験に合格したのと同じになるので、長い期間と高い費用を払って登録養成課程で資格を取得する方法があります。


今回、私が登録養成課程でインストラクターとして指導できるように受講しました。


私が中小企業診断士の試験に合格したのは平成7年だったので今とは試験制度が違います。


また、資格更新のための実技講習も15年くらい前に受けた事はありますが、指導者としての知識を学ぶいい機会でした。


研修参加者の多くの方が、登録養成課程で資格を取得されていたので、自分が苦労した実習の経験などからの見解を聞く事ができ、とても学びの多い研修でした。


講師のI先生は長年の経験などをユーモアを交え、でも言葉を選ばれ、そしていろんな質問や意見にしっかりご対応され、私も講師業を務める事があるので、とても学ばせて貰いました。


研修終了後に修了証書を貰いました。その時は気づかなかったのですが、部屋に戻って荷物を整理している時に、日付が令和6年6月6日の6揃いでびっくり‼️



今回、久しぶりの東京でしたが、中小企業大学校東京校は東大和市で、恥ずかしながら東大和市という地名すら知らなくて初めて行きました。


今回、乗換案内アプリに随分助けて貰いました。

最後の最後で羽田空港でJALなのに、ANAの搭乗口の方に行ってしまい、迷子になってしまったのは乗換案内のせいではありません。


最後まで読んで頂き、有難うございました。

みなさん、こんばんは。おはようございます。こんにちは。

このブログをご覧頂き、有難うございます。

自宅で仕事をすることに決めて、玄関前に花の苗を植えて、毎日朝に水やりしている、元銀行員の中小企業診断士で、産業カウンセラーで、キャリアコンサルタントで、メンタルレスキュー協会認定UCPC(うつ・クライシス専門カウンセラー)の「しゅん」こと、本多です。

前回までに事務所から、机などや書類、本などを運んでもらった事を書きました。

午後3時に引越し業者さんが、全てを運び終わりました。代金を支払い、帰られてから荷解きを始めました。

本などは妻が箱から出して、棚に並べてくれたのでかなり助かりました。

私は事務所に保管していた書類をひとつ一つ確認しながら、保管が必要なものと廃棄可能なものとを分けました。

すると、紙に印刷して保管しているものの大半は、処分していいものがほとんどでした。

考えてみれば、データがデジタルで保存しているのでクライアントや依頼者に説明が終われば廃棄していいもので、ここ数年はそのようにしてますが、以前は全て紙で印刷していて、保存してたのが相当ありました。

その仕分けに時間がかかり、気がつくと午後9時回っていました。

食事をとるのも忘れ、参加予定だったZOOMでの研修も忘れてしまってました。

結局、後1時間ほどで一旦今日の作業は終了しました。

翌日は終日仕事や予定が有ったので、翌々日の水曜日と次の日の木曜日の2日かけて、一応事務所らしくなりました。







翌日の金曜日は、空になった事務所に掃除に行き、ひとまず事務所移転は終了しました。


まだまだ、本などの置き場所を変えたりする必要がありますが、まずは無事に終わりほっとしてます。


準備を始めて約1ヶ月、不思議と作業をする日は天候に恵まれました。どうやら、私の伝説は生きてるようです。


前の事務所は博多駅から徒歩で来ることができたので気軽にお立ち寄り下さいと言えましたが、今後は気軽にはお誘いはできませんが、来てみたい方には福岡空港までお迎えに行きますので、お声かけください。


後は、自宅で仕事をする時に仕事モードに切り替える事を意識して、ダラダラしないように気をつけようと思います。


最後まで読んで頂き、有難うございました。

みなさん、こんにちは。こんばんは。おはようございます。

このブログをご覧頂き、有難うございます。


自宅を事務所にして10日目の今日、正式に賃貸契約が終了し、少し寂しさも感じてますが家にいる時間が増えたので、花を植えたりしている、元銀行員の中小企業診断士で、産業カウンセラーで、キャリアコンサルタントで、メンタルレスキュー協会認定UCPC(うつ、クライシス専門カウンセラー)の「しゅん」こと、本多です。


前回までに自宅を断捨離し、並行して引越し業者を探し、片付けや梱包を行なっていたことを書きました。




引越し日を20日に決めた時は週間天気予報では雨でしたが、前々日くらいに予報が晴れに変わり、当日も引越しが始まる時間には見事に晴れました。私の伝説は続いてます。


約束の時間に引越し業者さんがきて、手際良く段ボールを運び出して行きます。


大きな物(机、本棚、キャビネットなど)も、あっという間に積み込みが終わり、今度は自宅への移動です。


何もなくなった事務所は広いなぁと改めて思いました。









予定では2トントラック2台でしたが、なんと4台で来てくれてました。


家に着いて、今度は運び込みです。


今回は2階に運ぶので大変です。


特に机はかなり大きいので、引越し業者さんも心配してましたが無事運び込みが終わりました。


続きは次回書きます。


最後まで読んで頂き、有難うございました。