みなさん、こんばんは。おはようございます。こんにちは。

元銀行員の中小企業診断士で、産業カウンセラーで、メンタルレスキュー協会のUCPC(うつ・クライシス・専門カウンセラー)の「しゅん」こと、本多です。

実は今日2月4日は私の誕生日なのです。
なんと、国が認める「高齢者」になってしまいました。今から人生を振り返ります。長文ですし、私の独り言なのでお時間がございましたら、ご覧頂けたら嬉しいです。

私は子供の頃から小さく生まれ、10歳くらいまでは何度も命を亡くしかけるくらいの病弱でした。

3人兄弟で兄と妹は算盤と習字を習っていましたが、私だけは5年生の時から剣道を習わせて勉強よりも健康を心配してくれました。

夜中に鼻血が止まらなくてタクシーで遠くの耳鼻科を探して回ってくれたことや、中1の夏休み。テレビでは野球のオールスターが放送されている中、福岡は台風で停電している時に盲腸が破裂しかけて救急車でその時、停電してなかったということで、小倉南区の病院に運ばれました。

実はその病院は自家発電装置があったのではなく、たまたまその時停電が治っていただけで手術は出来ないと言われて、死ぬほど痛みと吐き気を堪えながら朝まで我慢し、ようやく手術して頂きましたが手遅れ寸前でした。

当時、盲腸の手術は30分位だったのが、私は2時間を超えました。

入院の期間も普通は1週間位が平均のところ、17日間も入院しました。その病室は6人部屋でしたが、私ともう一人のおじさん以外は全身に見事な刺青がある人でした。

私は子供だったので、刺青は怖くなかったようですが付き添ってくれた母は後で、あの時は怖かったと言ってました。

幸いに、その後は剣道を続けたせいか健康になりました。

高校に入学してすぐに、いじめに遭い夏休み明けにいじめグループの事に母が気づいて学校に文句を言ってくれ、一旦はいじめは治りましたが、陰で小さないじめは続きました。

それから2年生の時に、3年生の生徒会長から次の会長のなり手がいないから、お前出てくれないかと半強制的に立候補させられて、なんと生徒会長になりました。

その1年は学校の創立70周年だったので、学校行事も様々でいろんな経験をしました。この1年は大変でしたが、多分た私の人生が変わった1年だと思います。

その後、銀行に就職できました。これも生徒会長の経験が評価して貰えたのでしょう。

実は就職してからも、26歳の時はバセドウ病で入院し、手術しましたし、47歳で無意識で自殺しかけて、精神科に入院。さらに復職後に仕事でのミスから二度目の自殺未遂で人生二度目の救急搬送。

それから、まだ銀行員時代にバイクでの転倒で肩の手術を受けるなど、銀行が福利厚生が良かったからこそ良かったですが、銀行も想定して無かったと思うくらいに福利厚生をフル活用させて貰いました。

さらに、コンサルとして独立してから3年目に脳梗塞で入院。さすがに、ここでは福利厚生がないので、まだ頭が十分に回復しないまま仕事を再開しました。

幸い、頭を使う仕事なので仕事がリハビリみたいな感じで回復していきました。お陰様で、独立してからは仕事にも仲間にも恵まれて来たと思ってます。


そんな中、昨年9月に左半身が動かなくなりまだも入院!


幸い、脳梗塞ではあるのですが、脳梗塞になる原因が頚動脈の脂肪と分り、脂肪を除去して無事に仕事に戻ってます。


実は今心臓の問題が分かって、出来るだけ早くにバイパス手術を受けるように言われましたが、事情があって3月に手術の予定です。


そんなこんなでいろいろ有りましたが、なぜか今生きていて今日、無事に高齢者になれることができました、


さらに実はまだ結果がわかりませんが、今新しいチャレンジをしています。その結果次第では、これからの人生が変わるかもしれません。


今日65歳の高齢者になりましたが、これまでに書いて来たように様々なことがありかながら今日を迎えられたということは、まだまだ私がやる事があるのではないかと思っています。


あと、どれくらい生きられるかは分かりませんが、一日一日を大切に生きて行こうと思います。


最後までご飯頂き、有難うございました、