島根の旅~松江編~
まず、宿が安い。飯が美味い。交通の便が良く、観光の拠点としても最適。
松江自体も観光していて飽きない。
と言う理由からだ。
松江の食は安い。関西や東京から行くと、とにかく、驚くほどである。




実はこれは、しじみの酒蒸し。普通、しじみなんて、小さすぎて酒蒸しには出来ないが、
ここのしじみは酒蒸しにできるほど大きく、美味しいのだ。
なお、これと同じクラスは、青森の五所川原にもあるが、この二つくらいしか、我々は知らない。 肝臓にも優しいので、行ったら是非食べましょう。

これはマツバガニ。このくらいなら、1500円くらい。
さて、次は、松江城付近にある小泉八雲館。
小泉八雲はこう言ったらしい、日本の最大の文化的遺産は、陶器などのものではない。
大和撫子である。と。
確かに、ここ島根の女性は、大和撫子だと感じる。今、全国的に失われてしまったように思えるが、奥ゆかしく、そして、気遣いが素敵である方が多い。
自分の権利だけ求める人が多くなっている感じがするが、今の日本にはこういう人たちと、このような風土風潮が大事なのではないだろうか?
島根の人、もっと活躍して欲しいと思う次第である。

さて、ここからは松江城。松江城は、堀尾茂介吉晴によって開かれた土地。
築城の名人だけあって、城の周りは移動しずらいくらい、道がまっすぐではない。
#今となっては交通的に不便。
その松江、丁度400年らしく、博覧会モードであった。
屋台も出て、地元の食材も味わえるし、影絵なども見れたし、とても満足。
以下、幾つか紹介する。










岡山の旅
桃太郎は、どこで祀られているのか?
それは、二つの神社で、吉備津彦神社と、吉備津神社であり、同じ山の対面に存在する。

ここだ。
どうも、大和朝廷時代に、吉備の力が強すぎて、備国を国割りした際、聖地となる神社もわけてしまったのが実情のようである。
なお、皆さん、知っているだろうか?桃太郎は仲間を手に入れるが、その順番が大切であると言う事を。
桃太郎の話は、実は、成功するためのストーリーになっているのだ。
成功するためには、まず、感謝の心が居る。そこで、犬が最初に仲間になる。
犬は、一日の恩を感じたら、一生忘れないと言うくらい義理堅い生き物である。
しかも、吉備団子は、本来、無償で渡している。この報恩の気持ちが大事なのである。
次に、仲間になるのは、猿である。言わずとしれず、知恵がいることを示唆している。
そして、最後に、雉。雉は、行動を象徴しているのである。
感謝し、知恵を働かせ、そして、行動すれば、鬼を倒して財宝を得る=つまり経済的成功を成し遂げられる。
と言うストーリーなのである。皆さん、知っていただろうか?
そんな、岡山、見るべきポイントはかなり多い。真庭というところには武家屋敷群が存在する。


そして、神庭の滝公園。ここでは、野生の猿がおとなしく暮らしている。
人の食べ物を奪いに来るような猿は皆無(皆さん、餌付けしないように)、人と自然が共生し、
そして、景観も非常に良い場所である。



さて、真庭から、広島側に南下していくと、津山がある。
ここには立派な城が存在する。


津山城。越前松平秀康の一門の城。秀康の越前家は全国に多数散らばり、総石高は120万石を数えた。門外の家とされ、江戸幕府の命に従わずとも良いとされた一門が守った城である。
美星牛のステーキ。倉敷にある。結構安くて、ボリュームたっぷり!!
亀の駅。おもしろい。


池田家の岡山城横の後楽園から。
池田家は、外様であるにもかかわらず、一族が力をあわせて反映した。
小牧長久手の戦いで、豊臣秀吉側として戦った池田恒興の子孫たちである。
この戦いでは、未だ池田家は臣下になったわけではなく、秀吉は、織田家宿老の意見を聞き入れないわけにはいかず、反対しながらも、森長可と池田恒興の作戦に同意し、
徳川軍に迫った。これを逆手にとった家康軍に、散々に打ち破られてしまい、池田恒興らは嫡男の池田元助共々戦死。
後日、残された池田家の遺児、孫たちは、徳川方に与し、兄弟の家それぞれが助け合い江戸時代を生き抜いたようである。
中国の旅~北京編~
ラストエンペラーで有名だ。
人民の性質は、よそものには冷たく、仲間内には熱い感じがする。
中国政府は日本人から見ると最悪であるが、そこに住む人たちは素朴な人たちが多いとも感じた。
北京周辺にはかなりの観光名所や世界遺産がある。それらをまとめて紹介したいと思う。
ただし、日本人同士だけで、全く中国語が話せない状態で行くのは全くお奨め出来ない。
絶対にぼったくられる。 万里の長城での事だ。多少銭?と聞くのと、How much?と聞くので、3倍くらいの値段になっているのを見た。
それに類する事はどこにでも存在する。気を付けた方が良い。現地ガイド付きツアーにするか、
中国人の友人と回るか、した方が良い。


ここは胡同 。旧市街の名残をそのまま残す。

恭王府。乾隆帝の寵臣・和坤の私邸として1777年に建築されたところ。庭が立派。

孔子廟。ここには、歴代の科挙の合格者がその名を刻む。
科挙は、優秀な人材を登用する制度であると思われがちであるが、その裏は、天才に反乱を起こさせないように詰め込み教育を行う事で思考力を奪う狙いがあったとされる。
だから、中国人民は、深堀りして考えるのが苦手な方々が多い。
今の日本の若者もそうなりつつあって、それは危険な事であるように感じているこの頃だ。
河南省の山荘にて。
河南省の万里の長城の端が見える場所。万里の長城は、秦時代に建造が開始、最終的に完成したのは、明の時代であった。はるかなる城郭である。長城の外は内蒙古。かつて、満州国があった場所である。
河南省の皇帝の避暑地にて。
居庸関の長城の入り口。北京付近には、たくさんの万里の長城がある。
ここはその一つ。
後海と言う若者達でにぎわう場所。格好のデートスポットだ。

慕田峪長城。ここも万里の長城。日本ではここも有名。
司馬台長城。ちょっと寂れているが、人も少なく綺麗な景観が堪能出来る長城。


八達嶺長城。ここが一番有名な長城。ただし、観光客の嵐。北京を訪れたら必ず行きたい場所。
明の十三陵の定陵。明の歴代皇帝たちが眠る廟で、棺まで公開されている唯一の場所。
明の十三陵の長陵。定陵から近くにある。棺までは公開されていない。
故宮博物館:紫禁城。ここは何も説明はいるまい。
映画ラストエンペラーの舞台であり、清王朝の居城である。
台湾にも、故宮博物館があり、良い宝物は全部台湾にあるようだ。
蒋介石に恩義を感じた根本中将をはじめとする旧日本軍将校たちが、台湾を助け、毛沢東は台湾制覇を諦めざるを得なくなった。
毛沢東がいなければ、今の日中関係はもっと良かっただろうし、日中戦争は起こって居らず、
満州国も崩壊していなかった可能性があり、ロシアに、四島以北の北方領土を奪われたままにはならなかったかもしれない。
非常に残念である。

北京最大の繁華街、王府井にて。ここでは、デパートやおみやげ物屋、屋台と何でも揃っている。
ここは天檀公園。明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った祭壇である。
地檀公園と人檀公園も近くにある。

有名店の全聚徳にて本場北京ダックを食す。
ここの北京ダックは本当に美味い。
京劇を見ながらの食事。この仮面なんども変わるが、その変わる瞬間は速すぎて分からない。熟練の技は凄い。

北京郊外の周口店の北京原人博物館。
北京は、四国ほどの大きさがあるので、郊外と言っても、万里の長城側(それもたくさんあるが)と、ここでは方向が異なる。
なので、郊外で拾ったタクシーは中央の事は知らない事が多いので、要注意だ。
もちろん、英語も、ましてや日本語も通じない。Just中国語だ。

頤和園。見事な公園だ。人工の湖、そして、その湖を掘った土で出来た人工の山。そこには寺院も建てられている。
悪名高き西太后が、5万の兵力と数年分の軍事費を費やして作ったとされる。
あの時代にそんな事をすれば、そりゃ、国も滅ぶ。
この場合、歯止めをかける存在が必要で、人間界ではそのために配偶者がいるのではないか、
しかし、その配偶者が、歯止めをかけれるほど強くなければ、逆の結果になる。
そんな事を考えたりして、悩んでしまった。
こういった歴史的事象は小さくすると、対岸の火では決してない。

中国雑技団。数々の素晴らしい技を堪能出来る。
このショーはお奨めなので、参加出来ると良いと思う。
あと、この雑伎団の近くのマッサージ屋が安い。ホテルのマッサージ屋は基本高いので外で探す方が良い。ただし、長府宮飯店に備え付けのマッサージ屋は安くてお奨め。
宮城の旅
ここでは震災前の姿をあえて掲載しておきたいと思う。復興を願って。
今日、気仙沼でサメの水揚げが復活したらしい。
気仙沼で食べた、ふかひれ、そして、マンボウ、料理屋の人の良いおじさんや、
カウンターに並んだ人たち。すべて忘れられぬ。。。。
サメの水揚げは、難しいと聞く。そのまま生で食べるものではなく、
ヒレはフカヒレ、身はかまぼこ、等々、加工が入るからである。
宮城には、中世、多賀城が置かれていた。
いわゆる鎮守府である。 初の征夷大将軍、大伴弟麻呂もここに本拠をおいた。坂上田村麻呂も。
今も昔も、宮城は東北行政の中心であったのだ。
[多賀城 跡]
そして、宮城といえば、松島だ。この美しい景観。何度も伺った。
[在りし日の松島。]
掲載しきれないが、鳴子峡も、綺麗だし、蔵王へ行く途上にある数々の温泉郡も良い。
我々は宮城が好きだなぁ、と実感する。
[宮城蔵王から山頂へ向かう途上にある 返らずの滝]
[仙台城の伊達政宗像]
仙台城の近くに、ラブホ街があるが、その付近にある牛タンの店はどれも美味しい。
奥州産じゃなくても、たぶん、焼き方や塩加減に秘訣があるのかもしれない。
是非お勧めだ。 仙台城の中にもある。そこでも十分に美味しい。
伊達政宗は有名すぎるので説明は割愛する。
しかし、一つだけあまり知られていないであろうエピソードだけを紹介する。
彼は、いわゆる格好付けだった。
死に際して、愛妻の愛姫が見舞いに訪れた時、
こんな格好の悪いのを見せることはできぬと、面会を拒絶したらしい。
最後まで、妻の前で格好をつけたかったというところに彼らしさが現れている。
#ひどい!と怒る方もおられるやもしれませんね。
ついでに、もう少しだけ。
実は、彼は、愛姫を大事にしていたが、なかなか子供に恵まれなかった。
そのため、側室を持ち、長男は側室の子である。その後、愛姫にも息子が生まれた。
徳川家康との関が原合戦時の約束は、100万石の大名にしてもらうことであった。
伊達政宗には、旧領回復が望みだったに違いない。
しかし、彼は、周辺で起きた一揆に影で加担し、領土をさらに広げようとした。
それがばれてしまい、100万石の約束は反故にされる。
ただし、家康からの妥協案として、四国の宇和島に領土を得た。
家康はいろんな意味でたぬきだなと苦笑する。
伊達家を分裂させつつ、恩は売っている。
このバランス感覚が、日本を長らくの平和に導いたのかもしれない。
かなり離れた土地に領土を得た政宗は、妾腹の長男、秀宗に四国宇和島を与える。
そして、愛妻愛姫の子、次男、忠宗が、仙台藩を継ぐことになった。
長男の秀宗にはかなり感謝されたことだろう。
そして、伊達政宗は反旗を翻す事をしにくくなったわけだ。
しかし、政宗とその側室はどんな気持ちで、わが子を見送ったのであろうか。
当時の四国といえば、二度と会えないくらい離れた土地。。。。
岐阜の旅
薄墨桜は、1500年桜。第二十六代の継体天皇が、皇子時代に隠れ住んだとされる根尾の地で、
ここを去るときに住民たちへの感謝の念から植えたとされている。状況的に信憑性が高い気がする。
[根尾 薄墨桜]
[根尾 薄墨桜]
少し歴史について触れておこう。
第二十一代の雄略天皇は、自分が皇位を得るために、皇子を粛清しまくった天皇で、
そのため、男系男子が消失する危険があった。後に第二十三代、二十四代の天皇になる仁賢、顕宗の両天皇も、
牛馬の飼育員に身をやつして逃亡生活を送っていた。
継体天皇は応神天皇から数えて五代も遡らなければいけないが、Y遺伝子はコピーが受け継がれるがゆえに、
遺伝子的にはそう遠くもないのだが。。。。
ここで、天皇について、発言しておこうと思う。
なぜ、男系男子にこだわる人が多いのか。
人を含む現代にまで生きているすべての動物は、Y染色体とX染色体から成る。Y染色体は女親からはもらえないので、男親のコピーが受け継がれる。そして、コピーの際にエラーが起きると遺伝子が死ぬ。
なので、優秀なY遺伝子を受け継がせるために男には競争本能が従来備わっていると言う。
世界中で、家を形成するのが男系であったのはそのためである。
巫女の時代を除き、王に基本的に男性がなるのは、進化の歴史で男の役割が群れを守ったり、序列を上げることで、家族により多くのご飯を運び、自分の遺伝子を後世に伝えやすいという競争原理からそうなったように思う。
なにせ、近世はたった100年程度のことであり、ここに至るまでの人類の歴史のほうが長いからである。
人は人である前に生物であり、近世の日本では競争が成り立ちにくいがゆえに、生物としての機能が弱まっている
という見方もできるからだ。 競争なき社会に発展はない。 生物の機能として、男性個人の遺伝力がなくなると、
小子化が大きな問題となる。
我々は危機感をもっていて、多少、野生に返る活動がいるのではないか?と思ったりもする今日この頃だ。
その意味で、草食男子なんて言葉自体使っちゃいけない。
この国の将来のために、肉食男子になってくれ。日本国民の皆さん。と思う次第だ。
そう考えたとき、女系天皇を創ってしまうのは、本能的に、生物的に考えると、あまり喜ばしいことではないように
確かに思える。。。。。
男がある程度肉食系でいないと、遺伝的に弱くなる気がするし、女系天皇の流れは、その逆の潮流を作ってしまうかもしれないと危惧するからだ。
すべての物事はつながっているのであり、誰かが小石を川に投げると、その波紋は広がっていく。
つまり、ちょっとした流れが、大きな影響を及ぼすことになる。
何が正しいかではなく、今後の社会に、どういう影響があって、どういうリスクがあるのか、そういう目で見てほしいものだとも思ったりする。
さて、ところ変わって、稲葉山へと向かう。
最後の城主は信長の嫡孫の織田秀信。
関が原の合戦で重臣が反対したのを聞き入れず、西軍について、福島正則を迎え撃った。
結果、落城し、名門織田家の嫡流はここに潰えた。
信長が隆盛を誇り、その孫で潰える。無常というものだ。
[稲葉山城 = 岐阜城]
織田信長が天下布部を宣言したところとしても有名。
本能寺の変にまで付き従っていたともいう、斉藤道三の娘、濃姫はここで生まれた。
[岐阜城]
ここへはロープウェーを使わないとちと遠い。。。
そして、岐阜といえば、飛騨高山。ここは美しく、ご飯も酒も旨い。
しかも、行くまでの道すがら、電車の風景が非常に良い。
名古屋から飛騨高山までの自然の景観を楽しみつつ、ビールで乾杯するのは気分が良かった。
是非お勧めしたい。
[飛騨高山の風景]
[飛騨高山 陣屋]
[飛騨 福地温泉にて]
[飛騨 大橋コレクション館]
この館はすごい。個人コレクションの山。
一見の価値がある。
ちなみに金塊もある。(先日盗まれたと報道されて驚いたが・・)





















