島根の旅~松江~八重垣神社編
勝手なことを言うと申し訳ないが、旧き良き日本が残っている感じがするからだ。
島根にくると、自分が恥ずかしくなるくらい、良い人たちだ。
「かつての日本人の原点がここにあるのかも。」と勝手に思い、何度でも訪れたくなる。
かつて、出雲は大和朝廷時代、大きな勢力をもっていたと伝わる。
古代出雲歴史博物館の出土品を見ると、どうやら、物部系部族のようだ。
物部氏と言えば、古代大和朝廷で、和歌山を拠点とした久米歌で有名な大伴氏と並ぶ、軍事氏族。
大王(おおきみ:天皇の古称)の親衛軍が大伴氏で、外征軍が物部氏だった。
さて、今日ここで紹介するのは、神話で有名な、素盞雄尊とその妻、奇稲田姫(稲田姫命とも言われる)が、新婚生活を送ったと言われるのが八重垣神社である。


[八重垣神社の夫婦椿 1] [黄泉国(根の国)の入り口 黄泉比良坂]
そして、日本に残る数々の伝承はうさんくさいと思われる人もいるのが残念だが、実際は歴史的な何かの事実とつながっているケースが多い。
たとえば、大国主尊が素盞雄尊のいる「根の国」へ行く前に「木の国」(=和歌山)へ行っていると日本書紀には書かれているが、和歌山には、その子の五十猛尊が祀られている伊太祁曽神社と言う紀伊一宮がある。出雲と紀伊には何かしらのつながりがあることが分かる。
[楽しい解説をしてくれる縁結び娘の景山さん]
八重垣神社の主祭神は、素盞雄尊の妻の奇稲田姫(稲田姫命)である。
有名な八股のおろち退治で、尊は姫を得て、ここで幸せにくらしたと言う。
それゆえ、縁結びの神様としての信仰が非常に強いようである。
縁は結婚だけでは無いが、やはり女性やカップルが多い。
そして、何と、今なら、無料ガイドが定期的に実施されている。
[八重垣神社の夫婦椿2] [八重垣神社の夫婦椿3]
ここには、不思議な椿が三本ある。
説明によると、もともと二つの木がいつしか一緒になって一対の木になっているようだ。
葉っぱも二対のものが、時折、存在する。
これも、奇稲田姫の霊験か。
ここには、心温まる歌がある。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
これは日本最初の和歌と言われ、尊が姫に送ったと伝わる。
国の乙女の花と歌われた奇稲田姫を得た喜びを歌にしたもので、実にうらやましい。
姫も嬉しかったに違いなく、なんだか、神様ののろけを聞いているようで、面白い。
しかも、ここには、奇稲田姫が逃げ込んだと言われる森まで残っている。
生物的に、八股の大蛇は存在しうる。実際、二股のかえるや三股の蛇はTVでみかける。本当にいたのかもしれないと考えるのは、ロマンというものか。
[千木の解説] [この千木は女性神を示す]


[鏡の池]
[鏡の池に浮かべる占い]
無料ガイドでは、たくさんの興味深い説明が聞ける。
ここでは敢えて全ては紹介しないでおく。
狛犬にも注目だ。
狛犬といえば、我々は、鳥取の白兎神社や京都の岡崎神社の、兎が狛犬になっている神社や、他にも、面白い狛犬は各地に存在するのを見てきたが、ここの狛犬も、一味違う。
最後に、鏡の池でする占いは、他の神社には無い占いだ。
あらかじめ何が書かれているか分からない紙を購入。一枚一枚文言が違う。
それに10円か100円を載せて、早く沈めば、早く願い事がかなう。
ちなみに、筆者たちが最後に行った際は、文言を読む暇もなく沈んでしまった。驚き。。。。友人は、真ん中に穴が空いてしまって、いつ沈むとも知れぬ状態に。(ちょっとかわいそう・・)お金を置くときには慎重に。
[お約束の記念写真] 今年も一年、良いことがたくさんありますように!!
余談だが、天照大神は、現代では女性神として祭られることが多いが、天皇家発祥の高千穂神社の神楽では、女神ではなく、男神として登場する。
これには、いくつかの仮説がある。
卑弥呼の邪馬台国を滅ぼした大和朝廷が、正当性を主張するために、祖先神を卑弥呼に見立てた。
これは、伊勢外宮に九州からわざわざ異動させた、女性神の豊受大神の発音が、邪馬台国の“とよ”と言う卑弥呼の後を継いだ女王の名前と呼び方が一緒であることからも、である。
他にも、持統天皇や、伊勢神宮の斉宮のイメージから変わったとされる説すらもある。
神社を訪れ、歴史を自分なりに探索し、その流れに思いを馳せる。
今、さぞ正しいかのように信じられている事だけが真実ではないのだ。
[松江で食べる松葉ガニ:これで1500円!]
[古代日本のチーズ “蘇”]
最後に少しだけ食の紹介だ。
松江の一畑電車の駅(何駅か忘れてしまった。)の喫茶店で、珍しいものがある。
蘇と呼ばれる古代のチーズ。牛乳を煮詰めただけで
作るという。
値段はちょっと高め(1000円程度)だが、古代人の気分。
これは、出雲大社とここくらいでしか食べれないらしい。
松江といえば、山陰。はずせないのは、蟹。
安すぎる。おいしい。
全般的に松江は、食も良い。味よし、安し。
大満足できる。人も良し。温泉も良し。
ああ、言うことなし。だから、何度でも来たいお薦めの土地だ。
ぜひ、行って八重垣神社でガイドを楽しみ、夜はおいしいものを食べてみましょう!!
島根の旅~石見、出雲編~
今回は石見を紹介したい。石見と言えば、石見大森銀山。
古くは、大内氏、尼子氏と毛利氏などが争奪戦を繰り返し、最終的には、徳川氏のものとなる。
幕末に、第二次長州征伐に勝利した、長州藩士は勢いに乗って幕府軍を追撃。
ついに、400年ぶりに、この石見銀山を毛利氏に回復する。
そこにあったのは、毛利元就の木像であった。長州藩士たちは感涙にむせぶ。
そう言う一幕もあった。
銀山としての価値は、1700年代には低下しており、明治になっては主に銅の算出になり、
それもすぐに採算がとれずに廃坑となった。
かつて、安土桃山時代には、ヨーロッパの地図にも、ここ石見大森銀山が日本の地図にでかでかと載っている。日本は銀の国であったのだ。




ここは、間歩と呼ばれる坑道の一つ。一般公開されているのはここだけだ。
冬も秋も良い。


銀山坑道の内部。何かでてきそうなくらいだ。こういった穴が無数に存在しているようである。

間歩に至る道。散策するにも気持ちの良い景観である。

世界遺産センター内の資料館にて。このセンターからバスが15分間隔で出ている。


銀山付近の寺。
銀山関係の遺跡群の一番麓にある神社の珍しい”双頭の松”。黒松と赤松がくっついていたようだ。
現在は片方が枯れてしまって切られており往時が偲ばれる。
さて、ここからは、日御碕の景観を。ここは出雲大社の近く。石見との境付近にある。
付近には後述するが、日御碕神社がある。ここは日沉の宮と呼ばれる。










上の本社/神の宮に神素盞嗚尊が、下の本社/日沈の宮に天照大御神が、
祀られている。
「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社、である事による。
立派な神社だが、場所が場所だけに参拝者が非常に少ない。
ただし、この付近から見る夕焼けは本当に美しい。
鳥取の旅
歴史と共に、幾つか紹介したいと思う。


旧国庁跡。国庁跡はこのように柱の跡だけになっている事が多い。
現在の中心とは別の場所にある事も多く、田の下に存在していたなんて事もある。
人の世は栄枯盛衰といえども、何とも悲しい事だ。


ここは、白兎神社。あたりには、白兎海岸もある。
因幡の白兎の現場である。対岸に渡ろうと、鰐(わに:今の鮫)をだました白い兎は、怒った鰐に、皮をはがされてしまう。
そこに通りがかった、大黒様に、真水で洗ってもらい、がまの穂でくるんでいると、傷がそのうちに完治した。その優しさを見て、貴方は、八上比売を手に入れられるでしょう。
と言う。八上比売は、大黒様の妻である。
白兎神社では、狛犬は兎であり、傷を真水で洗った場所とされる池も残っている
しかも、砂でこの八上比売を表現しているオブジェも存在する。




見よ、この景観。ここが白兎海岸だ。
側には、車のドライブインもある。
ただし、バスは一時間に一本しかないため、車で行かれることをお奨めする。


そして、大伴家持万葉館。古代軍事氏族、征夷大将軍にもなった、大伴氏の惣領、大伴家持は、
因幡守としてこの地に赴任。その時に読んだ歌が、万葉集にも残っている。
当時権勢を誇った藤原氏にとって、最も厄介な相手が大伴氏の存在であった。
そのため、大伴家持は、都から離れた各地を転々と飛ばされ続けるのである。
次の天皇を決めるなどの重要な際には、必ず、都から遠い所に赴任させられる。
父大伴旅人もそうであったように、彼もまた、その運命にあった。
彼は歌の中で、「剣太刀、いよよますます研ぐべきか、清く負いて 来にしその名ぞ」と読んでいるが、この歌が元で、死後子孫が再び失脚の憂き目にあっているのである。
その後、大伴氏は、伴大納言善男まで、上級官吏としては復活しない。もはや朝廷に残る貴族に軍事がほぼ存在しなくなってしまったその時、伴善男の失脚をもって、大伴氏は中央の歴史からその名を消していくのである。
次は、時代と場所が変わって、鳥取城。


ここには、名将吉川経家の銅像がたっている。
羽柴秀吉の中国攻めを受け、鳥取城に、吉川元春は、吉川経家を派遣した。
経家は自らの首桶を用意しており、死を覚悟の出陣であった。
鳥取城の守備兵は山名氏配下が1,000名、毛利氏配下が800人、近隣の籠城志願の農民兵が2,000人の、おおよそ4,000人。
経家はすぐさま防衛線を構築、籠城の準備を進めた。しかし、兵糧の蓄えが無いことを知り愕然とした。羽柴秀吉の策略により、兵糧が全て高値で買い漁られており、鳥取城の城兵もその高値に釣られて備蓄していた兵糧米を売り払っていたのである。これは黒田官兵衛の策と言われる。
このまま行けば兵糧はひと月持つかどうかも怪しい状態であったと言われる。
羽柴秀吉率いる2万の因幡侵攻軍が鳥取城を包囲し、攻撃を開始した。
秀吉による鳥取城は包囲網により糧道を断たれ、陸路および海路を使った兵糧搬入作戦も失敗。兵糧は尽き、2ヶ月目には城内の家畜や植物も食べ尽くし、3ヶ月目には守城兵の餓死者が続出し始める。それでも経家は、4ヶ月の籠城に耐えた。
秀吉は経家の奮戦を称え、責任を取って自害するのは森下道誉・中村春続だけでよく、吉川経家は帰還させるとの意思を伝えた。経家の将才を惜しんだのである。
しかし経家はそれを拒否。
大将の自分が責任を取って自害するとの意志を変えなかった。
困惑した秀吉は信長に「経家が自害してもよいか」との確認をとり、信長はそれに対し、経家の自害を許可している。
そして、鳥取市を超え、かなり西へ進むと、三仏寺投げ入れ堂がある。
ここは役行者が修行した場所。45分の登山の後、役行者がえい!っと投げ入れて作ったと言われる投げ入れ堂を見ることができる。
ただし、我々が行ったのは、冬であって、春先の4月以降しか登山道は雪で閉ざされているため、
断念した。とても残念なのでまた行こうと画策している。



そして、大山。ここはスキーも出来る。やはり、綺麗な山。春や秋、夏も良いけれど、
冬の大山もまた美しい。 なお、大山や蒜山で呑む牛乳は最高。蒜山の方が混み合っているので、牛乳だけなら大山PAがお奨めである。


そして、所変わって、米子から近い境港にある鬼太郎のみずきしげるロード。
子供の頃を思い出せて楽しい気分になる。







島根の旅~神社編~
今回は、幾つかの縁起などを撮影したので紹介したいと思う。
神社巡りも良いのではないだろうか。
ここは、出雲一宮熊野大社、素戔嗚尊を祀る。和歌山の熊野大社と同じ系統であるようだ。

日本で初めての神社とされる須我神社。やはり素戔嗚尊を主神として祀っている。



言わずとしれた出雲大社。大国主命、素戔嗚尊などが祀られる。

須佐神社。素戔嗚尊の神話が残る。
玉作之湯神社。ここは、願い石に御願いを込める。
櫛明玉神、大名持神、少毘古那神の三柱を祀り、合殿に五十猛神を祀っている。

八重垣神社。素戔嗚尊の妻、奇稲田姫命が主神。

賣布神社。五十猛命が主神。
ちょっと休憩に松江にかかる橋からの景色。


神魂神社。伊邪那岐尊、伊邪那美命、が主神。
新潟の旅
残念だが、ほとんど遺稿は残って居らず、城には、城跡と神社だけが現存する。
かつて、長尾氏の居城だった山城はうち捨てられて久しいようだ。
周辺には、林泉寺や春日山城物語館などがある。
直江津駅から、タクシーやバスが出ている。
上杉謙信についての説明は、多くの方が御存知であろうから、省略するとする。
なお、世の中には、上杉謙信女性説みたいなものがあるが、それはでたらめだろうと思う。
男色はあった事、女性は一人いたらしい事、そして、戦場で大太刀をふるっていた事。
戦場に立つ事は女性でも出来るが、大きな太刀は、女性の腕力でふるうのは難しいだろう。
そして、寺に預けられている事。そこが尼寺ではないこと。
加えて、一度国を捨てて高野山に入っている事。
まぁ、難しいだろうと個人的には思うが、どうだろうか?




所変わって、越後湯沢近くの、雲洞庵。ここは直江兼続の育った場所だ。
宝物などが存在する。とても広い。でも気を付けないといけないのは、初春、冬期は、15:00に閉まってしまう。要注意。
ここは坂出城跡だ。
毘沙門堂のある、越後善光寺。
越後一宮の一つ、弥彦神社。弥彦山にある。三条燕から近い。良寛和尚の庵の近くである。
もう一つの一宮居多神社は、直江津にあるが、社殿が失われて久しかったのか、ひどく小さくなってしまっており、残念な気分になる。
一宮は、やはり復興して欲しいと思うこの頃である。
ただ、この弥彦神社は、宝物殿に素晴らしい宝物が存在するし、一見の価値があるので、
是非行ってみたらいかがだろうか。
見たこともないような、大太刀は、驚くべき大きさだ。
新潟市内にある白山神社。付近にある松が美しい所。










