新潟の旅~佐渡編~
佐渡はかつて金山の島であり、戦国時代は、本間氏という地方豪族が覇を競った。
城跡はまともに残ってないのが残念だが、本土とは異なる何かがあるだろうと期待しての上陸。
行くには、新潟港からフェリー。(冬季は直江津からのルートは停止している。)
空の便もあるようだが、我々はジェットフォイル船で出航する事にした。

夜の清水寺。ハッキリ言って、街頭がないので、真っ暗闇。
京都の清水寺を模して創ったらしいので、見たかったが、間に合わず。
佐渡一宮の度会神社。主神は、和歌山県の伊太祁曽神社と同じ神で、素戔嗚尊の息子である。
ここで、全国一宮MAPをゲット。ラッキー。
さて、金山。ハッキリ言って、寒い。12/1の事だったが、死にそうである。
丁度、腕に打撲を、手首は捻挫という状態だった兄、知希トレーナーは、傷が骨身に凍みる体験をする事となる。
打撲等、骨系の傷害を負っている場合は、時期を改める事をお奨めする。
話がそれたが、山の中心が削られているのは、金鉱石を取った跡だそうだ。
実は、佐渡金山は未だに金鉱脈自体は残っているようで、平成10年くらいまで、掘り続けていたらしい。現在では採算が取れずに閉山している模様。
まさに中に人がいるかのような展示。

奉行所の再建されたもの。博物館もあって、佐渡金山で取れた金の小判も収蔵されている。
所変わって、経島。冬は営業していないが、綺麗な景勝地。営業している夏期等であれば、
底が透明なたらい舟を楽しめるらしい。
ホテルの御飯。美味い。とにかく美味い。飯については、言うこと無し。
順徳天皇陵にある、物語館。
たらい舟を体験。
トキ保護センターにて、トキを撮影。
現在、相当な数のトキがすでに自然に返されているそうだ。
展示館内を見ると、昔は、和歌山でも、京都でも、日本全国で見ることが出来たらしい。
日本の空に、トキが復活する事を祈る次第である。
新潟の旅~新発田編~
新発田重家が治め、第4次川中島の戦いで武田信繁の後見役の諸角虎定を討ち取ったのは新発田勢でもあった。
御館の乱でも、上杉景勝を支持し、乱に介入した蘆名盛氏・伊達輝宗の兵を退けるなど大いに活躍した。
しかし、重家が貰えるものと思っていた恩賞のほとんどは、景勝子飼いの直江兼続など上田衆の手に渡り、重家を景勝陣営に引き入れた安田顕元は、重家に謝罪する意味合いで自刃した。
歴史にありがちな、闇に葬られた一幕である。
直江兼続は名将と言われるが、こういう側面もあることを忘れてはいけない。
そして、ついに、新発田重家は、武門の意地を貫き、上杉家に反旗を翻すのだ。1581年の事である。
1983年には、放生橋の戦いで、上杉軍は危うく景勝を討ち取られそうになるほどの惨敗を喫する。この猛反撃で、重家の勢力範囲は拡がった。しかし、伊達輝宗の死などにより、状況は暗転。、
伊達・蘆名両家による重家の支援体制は崩れ、重家は後ろ盾を失った。加えて新潟城と沼垂城が調略によって上杉方の手に落ちると、新発田方は新潟港からの大量輸送が困難になり、補給ルートを失ったのである。
1587年、景勝は1万余の大軍をもって新発田城を遠巻きに取り囲んだ。また、景勝と親交があった青蓮院門跡尊朝法親王が重家に和睦を勧告したが、重家はこれを断固としてはねつけた。
後に新発田に封じられた溝口秀勝は、重家の墓所と堂を建てて重家を丁重に供養している。
叱るべき義を欠けば、このように名将を無駄に散らせてしまう事になる。
なんともったいない事か。

新発田城近くにある、清水園という庭園。秋は紅葉が美しい。
抱き合わせで、足軽長屋にも行ける。


これは、新発田重家の銅像。新発田市街にある。
そして、新発田城。武門の意地を貫いた新発田氏の居城である。


冬の清水園。池に落ちないよう注意が要る。

冬は、このように、車が埋もれてしまい、ホテルから出る時に雪かきから始めないといけない。
まず、自分の車がどれか、掘り出して探すのだ。秋がお奨めだ。

島根の旅~安来、奥出雲編~
このほど気がついた。
今でこそ、同じ県だが、やはり、今でも古代の影響は色濃いのだろうと言う証明でもある。
余談だが、今でこそ、山陽が中心であるが、当時は海運や銀山があった、山陰が中国地方の中心部であった。それ故、山陽より山陰の方に強い大名も多い。
今回は、尼子氏の居城から。
尼子氏は、尼子経久の代に、11ヶ国にまで影響を及ぼし、ほぼ中国地方全域に影響力を持っていた。その孫の代に、速くも、毛利氏に滅ぼされるほど弱体化するのだから、栄枯盛衰、人の世ははかないものである。
どのように、尼子氏があった言うまに興亡したのか、検証すると面白いと思う。

尼子経久の銅像。安来市にある。
尼子氏の居城、月山富田城。安来市の資料館もその横に存在するが、規模が小さく多少寂しい。
登っていくと、ほとんど獣道化しており、少し寂しいが、
中に、山中鹿之助の銅像がある。
鹿之助は尼子の一族でもあり、有力武将であった。
毛利元就の計略にはまって、一族内で同士討ちをし、戦力が減少した中で、尼子氏を支え続けた。
彼は、決して尼子氏再興を諦めず、最後まで毛利氏に抗戦するも、最後は織田信長に見捨てられ、失意の死を遂げた。
実は、彼の子孫は、鴻池財閥となって、興隆する。
そして、安来にあるのは、足立美術館。ここは、庭園作りの最高峰が創った庭が楽しめる美術館。横山大観の絵が多数収蔵してある。見所満載である。
[足立美術館内1]
[足立美術館内2]
そして、そこから南へ下っていくと、奥出雲へ出る。
古代、鉄を加工した多々良も存在する。
奥出雲と言えば、鬼の舌震いだ。名前は怖いが、実は悲しい物語がある。
昔、ここに美しい姫が居た。その姫に、鮫(当時は、鰐:わに)が恋をする。
恋をした鰐は、姫に一目会わんがため、河を遡るのだが、気持ち悪いと言って、姫は大きい岩で、川を塞いでしまったのだ。
そして、愛しい姫のことを想い、鰐は、震えて、泣きじゃくった。
そこから、「鰐の泣き震い」と呼ばれ、それがなまって、鬼の舌震いとなったらしい。
これは、出雲の国風土記に記載されてある。出雲大社横にある、古代出雲歴史博物館のシアターでも聞くことが出来るので、是非、行ってみたら面白いと思う。
いずれにせよ、素晴らしい景観。お奨めの場所である。



鬼の舌震いはどうだっただろうか?美しい絶景の土地。しかも、近くには、刀剣博物館があり、
実際に、鍛冶屋さんが、実演してくれる時もある。運が良ければ、自分も槌を持って体験できる。最高の体験だ。

これら、安来、奥出雲、一日かけて、充分楽しめる所である。
我々は何度でも行きたい土地である。
三重の旅~赤目48滝~
ここは、かつて、伊賀忍者が修行にも使っていたと言われる。
オオサンショウウオなどの住処でもある。
近畿圏からも近く、かなりの穴場。人は少ないし、48滝はかなり見ごたえあり。
かつて、中国人の友人たちを連れて行ったことがあるが、
ダイナミックな自然が内陸にたくさんある彼らも、この雄大な自然を本当に楽しんでくれていた。
その一部の写真を以下に紹介しよう。
そして、この48滝付近には、赤目温泉がある。
日帰り入浴可能なホテルもあり、散策終えた後はさっぱりもできる。
そして、なんと言っても、名張市内の奥田という伊賀牛の焼肉屋。
ここは一見の価値ありである。 3000も出せば、満足感が得られる。
肉はお肉屋さんだけあって、相当なもの。
是非探し出していって見る事をお勧めしたい。
青森の旅
雪深き土地で、夏もそれなりに暑い。
だが、他の土地では見ることのできないものが沢山ある、素晴らしい所でもある。
青森と一言で言っても、南部地方と、津軽地方で随分と異なる。
具体的には行って体験すべし。
そして、青森と言えば、いちご煮(うにとアワビの吸い物)、そして、幻の魚イトウを食べに行こう。いちご煮は、いろは食堂(五所川原)がお奨めだ。
九戸政実が、豊臣秀吉に対して武門の意地を通したのは、九戸市だ。
小田原征伐で主君の南部信直が留守中に、九戸政実は三戸南部側である南盛義を攻撃する。盛義は討ち死にし、以後南部家中は緊張状態が続いた。
ついに、九戸政実は南部氏居城である三戸城における正月参賀を拒絶。
九戸方の櫛引清長の苫米地城攻撃を皮切りに、ついに九戸政実は5千の兵を動かして挙兵し、九戸方に協力しない周囲の城館を次々に攻め始めた。
もともと南部家の精鋭であった九戸勢は強く、更に家中の争いでは勝利しても恩賞はないと考える家臣の日和見もあり、三戸南部側は苦戦する。そしてとうとう自力での九戸政実討伐を諦めて南部信直は秀吉に情勢を報告。
この頃、豊臣秀吉の奥州仕置に対する不満から葛西大崎一揆、和賀・稗貫一揆、仙北一揆など大規模な一揆が同時多発的に起きており、秀吉は奥州再仕置軍を編成した。
九戸政実はこれら再仕置軍の包囲攻撃に少数の兵で善戦したが、浅野長政が、九戸氏の菩提寺である長興寺の薩天和尚を使者にたて「開城すれば残らず助命する」と九戸政実に城を明け渡すよう説得した。九戸政実はこれを受け入れ、出家姿で再仕置軍に降伏。
しかし助命の約束は反故にされ、城内に居た者は女、子供構わず、全て二の丸に押し込められ惨殺、撫で斬りにされ、火をかけられた。その光景は三日三晩夜空を焦がしたと言い伝えられている。
九戸城の二ノ丸跡からは、当時のものと思われる、斬首された女の人骨などが発掘されている
この乱以後、豊臣政権に対し組織的に反抗する者はなくなり、秀吉の天下統一が完成する。九戸政実の実弟の中野康実の子孫は代々、盛岡南部氏の重臣として家系を繋ぐのである。
冬の十和田湖畔では、雪祭りが行われる。運転は道が完全に凍結しており、スタッドレスでも滑るので要注意だが、なかなか楽しい。
幻の川魚 イトウ。鮭のような魚。美味しい。水軍城の宿というところで出してもらえる。
猿賀神社。坂上田村麻呂や皇子を祀る。どうやらここで亡くなった皇子もいるようだ。
十三湊。古くは貿易港として栄えた。青森秋田一帯に色白美人が多いと言われるのも、この港を通じてロシアの血が入っているからだと言われている。
ここを拠点に、安部氏、そして、安東氏(後の秋田氏)は栄えた。
十三湖。冬は遺跡群は雪に埋もれてしまっている。
八戸城(根城)この近くには、南北朝の英雄北畠氏の居館跡などもある。
冬のため、雪に埋もれているが、冬期間でも拝観が可能。
八戸南部氏の居城である。
さて、ここからは夏の写真。もっともお奨めは、奥入瀬である。以下御覧あれ。
散策路も多々あり、ハイキングにも丁度良い。

奥入瀬渓流の美しき景観


夏の十和田湖。夏に見ると、青い透明度の高い湖だ。
夏の青森と言えば、風物詩、そう、ねぶたである。
実は、ねぶたは、青森市だけではなく、色々な地域で行われている。
ここでは、有名な三つのねぶたを紹介する。どれも見応えがある。

五所川原のねぶた。三階くらいの高さまであるねぶた。
始まりは、津軽為信が、天下人歓待のため、どこにもない最大のねぶたを作れと言った事から始まる。

これは、弘前ねぶた。弘前ねぶたは、出陣式を模しているため、派手さは少ないと言われる。
形もおとなしめである。
これが、一番有名な青森ねぶた。凱旋式のため、非常に派手である。


ねぶたの時期は、どこもホテルが激混みだが、空いている宿もある。
それが、このランプの宿。電灯がなく、ランプのみ。
駐車場からは真っ暗だが、風情はある。ただし、部屋に鍵とかない。
懐かしい気分にはなるし、朝飯もうまく、お湯は良い。
しかも、安い。ちょっとへんぴな場所にあるが、車だと問題ないだろう。
弘前城。そう冬には、雪灯籠祭りもある。旧い城郭がそのまま現存する珍しい城である。
南部氏に臣従していた大浦為信は、南部氏を離反。機を見て、小田原征伐の際に豊臣秀吉より所領安堵の朱印状を受ける。大浦を津軽と改姓する。
為信は、長男、次男を早くに亡くしたため、三男の信牧が跡を継ぐ。
信牧は、家康養女である満天姫との子、つまりは家康義孫である信英(次男)など10人近い男子に恵まれたが、跡を継いだのは、石田三成の孫である辰姫の子長男の信義であった。長男であること、そしてなにより信枚の強力な意志によって、信義跡目と定められたと伝わっている。
次男は後に分家して、黒石藩となった。
そして、青森に来たならば、やはり、行きたいのは、三大丸山遺跡。ここはすごい。
やはり夏がお奨めだが、冬もちゃんと開館してくれている。しばし御覧あれ。






















