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福岡の旅~





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西川兄弟(兄)です。

明太子や、最近では、大河ドラマの影響で黒田家に注目が集まっている福岡県。
以前にも紹介したが、再び少々別の観点から紹介しようと思う。

今日はこちらの紹介をしたいと思う。
福岡は、北九州の中心都市ながら、意外と知られていない観光スポットや歴史が詰まっている。

しかも、ここは空港から地下鉄で街中に出やすいので、意外に観光しやすい。
ただし、車で空港に行くルートが限られているため、激混みになる。

日本全国を周った我々兄弟が思うのは、
日本一車道の構成が悪く、おそらくはその構造によって事故が多い気がする。

また、大型車のマナーが悪い。サイドミラーを確認せず、あるいは確認してても、無視して横につっこんでくる。土地土地の文化があるとは思うが、これでは他府県から来たレンタカーの人間はたまったものではない。ただし、それにさえ注意すれば、万葉の時代から江戸時代まで長きに渡る歴史が詰まっている。しかし、レンタカーで移動される場合は、注意しないといけない。

まずは、博多。

とりあえずは、神社参拝で、旅の無事と、日本の平和、改善を祈る。
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最初は、筑前一宮 住吉神社だ。ここの創設は、およそ1,800年以上前に遡り、全国に2,129社ある住吉神社の中でも、最初の神社と云われている。「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されているのが確認できるそうだ。住吉大社といえば、大阪の住吉区にある住吉大社が有名だが、創立年代はこちらの方が古いらしい。

ちなみに、大阪の住吉区にある住吉大社は、古くは、古代豪族大伴氏の氏神であった。何かつながりがあるのだろう。

御祭神の住吉三神は、伊弉諾大神が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原」で禊祓をされたときにお生まれになったと言われている。筑紫は九州であり、日向は今の宮崎県。まぁ、近いと言えば近い。


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博多鎮守櫛田神社。現在では、大幡主大神、素盞嗚大神、天照皇大神の三柱が主祭神だが、古くは、男神であった頃の天照皇大神が主祭神。素盞嗚尊は藤原純友の反乱の鎮圧に当たった小野好古が神助を祈願し山城(京都)祇園社から勧請したといわれる。

大幡主大神は、メジャーどころではないと思うので少々解説すると、天御中主尊(高天原の主神のうちの一柱で、天地開闢の頃に高天原に出現した神。天の中央に座まする宇宙の根元神とされる。)の後裔・彦久良伊命の御子の大若尊で、、垂仁天皇の頃、朝廷より越の国(北陸)の「阿彦」を討伐することを命ぜられ、 幡(旗)を大いに挙げて戦いに勝ったので、大幡主命の尊称を与えられたと云われる古代豪族である。そのため、外寇防御のため、ここに祀られる事になったようだ。8世紀の事である。

名前的には、素盞嗚尊の正妻である櫛名田姫を祀るような印象を受けるが、櫛名田姫は祀られていない。

ここは、博多山笠で有名。博多祇園山笠は、祇園神(素盞嗚命)に対する氏子の奉納神事で、その昔、蒸し暑い夏を無事に越したいと願う博多の人々によって始められた祭りといわれ、盛大だ。境内に山笠で使われる山車のようなものが飾られている。

次に向かうのが、日本三大八幡宮の一つ、箱崎八幡宮。
日本三大八幡の他の二つは、京都の石清水八幡宮、大分の宇佐神宮である。

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箱崎八幡宮では、応神天皇を主神として、神功皇后、玉依姫命を併せ祀る。
元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられて以来の、額が現在も健在。

元寇とは、鎌倉時代にモンゴル軍(元軍)が日本に攻め寄せた一連の戦いの事を言う。
なお、モンゴル軍に攻められて負けずに防衛に成功したのは、全世界中で日本だけである。
神風のおかげであると誤認されているのだが、実はそうではない事を述べておきたい。

元寇の際、博多が攻防戦の要所となり、日本軍はここを死守した。奇襲ともいえる、突如として攻め寄せた元軍による文永の役では、当初日本軍は苦戦したものの、小船で夜襲をかけつつ勢いを殺いだ。その上で、博多湾沿いの要衝赤坂高地を御家人たちは死守し、二手に別れて進んでいた元軍は、博多正面軍と別働隊の今津正面軍が合流できず、ついには、赤坂高地を巡る激烈な攻防戦で矢が不足しはじめた。

そこに夕闇が迫ってきたため、日本軍も一時退却する際、殿軍の少弐景資が元軍副司令官を撃ち抜くという戦果をあげる。これにより、指揮系統混乱し、日本軍による夜襲による強襲部隊への恐怖もあって、暴風雨を理由にして撤退したと言うのが真相だ。

また、二回目の文永の役では、再び攻め寄せてくると誰しもが予見していたため、準備にぬかりなく、石塁を築いて、待ち構えた。二手に分かれていた元軍の先鋒は、塁を見て上陸を断念。迂回ルートで上陸作戦を試みるも、現在の「海の中道」付近で日本軍との遭遇戦になり、撃退され、後衛と合流するため、洋上待機する。そこを日本軍による強襲や夜襲を受け、壱岐に退却し、また敗れて、平戸へ転進し、ようやく別働隊と合流を果たすも、長い洋上生活で疫病が発生したりと散々な状況に陥る。その中、台風が来たので、退却せざるを得ない状況になった。台風の季節に長らく洋上待機せざるを得なかった状態に持ち込んだ時点で日本軍は勝利していたのである。

残念だが、多くの日本人は表面的な事象「神風」だけをクローズアップして語り継ぎ、それが、太平洋戦争時の、神国日本のような単純な自分に都合の良い思い込みにつながった。

物事は常に深く考えねばならないと言う教訓である。

なお、箱崎八幡宮は、筥崎宮と言うのが正式のようである。

筥崎宮の近くに、仲哀天皇ゆかりの香椎宮がある。応神天皇の父帝だ。

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香椎宮には、仲哀天皇の大本営跡がある。九州から朝鮮に攻め入ったという伝説があり、その地に、神功皇后が神がかったなどの逸話も添えられている。しかし、古事記、日本書紀は、神功皇后を活躍させるためにか、仲哀天皇の事跡が乏しく、また、少々弱弱しい印象を受けるのだが、島根県に伝わる石見神楽の主役は、仲哀天皇の熊襲討伐など勇ましい姿を残しているので、後世、歴史が曲げられた可能性も否定できないと考えている。

天武天皇の妻、持統天皇の時代にこれは編纂され、持統天皇は藤原不比等などに担がれ、強引に即位してるわけで、他の豪族からの反発は根強く不安定であった。そのため、自分を神功皇后に重ね合わせるためにしたとも言われている。

まぁ、真相はわからないが、当時の情勢からは、天武皇太子だった草壁皇子が逝去していたため、その母である持統天皇よりも、他の皇子が継ぐのが正統であった事からも、これは事実だと思われる。

持統天皇は愛息の子、後の文武天皇になんとか皇統を継がせようと必死に努力した。そのため、自身の次は、草壁皇子の妻元明天皇が即位し、その時代女帝が続くのだ。

そうまでして継がせた文武天皇は早死にし、今度はその子の聖武天皇が成人するまで、再び、今度は、一旦辞していた元明天皇が復活し、元正天皇となり、つないだ。

涙ぐましい努力でつないだ聖武天皇は、藤原氏によって皇子を暗殺され、ついには一人娘となった孝謙天皇が即位。女系だと遺伝的にそのうち天皇家の血ではなくなってしまうため、次代の天皇は少し直系から離れた皇子が迎えられる。

つまり、持統天皇が魂を藤原氏に売り渡したが故に、結局は、天武系の有力男子がいなくなってしまったため、彼女の次代から、結局、皇統は、持統天皇の愛した夫の天武天皇の系統ではなく、その兄の天智天皇の系統に移動してしまうのだ。

しかも、天武系最後の天皇である女帝孝謙天皇は、性欲におぼれ悪名高い道鏡を重用してしまい、危うく、皇統が途絶えかけるという悪名を残す。道鏡の一族は一時的に高官に上り詰めるが、次代で全員が失脚した。

仲哀天皇の話に戻すが、応神天皇の父は、仲哀天皇ではなく、武内宿禰であるという説がある。
おそらくは、古事記日本書紀で、あまりに、仲哀天皇がモブキャラのような扱いを受けているからでてきた説であろうが、これは、おそらくは眉唾だと思っている。

が、もし、それが事実であったとしても、武内宿禰自身、王家の皇子の直系の血筋であるから、天皇家のY遺伝子を受け継いでいるので、まぁ、天皇家はそれ以前からきちんと血をつないできていると言える。

そもそも、武内宿禰自体が実在が怪しいとされるが、その理由は、五代に仕えたなどという記述と、天皇の寿命の長寿からであるが、

武内宿禰の宿禰は位階を示す姓なので、本名ではない。なので、何世代にもわたって、武内宿禰が出てくるのは、孫、子と代替わりしていたのかもしれないし、

また、当時の年の数え方が、半年で一年であるので、長寿になっているのと、あとは、年数の帳尻あわせもあったのだろう。神武天皇の創国の年を記念の年にしたかったというのは、あながち、ありえない話ではない。

いくつかの事象がまじりあっているのだろうから、真相は不明である。しかし、様々なところに伝承があるのだから、欠史八代などと云われる世代の天皇も存在はしていたのであろうと考えている。 

いずれにせよ、この香椎宮は、仲哀天皇の大本営があった場所。歴史は、神功皇后による朝鮮出兵を伝えているが、それに関係するのは、大伴氏の兄弟の話だ。

ただし、和歌山は、刺田比古神社にある伝承では、大伴狭手彦が、副将軍として朝鮮に出陣して、新羅の王都を占領したという話が残っている。その兄、大伴磐は大将軍として補給を担当し、その後、甲斐国を開くために甲斐に赴いたという記述も諸記に残るし、朝鮮に出陣した事があるのは確かである。大伴狭手彦に関しては、遠く、長崎の松浦に佐用姫伝説も残る。大伴狭手彦が、朝鮮に攻め入る前にねんごろになった姫が別れを惜しんで泣き続けたという話だ。生々しくも人間らしい話であり、このような伝承が各地に残っているという事は、まず、間違いなく事実であろう。

しかし、彼ら兄弟は、第26代継体天皇の総理大臣 兼 軍総司令だった大伴金村の子なので、時代的に11代ほどあわない。なぜなら、第14,15代の仲哀、応神天皇時代に子が活躍しているのに、親は、第26代の総理大臣なのだ。

神功皇后自体は、三韓征伐を行おうとしていたが、あまり成功はしなかった。
おそらくは、朝鮮出兵成功の事態はあったものの、仲哀天皇の時代ではないものであった。

そのため、その後の成功を神功皇后の事跡として、重ね合わせた創作なのではないだろうか?と我々は考え始めている。どうも、朝鮮に攻め入った事跡に関しては、神功皇后の伝承だけが表面的にしか見えないからだ。

皆さんはどう考えるだろうか?

第26代の継体天皇の総理大臣の大伴金村
であれば、
第14,15代の仲哀、応神天皇時代(神功皇后)に、
大伴金村の子の大伴磐/大伴狭手彦が、活躍できるはずがない。

恐らくは、第14,15代の仲哀、応神天皇時代(神功皇后)のは、作戦成功はせず、
第26代の継体天皇の総理大臣の大伴金村時代に、大伴磐/大伴狭手彦が出兵して成功した。

これを、掛け合わせてしまっているのではないか?と言う話である。

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博多といえば、中州。そして、そこでは屋台ラーメンが有名だ。桜の季節には桜が咲き誇る川沿いのラーメン屋台にいけば、本当に風情がある。大体この三月末から四月頭にかけてだ。

福岡市では活きの良い魚介類もお薦めである。魚やイカの新しいのは絶品だ。

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魚刺

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いか刺

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ここは、かつての総社、味水御井神社 「うましみずみいじんじゃ」と読む。残念ながら現在では寂れてしまっている。筑後国府のあった場所だ。

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筑後の国一宮の高良大社。ここは、麓から山登りする事もできる。かつては、皆、山登りをしていたのであろうと思うと、驚きである。

ここは、古くから力のある山として崇められていた。こんな神話が残っている。

高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が快く引き受けたところ、玉垂命は結界を張ってここに鎮座してしまった。そのため、仕方なく、高木神は麓に移動したという。

主祭神にしては、とんでもない話だ。

こうした古い神社が、福岡には数多く残る。それは、かつて、筑紫の島と呼ばれていた九州には有力な古代豪族が数多くいたためであろう。

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その他、福岡市には、愛宕神社がある。ここからの景色はなかなかのもの。



そして、所変わって、福岡といえば、いかねばならない所がある。
菅原道真公の大宰府天満宮だ。

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大宰府天満宮では、あの飛梅伝説の飛梅がある。これについては、すでに別の回で紹介させて頂いたので、今回は紹介を割愛する。

あとは梅ヶ枝もち。これは日持ちしないものの、とても美味しい。しかも、店ごとに若干味がことなるので、複数食べ歩くのがおすすめである。特に実ははやってなさそうな閑古鳥ないてるところの方が丹精こめて焼いてくれるから美味しかったりする。

我々は、こういったところでは、必ず、こみあっているとこよりも、場所などの関係で、閑古鳥ないてるところに行く。

どうも、日本人というのは、有名、混雑してる=良いもの、だと思い込みがちなのだが、実際にはそうではない場合も多々ある。それに、閑古鳥ないてしんどい想いは、我々もセミナー開始当初で経験しそのつらさを知っているが故にあえてそういう所に足が向くのだ。

そして10中8,9、までそっちのが得である。少なくとも、ここ大宰府では、何回か訪れたうち、最終的には全ての店をまわったが、空いているところの味やよしである。

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大宰府政庁跡。ここには、大宰府にまつわる歴史の博物館があり、広場にもなっていて、花見客でいっぱいだが、のんびりできるところである。かつての九州の中心も今や郊外。時代の流れとは・・



大宰府を後にしたら、今度は少し南下してみると、すばらしい場所がある。そう、柳川だ。

日本のヴェネチェアみたいな場所で、ここでは川くだりが楽しめる。

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川くだりを終えると目の前には、柳川名物のうなぎとどじょうの店がある。どちらも美味ながら、腹が膨れるので、早めに行くことをお薦めしたい。我々は夕食前の16:00ごろに食したため、後にえらい目にあうことになる。

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柳川のうなぎ

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柳川のどじょう

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付近には、立花邸がある。
そう。柳川は、戦国大名、立花宗茂の最後の居城である。

立花宗茂は、豊後を本国として北九州に覇を唱えた大友宗麟の譜代の家臣、吉弘氏出身で、高橋氏に養子に入った高橋紹運の長男として生まれた。父の高橋紹運はもっと有名で、岩屋城に800ほどの兵で立てこもり、島津軍に降伏せず討死する。その潔くも、鮮烈な死に様は後世に刻まれている。また、高橋紹運の兄は、立花城督も務め、博多商人との折衝にあたり、吉川元春をも敗走させた事もある名将吉弘鎮信であり耳川の戦いで戦死している。その子、吉弘統幸は、関が原の合戦に際して、旧主大友氏に帰参し、東軍に付くことを進言するも容れられず、仕方なく西軍に付き、数の上で劣勢のまま、黒田官兵衛軍と激突。黒田官兵衛軍の一番隊、二番隊の母里太兵衛、後藤又兵衛隊を蹴散らしたが、衆寡敵せず、七度の突撃後に討死。吉弘統幸を失った大友軍は壊乱した。

これほどの名将ばかりが揃う家系から出ただけあり、若年の頃から名将としての片鱗を見せていた宗茂は、高橋紹運の上司で、立花城督でもあった、名将立花道雪に見初められる。

立花道雪は若い頃、雷が落ちてきたのを刀で斬って下半身不随となるも、不屈の精神で戦場に建ち続け、彼の進むところ不敗と言われた大友氏切っての名将であったが、子宝に恵まれず、娘が一人いるだけであった。嫡男に恵まれなかった彼は、娘を男のように育ててしまった。これが、立花誾千代である。

その娘婿に、願われたのが、立花宗茂であった。彼は寡兵ながら戦陣では遅れをとらず、
立花道雪・高橋紹運は大友氏の筑後奪回戦に出陣した際、宗茂は1,000程の兵力とともに立花山城の留守を預かった。この時、秋月種実率いる8,000の兵が攻め寄せたが、まず謀叛の素振りをみせた家臣を即座に粛清し、果敢に城から出て、兵を三隊に分けて夜襲や火計で敵本陣に同士討ちを起こさせて撃破。更には、城の西にある飯盛城など龍造寺氏の城砦をも襲撃し、敵に立花山城の兵力はまだ十分と印象づけ、見事防衛に成功している。

豊臣秀吉の朝鮮出兵時には、大車輪の活躍で、特に、小西行長が明軍の大兵力による攻撃を受け、全滅やむなしの情勢にあった際には、寡兵ながら明の追撃軍を撃退した。この時、寡兵であったため、宗茂自体も危うく戦死するほどの危機に瀕するが、この時、戦機を見て駆けつけた宗茂の弟の高橋統増(のちの立花直次)に救われている。弟も猛将であった。

それほどの将であった宗茂であったが、嫁となった立花道雪の一人娘の立花誾千代は、一旦は自分が受けていた家督を婿である宗茂に渡したと言う意識が強く、宗茂はしばらく手を焼いた様子が伺える。家臣団は、立花家の譜代家臣団は姫を推戴し、宗茂が連れてきた家臣団と対立した事なども確認されるが、しばらくしてそれは解消されている事からも、誾千代との仲は次第に深まったのではないか?と推察される。

彼女は男勝りになるように育てられたため、また、まさに、わがまま姫さまであったため、気性が荒く、しばしば、宗茂に反発した。本心では愛情を感じていてもそれを表に出せぬ性格だったようである。

しかしながら、こういうエピソードがある。宗茂は朝鮮に出陣するにあたり、しばしば、誾千代に注意を喚起していた。秀吉の女好きは有名で、数々の大名の奥方に手を出していたからである。宇喜田秀家の母は秀吉に抱かれることで息子秀家の出世と安泰を図ったといわれ、直接断ってしまった蒲生家は蒲生氏郷亡き後一旦改易され、強力に減封されている。

明智光秀の娘で、細川忠興の妻の玉(ガラシャ夫人)は、懐からわざと短刀を落として、”暗に”、「私に手を出したら、あなたを殺して、私も死にます。」と言う覚悟を示したため、手は出されなかったが、誾千代夫人はもっと凄い。夫の心配などまるで無用であったかのようなエピソードだ。

秀吉は誾千代を言葉巧みに名護屋城に呼び寄せた。もちろん、誾千代の美貌は有名であったため、手込めにしようとしたのである。

が、それをすでに察知していた誾千代は、面会の際、お付きの女中を鉄砲隊に扮し、面会にあたって鉄砲を構えさせ、自らも同様の武装をして乗り込んだ為、秀吉はそれに驚愕したと言う。

しかし、後に、誾千代は夫の宗茂と別居し、最後は、宗茂が贈った反物で織られた着物を羽織ってなくなる。共に住居していた時、一度として、嬉しいそぶりを見せなかった誾千代は、宗茂を想って死んでいく。その昔、宗茂がせっかくプレゼントしてくれたのに目の前で「こんなのいらない」と投げ捨ててしまった反物を、 死期が迫ってから初めて着たのだ。

素直になれなかった姫の寂しくも儚い物語である。素直になった方がよほど良いのだ。自分から頭を下げられなかった悲哀。世の中には他にもあるかもしれない。

これを見た方、素直になれないのは悲しい事ですよ。

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柳川 立花邸は広く、歴史的な遺品も素晴らしく、庭も美しい。一見の価値がある。


所変わって、大分側に向かっていくと、宗像市がある。宗像では、玄界灘の幸を安く食べる事ができる。福岡市よりも安い。道の駅の周辺にはいくつもの店がある。

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刺身丼

刺身を食したら、今度は、宗像神社に参拝。宗像神社は、三女神が祀られている。天照と素盞嗚
が、勝負した時に、素盞嗚から生まれたのがこの三神。辺津宮、中津宮、沖津宮、の三宮からなり、沖津宮には、年に一度、男性しか入れない。入るには、古代から続く禊をせねばならず、裸になって海水で禊をした後に入ることができる。


女性が入れなかった理由を愚かにも、裸になる事をあげている方が結構おられるが、江戸時代以前、女性は人前で普通に裸になる。

京女の立小便などと言う唄があるくらい、女の裸など珍しくも無かったのだから、そういう理由じゃない。

混浴だし、風呂屋の二階の男性用特別サロンには、どの女が良いか見るために、ほぼ必ず、女性を覗く窓が用意され、三助という女性の背中を流すお気に入りの男性たちが控えていたのだから。


おそらくは、宗教的な別の意味であろう。逆に女性しか駄目な場合もあったのだから。古代の巫女などはそうである。処女の巫女に限る役もあった。


歴史を語る時、現在の自分自身の価値観で語ってはいけないのだ。その当時の気持ち、その当時の文化に身を浸らせてこそ、語れるのである。残念だが、日本では、そういうブログやコメント、歴史ドラマがなんと少ないことか。

日本では、歴史的事実が事実ではなくなり、虚飾の入った陳腐なフィクションと化してしまう事が少なくない。


余談がすぎたが、宗像大社は素晴らしい神社であるので、一度参拝するのをお薦めしたい。

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辺津宮。こちらがメインどころ。資料館も併設されており、見所は満載だ。


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こちらも辺津宮。

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中津宮に向かうためのフェリー。値段は非常に安い。一時間に一本くらいの割合で出ている。

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中津宮。少しこじんまりとはしているが、立派な神社。フェリー乗り場からすぐ。ここから裏の方にまわり、数キロ行くと、沖津宮遥拝所がある。

御主印を頂戴する際、沖津宮のも下さいというと、通常、参拝と書かれるところを、ちゃんと、遥拝と記載していただける。

沖津宮のもので参拝というのをもらいたければ、応募して、年に一度の参拝に選ばれなければならない。


ここから車ではほど近くに、宮地嶽神社がある。ここの創建は、1600年前にさかのぼるとされ、息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。そこには幾つかの摂社があり、その一つ、不動窟神社は何か神々しいので、必見である。


ここには他では見られなかった生なましい神功皇后の伝説がある。やはり、三韓征伐自体はあったのだろうか。成立年代は、古事記や日本書紀よりも古そうなので、神功皇后自体は存在したような気はしている。

ちなみに、「松ヶ枝餅」が名物である。

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不動窟神社。ここは宮地嶽神社の奥宮八社の一つ。宮地嶽古墳の一部にある。


このように、福岡は色々とめぐる場所があって面白いので、お薦めである。
紹介しきれなかったが、朝倉市にある秋月城の桜もきれいだし、ここの水車は有名だ。
総社の二つの美奈宜神社も風情があって良い。
ただし、御主印を頂戴したい場合は、事前に電話連絡していた方が良い事は付け加えておく。





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京都の紹介~

二月と言えば、梅見です。梅と言えば、なんといっても、天神様こと菅原の道真を思い浮かべる人もいるでしょう?


でも、何故?それは、道真公は梅を特に好み、大宰府に左遷されていく時にも、庭になっている梅を見て、二度とみれないかもしれないと言う万感の思いをこめ、

「こちふかば、においおこせよ、うめのはな、あるじなしとて、はるをわするな。」

と詠んでいます。多くの道真公を紹介する文面で、身分が低いなどと書かれていますが、道真公は、古代豪族の土師氏の出身で、ハッキリ言って名門です。

土師氏は、大阪府の羽曳野付近の道明寺あたりを根拠地にしていました。

道真公は生まれた時代が悪かった。平安時代にもなれば、多くの古代豪族は駆逐され、中央の上級官僚は、藤原氏が一極独占状態でした。

わずかに、大伴氏と天皇家から臣籍降下した家の一族が上級官吏に残るのみで、あとは、ほとんど下級官僚になっていたのです。

#正確に言えば、大伴氏も、いんねんをつけられて浮沈があり、伴善男大納言が失脚して以降は、下級官吏になってしまいますので、最終的には古代豪族は中央からは消えてしまいます。
この時代に作られた竹取物語は、少し時代を遡って実在の人物が書かれていますが、その時代の藤原不比等のみくらもちの皇子として出てきて、くらもちの皇子や天皇ですら求愛できず、姫は月に帰ってしまうことから、古代豪族の恨みの意味がこめられていると言われています。

そのくらい、藤原氏というのはえげつない一族だったのは確かでしょう。
その藤原氏と互角に戦った道真公はすごい人物であったことは間違いなく、なんと右大臣にまでなりました。

学者で最高位三官に出世した始めての人となったのです。ちなみに、この時代母方の父親の力が出世には不可欠なのですが、道真公の母は、名門大伴氏。そのことも天皇の目にとまったのかもしれません。この時代の天皇は藤原氏の権勢に良い思いをしていませんので。

大伴氏は、藤原氏に唯一対抗してきた古代豪族です。大伴家持が死ぬとその力も衰えてしまいますが。


右大臣だった道真公、それを疎ましく思った藤原氏によって左遷されてしまいまい、
死ぬまで都を思いながら、大宰府から戻ることはありませんでした。

なお、息子たちもそれなりに出世しています。

その道真公を祭る京都の神社と言えば、北野天満宮。そして、長岡天神。北野天満宮に併設する平野神社は桜の名所です。是非花見の季節にいはいってみましょう。

ただし、車は混み合いますし、鉄道からは離れています。バスは内部で大渋滞になります。
私のお勧めは、ちょっと遠目のところに車を止めて歩いていくことです。

すぐ近くの駐車場は激混みなので待ち時間損しますよ。

ついでにですが、大宰府は左遷される官職になってしまいましたが、官位的には結構高いし、本来は大事な役割を担っています。

たまたま、藤原隆家と言う藤原道長の政敵であった、藤原伊周の弟が左遷された時、刀伊の入冠があり、大宰府が海賊に教われました。

藤原隆家は花山上皇に酔っ払って矢を射掛けた罪でここに居たほどの荒くれもの。この時期に、藤原隆家は、大宰府に適任であり、ここぞとばかりに自慢の武勇で追い払って事なきを得ています。

大宰帥は、古くは、大伴旅人も九州が不穏な情勢になった際、将軍として赴くなど、重要な官職のはずでした。ところが、平和な時代になると、都を離れる=左遷と言う事になったわけなのです。
確かに、遠いと権勢からは遠ざかります。大伴旅人も、いない間に体制を固められてしまい、藤原不比等より位階が高くなりましたが、大納言どまりでした。それほど藤原氏の権勢は強かったのです。

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長岡京にある勝竜寺城。復元で、場所も若干異なるようですが、資料館なども存在します。

あの羽柴秀吉との天下分け目となった山崎の戦いで、明智光秀が本陣を置いた場所になります。

本能寺の変の頃、織田家重臣は以下のような状態でした。

柴田勝家:越中魚津城で上杉景勝軍と交戦中
滝川一益:上野厩橋城にて関東を采配
丹羽長秀:大坂・堺で織田信孝と共に四国征伐軍組織中
羽柴秀吉:備中高松城で毛利軍と交戦中(水攻め中)
徳川家康:堺見物中
ついでに、佐久間信盛:紀州高野山に蟄居

で、都付近に居たのは、織田信孝・丹羽軍のみであったのですが、
本能寺の凶報に際し、軍が解体。兵が集まらなくなります。

明智軍は、この隙をついて、安土城まで手中に収めていました。
しかし、羽柴軍のみ、思った以上の進撃速度で京都に戻ってきたため、明智軍は手元においていた兵力以上は展開できなかったのでした。右腕であり、自分の娘婿でもある明智左間助は安土にいると言う失態を招きます。

当時山崎の地は商業がさかんであり、ここの街中を戦場にして戦えば、大軍でくる秀吉軍も、
勢いを殺されていたことでしょう。

しかし、この時、明智軍は、それをせず、勝竜寺城という小さな城を本陣に、野戦に打って出るのです。なんと明智軍には、織田家の親族でもある津田信澄(信長に自刃させられた信行の忘れ形見)家老の津田与三郎や、柴田一門であり、柴田勝家の越前北庄城代も務めた柴田勝全も明智軍に参加しているのです。予断ですが、津田与三郎を送り込んだ津田信澄は秀吉によって自刃に追い込まれますが、その子孫は旗本として存続しました。

この時の明智軍布陣は、
斎藤利三、柴田勝全らの近江衆五千人。
その右翼には、松田太郎左衛門、並河掃部らの丹波衆二千人。
本隊右備えに伊勢与三郎、諏訪飛騨守、御牧三左衛門らの旧室町幕府衆二千人。
本体左備えに津田与三郎の二千人。
本隊兼予備隊は、総大将の光秀が五千人を率い下鳥羽にあったと言われています。

安土に残してきた兵などがいないため、秀吉軍2万~4万とも言われる半分以下であったわけです。


光秀は戦上手の宿老斎藤利三と相談し、天王山を放棄して隘路を縦長で進撃してくる羽柴勢を逐次撃破するという、繰り引き戦法で攻撃するとしていたのですが、
この戦術だと堅実かつ少なくとも敗勢になりにくい。

しかし、光秀は天王山にいる敵がどうやら弱体であると見て、急遽作戦を切りかえます。

「なんということか。今動いては、敵に乗ぜらるるものを。殿の武運も、もはや、これまで
」山崎表先鋒の陣所で、羽柴方から戦闘を仕懸けさせようと満を持していた斎藤利三は、
手にした采配を床几に叩きつけ、歯ぎしりをしたと言われています。

そもそも、寡兵で大勢と戦う場合、相手に攻撃させるのが上策である。自分から攻撃しては、方位殲滅、あるいは、各個撃破してくださいといわんばかりになる。

敵勢が攻め寄せて来る時、諸隊の隊形が整わずに混乱動揺する瞬間が必ずあり、その時が、攻撃の好機なのですね。
 だが、右翼の味方が突然作戦を破って攻めかけ、予備隊までが行動をともにしたので、情勢は一変。

 当初は、それでも明智勢は善戦した。松田・並河の部隊は、鉄砲を放ち、寄せ太鼓を乱打しつつ、二十町ほど離れた天王山麓の羽柴勢にむかい突撃しています。

光秀の予備隊が急速に進撃。

 実は、半刻前、松田太郎左衛門が、天王山前面の敵が意外に寡勢であるため、こ
れを一気に蹴散らし、山頂を占領したいと申し出ていました。
 光秀は松田の注進をうけ、目の前の餌に食いついてしまったのであります!

 もしも天王山を奪えば、眼下の西国街道に充満している羽柴勢の側面へ、なだれをうって斬りこめる。そうなれば羽柴勢は分断され、大混乱に陥る。その機に本陣を襲えば秀吉の首級をあげられるかも知れないという悪魔の果実。

”かもしれない”は”そうあってほしい”と言う願望に変わる。そして、それは、”そうなるに違いない”と自らの思いが強く出てしまうのだ。それを客観かつ冷静に判断できる将は、光秀の傍らにいなかったのです。
斉藤利三は山崎の前面、最前線にいたからで、光秀軍の陣容の薄さが仇となっていたのです。

光秀は焦っていたのかもしれない。しかし、結果は、一進一退の攻防が続いていた一刻あと、池田恒興・元助父子と加藤光泰率いる別働隊が津田隊の側面をつく事に成功。

津田隊は大混乱に陥り、光秀本隊の側面にも危険が及ぶ。全軍が浮き足立った明智軍は各隊が劣勢に立たされ、ついに、総崩れとなる。攻勢をしかけ、逆に攻勢を呼び込んでしまったわけです。

明智光秀率いる軍勢は、兵の脱走・離散が相次ぎ、勝竜寺城にまで引いた時には、わずか700名程度にまで減衰していたと言われますが、これではとても戦えるものではない。

ついには、居城の坂本城へ敗走する途中、落ち武者狩りにあいあえなく落命したのです。

その勝竜寺城が復興されています。小さい城だが、雰囲気のある城。資料館はなかなか面白く、無料であるので、長岡天神への梅見がてらよってみるのも良いでしょう。

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長岡天満宮にて。どうですか?綺麗な池でしょう?

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和歌山 高野山

あけましておめでとうございます。

昨年は、更新が途中滞ってしまったので、今年は頑張ります!
さて、初詣シーズンも過ぎ、えべっさんも過ぎたので、ちょっと遅めの初詣はいかがでしょう?

今のシーズンが一番混んでなくて良いですよ!

紹介する場所を悩みました。熊野も良いし、京都も良い、比叡山は寒すぎる、、、で、和歌山が誇る高野山を紹介したいと思います。






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以下が金剛峰寺。ここの御朱印を頂くときには、是非、御詠歌も頂戴しましょう。

「阿字の子は 阿字のふるさと 立ち出でて また立ち返る 阿字のふるさと」

何か深くないでしょうか?

です。ちなみに比叡山には比叡山の御詠歌があります。色んなところの御詠歌を頂いて、その歴史やいわれに触れてみるのは大変興味深いことです。

#禅宗にはないようです。。。。

かと思えば、四天王寺などのように100個以上のご朱印と、8つも御詠歌があるようなお寺もあります。ちなみに、高野山全山ではお寺はすさまじい数存在し、御朱印を集めると200くらいになるようです。

しかし、スタンプラリーとは間違わないように。参拝してありがたくお受けし、その教えや考えを考えるものですよ。

しかし、寒い時期に高野山に来ると心が表れます。一度言ってみて下さい。

ここ高野山を開いたのは弘法大師ですが、弘法大師死後、弟子たちは真言宗を分裂させてしまいました。

教義は変化します。で、分裂しても私は構わないと思うのです。それが、多種多様な価値感情を許容して、共存してきた日本本来の価値観です。一様的、一つの正しさが語られる事が多い現代社会は大きく変わってしまいました。


その歴史に思いをはせつつ、何とかしたいなぁと言う思いで参拝しました。

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来たならば奥の院もしっかり参りましょう。


「ありがたや 高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる」が御詠歌です。

実は、背後に弘法大師が生き仏になったお堂が存在し、弘法大師はいつか復活すると言われているのです。なんと、弘法大師は自らミイラになると言う即身仏修行を行いました。

この時代以降、民を救う守護神になるため、即身仏になった高僧は少なくない数がおられます。
新潟が誇る良寛和尚もそうですね。

何にせよ、その信念の強さ、周囲への思いはすごいと思います。

みんなのために祈りをささげ、そして、自らの体を差し出す、こんな事は簡単にはできません。

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なお、晩秋から初冬にかけて、このあたりは柿の産地なので、安くておいしい柿が手に入ります。つるし柿もおすすめ。なお、マツタケも直販していますが、こちらは高すぎますので、私は基本的にスルーします。


今年は、多くの皆が出来るだけ平和に幸せ感をもって生きられれば良いなと思います。

年よりも若者も、男も女も、みんなが、出来るだけストレスを感じず生きられる世の中を作りたい、そう願いました。

それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。




長野の旅

久しぶりのブログ更新。この度は再び長野へ

紅葉の季節である。まずは、信州松本城へ。

無傷と謳われた、戦場の鬼、馬場美濃守信春が城代を務めた深志城。それが、現在の松本城である。


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今回は、馬場信春の話。馬場信春は、元は教来石氏であり、武田信玄子飼いの武将であった。
若い頃は諸国に使わされ、武田信玄の初陣で海野口城の平賀源信入道を討ち取ると、その後も戦場で次第に頭角を現し、名族の馬場氏を継ぐ。弟に、信頼がおり、彼が教来石氏を守り、後に馬場氏を守っていく。

有名な第四回川中島では信玄別働隊の指揮官を任され、北条氏の小田原攻めでは、退却戦となった三増峠の戦いで先頭を切って戦い、山形昌景率いる別働隊到着まで本軍を支えた。
三方原でも、徳川家康を追い詰める。

この間、40数年の間、70回を越える戦闘に参加。かすり傷一つ負わなかったと言われ、「不死身の鬼美濃」とまで評された。

戦いに強いばかりではなく、知性も秀でていたようで、
この頃には譜代家老衆となり、甲州四名臣(他に、高坂昌信、山形昌景、内藤昌豊)とまで言われるようになる。

この四人は、信玄に忌憚なく意見を述べられる最後の四名であった。お互いに役割が異なり、
馬場信春は、軍略を担当していたようである。

長篠の戦いでは、最右翼に陣取っており、その横にいる、真田左衛門尉信綱隊(真田本家:家老、青江の太刀を振るったと言われる猛将)、更にその横に配置されていた信綱弟の真田兵部昌輝隊(真田分家:信玄親衛隊の百足衆筆頭、兵部は我が両目なりと言わしめた知勇兼備の将)の二隊と連携し、幾度となく織田、徳川陣営に迫った。

武田勝頼に幾度となく撤退を進言するも聞き入れられず、ついには、三枝守友が寡兵で守る後方の砦が急襲され後背が脅かされると、戦局が不利に傾き、真田兄弟と共に討ち死にする。
奇しくも戦場で初めて傷をつけられた戦が死出の旅路となったのである。

嫡男の昌房も織田甲州征伐で戦死したようである。娘について逸話がある。徳川家康がなんとしても馬場美濃の娘を捜し出せと命じた。自分の側室に迎え、能力の高い子を得たいとの思いからだった。しかし、後に関ヶ原の戦いの際、伏見城の留守居を任されたほどの忠臣、鳥居元忠が、「娘はもうおりませんでした。」と回答していたため諦めていたが、のちに、馬場美濃の娘が鳥居元忠自身の側室になっていることが発覚。家康は、大笑いして、これを許したと伝わる。

戦国時代、生きるか死ぬか明日をも知れぬ身であったため、少しでも力ある武将の血を引く子を願ったため、高名な武将の娘は大事にされたのである。


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やはり、木の城は良い。そこから見える紅葉も最高である。
かつて、馬場美濃は何を思っていたのだろうか、感慨深くなる。
残念ながら、城内には馬場美濃の話はほとんどと言うか、名前程度しか記載されていない。
だが、私は思う。ここは、やはり、馬場美濃の城だと。

駿河小山城にもいったことがあるが、小さいが堀の作りが見事で名城だった。彼が普請なり、修築した城は名城が多い。


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夕食は松本市街にある馬肉のお店で、我々には珍しい「イワナのおつくり」や、馬肉料理を堪能する。


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次の日は、まず、善光寺に。ここも何度か行ってるが、外せない。紅葉の季節は色づいて風流である。


そして、今回は安曇野へ

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ここはわさび大王。のどかなわさび畑が広がる。わさびソフトは、なかなかさっぱりしていて良い。でも、ちょっと寒い。


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高速を走るだけでも、紅葉が綺麗にみえる。

山深き里の秋の夕暮れ、西行法師や藤原定家が歌に紅葉を詠んでいるのを思い出す。

こんな何もできない今よりまだマシだとさえ思い始めているのは私だけだろうか?
旅に行き、歴史を思い起こすと、そう感じてくる。

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さて、次は、初めての上高地。バスの値段高すぎ。ちょっとぼったくりすぎな感じもするが、
まぁ、手段が無いので仕方ない。

バス停留所からは、のんびり景色を楽しみに歩く道が続く。白樺、槍ヶ岳がとても美しい。

下は秋だが、上は冬。上高地は、ちょうど一万尺ある。標高はかなり高いので、季節感が入り口とバス停留所では大幅に異なる。

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この美しい景色を見る事ができる今日に感謝しよう。


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京都、滋賀の紅葉

京都は比叡山。一度紅葉を比叡山で見たくなったので、寒すぎない内に登る。

比叡山だから、まぁ、延暦寺にでも行くか、と考えたのだが、実は、延暦寺より、途中の休憩所から見る景色の方が、紅葉という意味では素晴らしい。

延暦寺だと、風情はあるが、ほとんど紅葉は見れない。あと、延暦寺、広すぎ。

東塔、西塔、横川と、三地区それぞれに御坊が立ち並び、御朱印も10カ所。
御朱印を頂くならば、東塔金堂と横川金堂で、御詠歌をゲットする事をお奨めする。
なお、高野山だと、金剛峯寺と奥の院の御詠歌がなかなか良い。

それぞれの地区で、横に、偉大な歴史に名を残した上人や禅師たちのストーリーが並ぶ。
ほとんどの有名な方々は、元は延暦寺で修行をした人たちなのである。

法然、親鸞、日蓮、栄西・・・・。


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延暦寺は、そもそも、平安京守護のために、鬼門を守る山寺であった。
そのため、山上には数多い坊舎があって、数万の兵を擁する事ができる。また、歴代の比叡山の主は天皇家から出ることもしばしばである。

延暦寺と言えば、織田信長の焼き討ちが有名だが、その当時も、比叡山の主は、正親町天皇の弟である覚恕法親王であった。比叡山は京都を狙う者にとって、北陸路と東国路の交差点になっており、ここに反信長派がいるのは、非常に厄介な事だったのである。

また、当時の比叡山は堕落しており、比叡山はそもそも女人禁制だったが、いくつもの史料で女性がいたことが確認できる。尼や後家が陰間という男娼を雇って性欲を満たす事もあった時代。僧といえども、性は大事だったのかもしれない。

現在よりは、よほど生き生きしている気がする。福沢諭吉ら、明治維新がそれをぶっつぶしてしまったので、今は、誰かが唱えた「品行方正」と言う価値観への思い込みが、国民を縛っている。本音と建て前を使い分けると言うような厄介な時代である。(苦笑)

もっと女性は開放的だったはずだし、男性は誇りを持っていた。

大量虐殺と言う印象が強いが、実は、結構生き延びた人達もいるようなので、
山を完全包囲して徹底されたわけではないようである。

物事の固定観念というのは怖いものだ。

信長は戦後処理を明智光秀に任せ、翌日には精鋭の馬廻り衆を従えて比叡山を出立し、上洛。その後さらに近江の寺院を放火していく。延暦寺や日吉大社は消滅し、寺領、社領はことごとく没収され明智光秀・佐久間信盛・中川重政・柴田勝家・丹羽長秀と言う家老衆に分配される。

この5人の武将達は自らの領土を持ちながら、各々与力らをこの地域に派遣して治めることになる。特に光秀と信盛はこの地域を中心に支配することになり、光秀は坂本城を築城することになる。

佐久間は、戦争でもっとも難しいと言われる退却戦が得意な有能な家老だった。三方原の戦いで、徳川家康が武田信玄に完膚無きまでにやられた際も、手際よく撤退し、ほとんど味方に損害をだしていない。いわば、立役者だったはずだが、後に、ばっさり切り捨てられている。
理由は今でも全く不明であるが、佐久間の領地が増えすぎていた事などが原因かとも言われている。また、この佐久間への仕打ちが、明智光秀謀反の複線にはなっているだろう。

正直、「走狗尽きて猟犬煮らる」では家臣はやってられない。

一方、延暦寺側では正覚院豪盛らがなんとか逃げ切ることができ、以後、延暦寺復興に力を尽くしていく。復興が認められたのは13年後。すでに、羽柴秀吉の時代になっていた。

その延暦寺から、滋賀県側に下っていくと、すぐ石山寺に着く。ちょうど夜。
ラッキーな事に、紅葉のライトアップがみれた。


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石山寺は良弁上人の開基。古い古刹である。西国13番札所。
恋人達の聖地である。

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石山寺すぐ近くで、食事。歩き回ったから飯がうまい。琵琶湖も見えるし、良い感じ。


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