長野の旅
温泉も見所もスキー場も沢山。
中でも、お勧めであると思った場所を歴史を交えて紹介したいと思う。
まずは、諏訪。 諏訪といえば、諏訪大社や諏訪湖を思い浮かべる。
ここは古来神域だった。
いつしか、諏訪大祝家と、戦国大名家の諏訪氏と、に別れ、この諏訪の地を治める。
諏訪では、冬になると、「御神渡り」と呼ばれた現象が起きる。
諏訪大社の主神=大黒様の息子:建御名方命は、天孫降臨に際して、敗北して、ここ諏訪の地に
降り立った。ここで、八坂刀売命を娶る。
しかし、壮絶な夫婦喧嘩が起こり、八坂刀売命は出ていってしまうのだ。
それが、下社である。
しばらくして、仲直りした建御名方命は冬のある時期になると、下社にいる恋女房のもとへと渡るのが、「御神渡り」なのだ。
科学的には、冬に全面結氷し、その氷の厚さが10cm以上になり、零下10℃程度の冷え込みが数日続くと、湖面の氷が大音響と共に山脈のように盛り上がるという、気温の上下に寄って氷が膨張と収縮を繰り返すことによって複雑なメカニズムで起きる自然現象だ。

諏訪湖を見下ろす位置にある、高ボッチ山。
諏訪湖畔にある、間欠泉センター。
上社元宮。

上社本宮。
下社春宮。
下社秋宮。

お地蔵さま。
そして、諏訪より更に少し北上すると、武田信玄と上杉謙信が戦いを繰り広げた川中島がある。
川中島の戦い、特に四回は激戦だったと伝わる。
上杉軍は、武田軍と雌雄を決したく、武田軍をおびき寄せるために、敢えて、愚策の妻女山に陣を張る。
しかし、愚策であるが故に、動きがとれない。上杉謙信の計算には、ほかの信濃豪族の決起があるという計算があったのやもしれぬ。
一方の武田軍は、まさかの陣張りに、逆に深読みしすぎて、動けず、睨み合いとなった。
そうこうしているうちに、上杉軍からは落伍者が出始める。
このまま行くと、戦えなくなる上杉軍は、霧にまぎれて退却を開始。ちょうど、キツツキの作戦で、動いていた武田軍と正面から遭遇してしまう。
両軍は驚きの中で開戦。上杉軍は柿崎景家を先頭に突撃をかけた。当初、劣勢であった武田軍は、かろうじて踏みとどまっていたのが、
信玄の弟の武田典厩信繁と、嫡男の義信、そして、、山形昌景隊くらいであったと言われる。
武田典厩信繁は傅役諸角虎定と共に戦死。そして、ようやく、馬場信春、高坂昌信、飯富虎昌などが率いる別働隊が到着。戦線は膠着し、両軍とも退却する事になった。

ここでの説明は少し異なる。上杉軍が、釜で飯をたいた武田軍の煙の数を見て、攻撃を察知したとボランティアの方々は説明されている。 確かに、そういう説もある。

武田信玄きっての名将、馬場信春が守った、深志城。今は松本城と名を変えている。
予断だが、武田家滅亡の折、旧領回復を狙っていた、小笠原貞慶は晴れてこの松本城を取り戻すことに成功。切腹して果てた松平信康(家康の長男)の娘を正室に迎え、徳川一門として幕末まで続く家になったのである。
松本にある、時計の博物館。ここでは、和時計が目を引く。われわれは早速戻って、和時計を仕入れてしまった。 和時計は、日照時間を元にしているため、緯度によっても、季節によっても、一刻の長さが異なる。それを機械で自動化したかつての日本の職人の技術の高さには舌を巻く。ぜひ、行ってみて欲しい。

そして、戸隠。戸隠では、そばが有名だ。初めて、メニューのおいてない店を見た。
店に入ると、何枚とだけ聞かれる。五枚くらいぺろりと平らげる。

最後に善光寺。ここの御戒壇めぐりは、楽しい。真っ暗なところを鍵をさわるために、
ゆっくりと回廊の中を進む。
かつて、実は、武田信玄と上杉謙信の戦いは、この善光寺をめぐってのものであるとも言われている。この善光寺に、二人の位牌が並んで置かれているのは、皮肉と言う他ない。
かつて、門前町が栄えたなごりか、非常ににぎやかな、門前町になっていて、店を覗くのも面白いかもしれない。
福井の旅~蘇洞門編~
蘇洞門だ。”そとも”と読む。
歩いても行けるのだが、絶対に小浜から遊覧船に乗るのがお勧めである。
船着場のあるセンターでは、鯖の1本焼きが買って帰れるし、市場も併設しており、
そこの食堂では、海鮮丼が美味しくいただける。
仲間たちとともに。この髪を見て頂けるだろうか。すごい風である。
ジェットコースターのように、すごい角度で進行方向に傾いたり、あがったりしながら、すごい速度で進む。
そのため、強風や波が強い日は運行中止になる。
正直、波は、普通に強く、横揺れはあまりないが、上下運動は激しい。
女性の方、ふわっとするスカートで行くと、とてもあられもない姿になってしまって、しかも、直す余裕はないので、服装は考えることをお勧めする。
子供は危ないので、看板に出てない方が良い気がする。
そのくらい、強烈な体験であった。
なお、小浜には、兼松と言う、海鮮の美味いお店も消防署の近くにあるので、
抱き合わせで行ったらどうだろうか。
エジンバラ英語学校
なので、英語を学ぶのに、その首都であるエジンバラを選択した。
兄は、Panasonicなので、関西空港から、弟は、Cannonなので、成田空港から、オランダのアムステルダムで
待ち合わせて、一路ヒースローへ。
もちろん、ホームステイだ。ホームステイ先はバラバラ。
初日、学校に行くと、are you friend? と聞かれる。 Brother!というと、怖いおばさんが、
"Separate" といきなり引き離され、滞在期間中、一切同じクラスになる事もなかった。
久々に再会したのは、最終日の宴会である。
ここでの経験はお互いに良いものになった。
兄は、日本語を話している観光客を見ても、それが日本語である事が最初判別できないくらい英語に
染まっていたし、弟は、英語の夢を見るまでになっていた。
やはり、英語を学ぶのには環境が大切だと痛感する。
遊びのプログラムも充実していて、ハイランドへの一日旅や、スコティッシュダンスにも参加できる。
かなり楽しいものだった。
[エジンバラ市街の風景]
[エジンバラ駅近く、エジンバラ英語学校の前にて、弟、昌志トレーナー]
[エジンバラ城]
[スコティッシュダンスの風景]
[妙な格好の人]
[最終日の宴会にて。右端から、弟、昌志トレーナー、兄、知希トレーナー]
沖縄の旅
それゆえか、異国に来たかのような印象を受けることもある。
食べる物、お城、風習、色んなものが勉強になる。
今回は、沖縄本土を二日くらいで巡るお勧めスポットを紹介したい。
今帰仁城。ここは、北王国の城だったところだ。
城郭は、中王国などと比べると、日本本土に近い感覚を受ける。
是非、首里城との違いを感じてみてはいかがだろうか。
三山時代、中王国は、北王国を急襲。北王国を下した後、そのまま、南王国を急襲して、琉球を統一。
それが、尚氏琉球王朝である。
今帰仁城の入り口。人はあまりいない。廃墟に近い。
城は、グスクと読むらしい。
ダチョウランドにて。ここでは、ダチョウに餌をあげることができる。
でも、ただそれだけだが、ちょっとダチョウに触れられて嬉しい。時間もかからないので、ドライブの休憩に。
パイナップルランド。パイナップルの試食ができる。お酒などが販売されている。
ここは、恋人同士やファミリーで行くのがいいかも。
車に乗ってパイナップル畑を回るのはちょっと楽しい。
沖縄ワールド。 ハブのショーや、鍾乳洞や、色んなものが楽しめる施設。
夕焼けが切れない万座毛。ここは、夕焼けに行くのが良い。
とても綺麗だ。
水納島(みんなとう)。ここでは体験ダイビングなどができる。
初めての方はお勧め。鯛などがよってきてくれる。
シュノーケリングもとても楽しめる。とにかく、綺麗なビーチである。
しかし、日差し対策は必須である。
我々は、背中中が、大やけど状態になり、一週間、うなることになる。
現地で購入したゴーヤローションを薬がわりに塗って、急場を凌ぐことになった。
そして、首里城。この城、中国っぽい。
この感じなど、北京の紫禁城の雰囲気にとても似ている。
首里城はさすがに広い。そして、日差しがきついので、日焼け止めと、
帽子があったほうが良い。駐車場は広く、満車の心配は少ない気がする。
他にも、海ぶどう丼や、色とりどりの魚、山羊汁、針千本、海蛇など、変わったものが食せる。
なお、個人的には、海ぶどう丼は美味しかった。針千本は食べにくい。味は河豚のよう。
後の食材はご想像にお任せしたい。
広島の旅
広島といえば、原爆や、毛利元就、それに福島正則が有名だろうか。
多くの方が勘違いしているが、ポツダム宣言をもっと早くに受諾していたとしても、
広島に原爆は落とされていたのである。
この辺の真実は皆さん知っておくべきだと思うので掲載しておく。
そして、極東軍事裁判では、日本人のみがA級戦犯扱いされているが、
実は、太平洋戦争は、欧米列強がよってたかって日本を潰しにきた上、情勢的にも運が悪く、
毛沢東は日本に戦争してもらいたかったと言うところであって、
戦争は回避できなかったのではないだろうか。と考えている。
物資を止められていたのに加え、その物資を得るために満州国設立にもっていったものの、
国内の中で、真意を悟らぬもの=つまり、過度の報道や情報により勘違いしてしまった一部の人間に
よって、別の方向に向かってしまった。
そこに加えて、せっかく結んでいた停戦協定を、蒋介石と日本に戦争して欲しかった毛沢東はスパイを
蒋介石軍に送っており、そのスパイが突如、日本軍に向けて発砲。
その一発の銃弾が、日中戦争へと駆り立ててしまう。
加えて、リットン調査団の調査結果は、日本に不利とばかりはいえない内容であったのを、日本政府は危機感から、極端に受け取ってしまい、それも元になっている。
広島市街を走る市電。広島の人は美人が多いと思ってしまう。
そして、少し開放的なのか。そういう気がして良いなと思ってしまう。
中心地には、原爆ドームもあり、また、有名なモダン焼きの店が揃う一角もあって、
待ち歩きも楽しめる。ジョギングしても楽しめる。
広島城。
毛利元就の居城で、後に福島正則の居城になった。
福島正則は、勝手に城を改築したため、幕府によって改易されるが、
その改易の時の美談を紹介したいと思う。
当時、福島正則は、江戸藩邸にいた。改易の話を聞きつけた、福島家の家臣団は、
不在の主のため武装して、広島城に立て篭もる。
その数、数千ほど。一触即発の中、福島正則は両手に娘を連れて、幕府に出頭し、
改易を受け入れる。
すると、その家臣団は、主の意向を受け、即、武装解除して、城を幕府側に明け渡したと言われる。
この時の整然とした城明け渡しが、以後の、大名家改易時の作法となるくらいに、
統率が完全に行き届いていたと言われる。
そして、厳島。ここは、トライアスロンの会場でもあるが、鳥居だけではなく、水の中に神社がたっていて、
景観はとても良い。 船で対岸から向かう。
古くは、平家の氏神として祀られ、安芸の宮島として、日本三大景勝地としても有名である。
博物館に色々なものが在るので、小さい博物館だが、行ってみてはいかがだろう。
合戦場としても、毛利元就は、長男毛利隆元の献策を受け、陶晴賢と戦う事を決意。
厳島城に篭る囮の分隊と、陶軍を背後から挟み撃ちにする作戦で見事に、陶晴賢を討ち取った戦いである。
毛利家中に、豪勇の士は少なく、智謀、賢才が多い気がする。吉川元春の部下にほとんど集中している気がする。強将に弱卒なしと言うのは本当かもしれない。
その中で、剛勇の陶軍を打ち破ったのは、軍略の冴えであろうか。
剛勇の士として、名高いのは、渡辺通であろうか。彼の父、渡辺勝は、当時の毛利家家老の井上家を憎み、敗死し、毛利家から放逐されていた。その後、帰参した彼は、吉田郡山城の戦いにおいては、元就の作戦に従って別働隊を率いて伏兵となり、奇襲によって数倍の兵力を擁する尼子誠久を撃破している。
しかし、第一次月山富田城の戦いに尼子氏に敗北した毛利元就は撤退する途中、
石見の大江坂七曲りで、尼子軍に追い詰められた。
渡辺通は、その元就の身代わりになり、奮戦した末に討死した。
無事、安芸広島への帰還を果たした元就は、通の献身に感動し、決して渡辺の家を見捨てないと誓い、
長州藩の正月の甲冑開きの儀式は代々渡辺家が先頭の栄誉に与かることになったとされている。
厳島には、弥山という山があり、ロープウェーも運行している。
あまり大きな山ではないが、登ってみると、なかなか風情がある。
それもそのはずで、ここの原始林は世界遺産に登録されているのである。













