Gold mt Eggs NLPトレーナー 西川兄弟による 旅と歴史のブログ -17ページ目

徳島の旅

徳島には、平家の落人伝説がある。
有名なのは、かずら橋。追っ手が来た時に、すぐに落とせるためだといわれる。

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近くには資料館もあって、そこに、平家の赤い旗も保管されているし、壇ノ浦で入水したと言われる

安徳天皇が生き延びて、結局早死にして火葬されたという掛け軸もあった。


真実は分からないが、そうあって欲しいと思ってしまうのは我々だけであろうか。


かずら橋は、二箇所ある。正直、危ない。現在はワイヤーで強化されているものの、

かつては、本当に全てがかずらでかけられていたらしい。(当たり前だが。)


ここに来たからには、祖谷そばを食べてよう。普通のそばじゃない。切れ切れで、ぶつぎりになっていた。

つなぎがなく、当時、普通のそばの形にできなかったという。


また、鮎ややまめ、いわなの串焼きが売られていたが、とても、美味しい。


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祖谷には、かずらばしだけではなく、このように、景観の良い、大歩危小歩危がある。

遊覧船にも乗れて、気持ちが良い。


ここは最高だ!休憩センターのようなものがあり、上からも一望できる。

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そして、徳島と言えば、淡路島との間にある、鳴門の渦潮。渦潮船に乗って間近に見るのもよし、
博物館から上から見るのもよし。

付近には、鯛めしのうまい店もあり、また、大塚陶板美術館もある。陶板美術館は世界中の絵画を陶板に映し出したものを展示。驚くべきは最後の晩餐などまでもが模写されている。

これは、見ごたえ十分である。しかし、部屋が多すぎるため、一日がかりを覚悟されたし。
ここでは写真は割愛するが、一見したら、驚くだろう。


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徳島城跡。城跡には、沢蟹が山へと住み着いた変わった蟹が居る。昔は海だったためだそうだ。
そして、博物館と綺麗な庭がある。城の方は、本当に跡だけで、本丸跡に登ってみると、
あたりが一望できるが、何もないのが、少し寂しかった。


岩手の旅

我々兄弟は、東北が好きだ。何度も足を運んだ。

本日は、岩手を紹介したいと思う。岩手はちょっと広範囲に色んな観光スポットが散っている。
岩泉の龍泉洞のようなかなり行きにくいが、すごいとしか言いようのないスポットもある。
#ここはまた別の機会にする。


まず、歴史を十二分に味わって、平安時代にタイムスリップ出来るような場所がある。
さすが、欧州藤原氏が栄華を誇った土地だ。



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ここは、えさし藤原の里。京都で言う太秦映画村だが、太秦は江戸時代っぽいのに対し、
こちらは、平安の時代を模している。


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この内裏なんて、完全に平安時代っぽい!

他にもかなり沢山の建物があり、考古学博物館も併設しているから、一日中遊ぶ事が出来る。
家族連れでも、恋人同士でも、一人でも、お奨めだ!

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ここは遠野の河童淵。かつて、河童が住んでいたと言う。とても、静かで平穏な場所。
心が洗われる気分になる。

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遠野博物館前。南部の獅子舞が像になっている。
遠野といえば、柳田國男の昔話。ここでたっぷりと楽しめる。

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そして、南部氏の鍋倉城跡の南部神社。

南部氏は、東北随一とも言える戦国大名で、かつては、青森の津軽地方を治めた津軽為信も、この南部氏に属していた。南部氏は、戦国時代初期、八戸と三戸に分裂して抗争を繰り広げており、それをまとめたのが、南部晴政である。

「三日月の 丸くなるまで 南部領」と言われるほどの最盛期を築く。

しかし、南部晴政は当初息子が産まれず、従兄弟の信直を養嗣子としていたが、実施の晴継が産まれたのを契機に、信直と対立。その隙に、一族の大浦(津軽)為信に離反される。

しかも、最終的には、晴継は暗殺されてしまい、結局、信直が南部氏を継ぐ事になる。
その息子利直は、八戸南部氏であった直義を遠野市に移動させたのが、この遠野南部氏の
始まりである。

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次は、かの有名な奥州藤原氏の中尊寺。ここは中尊寺内の能舞台。
なんと立派なものが残っているのか?!


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そして、ここが金色堂。中は写真撮影禁止のため、外からの撮影。

奥州藤原氏は、前九年の役で、賊軍となった、古代豪族物部系の安部氏に味方した藤原経清を
祖としている。経清は、安部氏の娘を娶っていたが、当初は官軍に味方する。
しかし、その後安部軍に身を通じ、政府軍を苦しませた。

そのため、総大将の源頼義を激怒させ、「のこびきの刑」という残忍な方法で処断されている。
この時、彼の妻は、長男清衡を設けてはいたが、清原氏の後添えとなり、家衡を産む事になる。

ややこしいのは、家衡は、彼の妻の第二子であるが、清原氏には、別に長男の真衡がいるため、
清原氏の次男(清衡を養子で次男扱いで数えると、三男。)となる。

つまり、異父兄弟と異母兄弟が、同時に近い所に存在すると言うややこしい状態になった。

当たり前だが、この時代、権力者の家には、それぞれ、後ろ盾がつき、一緒に育つわけでもなく、また、男子本来の競争意識から、権力争いが始まる。

当初は、真衡 vs 家衡+清衡 と言う、清原氏の跡目争いが始まり、真衡は、源氏を味方につけ優勢に戦う。しかし、その途上、真衡は急死。実子のなかった真衡が死んだ以上、戦いは無意味であったため、源氏の棟梁、源義家は、停戦し、清衡と家衡に領土を折半させる。

しかし、これに不満を持ったのが、家衡であった。彼は、清原氏の血を引かない異父兄が、自分の継げるはずだった領地を横取りしたかのように感じたのであろうか?


そして、清衡が寝ているところを、突如夜襲。家族はほぼ壊滅。清衡は、源義家に助けを求め、
後三年の役がはじまるのだ。

この当時、源氏の兄弟は、非常に仲が悪く、源氏の悪癖とも言える同門内の権力争いに没頭していた。

源八幡太郎義家、賀茂次郎義綱、新羅三郎義光。この三兄弟も例外ではない。
※特に、もっとも悪辣で欲が強かったのは三男の義光と言われる。のちに、次男の義綱が逝去し※たとき、彼の領地を奪おうとし、義綱系の甥たちのほとんどを殺害してしまった。

しかし、すぐに決着がつかないと見た、義家は、義綱と休戦協定を結び、義家、義綱連合軍で、事にあたったのである。

それでも、清原家衡軍は、容易には負けなかった。そのため、義光をも取引をして呼び出し、
三兄弟が珍しくも力をあわせた事で、ようやく、家衡軍を打ち負かすのである。

しかし、政府はこれを私戦と見なす。
※有名な、身銭を切って恩賞を渡した八幡太郎義家は、その名を歴史に残す。

そのため、清衡は、性を父の性に改め、奥州藤原氏が奥州を得る事になる。

次代も、権力争いが起きる。長男の惟常と、次男の基衡で、跡目争いが起きる。
これを制した基衡が跡を継ぎ、その子秀衡と、以後、平穏な奥州藤原氏の文化が華を開く事になった。秀衡の息子の次代、再び、方針を巡って兄弟の対立が起きる。

それが原因で、奥州藤原氏は衰退していった。

どの時代も、一族内の争いは、虚しく、悲しいものである。

芭蕉は、兵も夢の跡と、読んだ。これを聞いて、
一般的には、義経の事だけを思われる方が多いように思われるが、
我々は、もっと、多くの物語に、想いを馳せるのである。




































































愛媛の旅

愛媛県、関西からはなかなか行き辛い土地。


しかれども、出張を契機に、意を決して向かう。

行きは、淡路島経由、帰りは、来島海峡を越える。


愛媛は、古来、可愛い”姫”が多いという事からついた地名。

伊弉諾尊と伊弉美尊の国産みで現れる、最初のいくつかの地名があるが、

そこにすでに現れている。


ちなみに、本州は、大倭豊国秋津島という。多くの方はご存じないかもしれないが、これが

本州の本名である。その本州と並んで最初に登場する地名の一つなのだ。



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[松山城]


愛媛と言えば、松山。

日露戦争の英雄、秋山兄弟が有名だ。


ここ、松山城はロープウェーで登らねばならない山城。

なかなかに険しい。


豊臣秀吉の七本やりの一人、加藤嘉明が築城、後に、久松松平家(徳川家康の異父弟)が

入府する。久松家と言えば、NHKのアナウンサー松平定知アナも確か久松松平家だったか。。。



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[道後温泉]


夏目漱石も入ったという。昔の銭湯って印象。


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[松山の夜]


急に宿探し。 無事見つかり、再度、温泉でほっとする。




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[内子の町]


松山から、40kmくらい南に行くと、内子がある。ここは昔ながらの町並みが残る。

さらに南に30km行くと伊達政宗の長男が藩主を務めた宇和島に至る。


さて、この日は昼から、京都で野球。午前中に内子を見て回り、11:30頃内子を出て、何とか、

2時に京都府長岡京につかねばならない。


帰りは、かねてより通りたかった来島海峡を通るも、ここは、高速道路が島毎に分断され、何度も一般道におろされ、効率が悪いこと。。。。

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[来島海峡を愛車で渡る。]




京都の旅

京都は794年に遷都されて以降、明治時代に入るまでの間、日本の都であった。

それだけに、寺院も神社も、さまざまなものがみれる。有名どころは紹介から外そうと思っている。


まず、穴場として、面白いのは、安部晴明を祀る晴明神社。ここでは、陰陽師としての
彼の活躍を示す紙芝居なども掲載されている。

面白いのは、彼の家の家紋が
五芒星である事だ。
ヨーロッパで聖なるものを意味する形であるが、この時代、いまだヨーロッパと日本は繋がっていない。
地球の別々の場所で、同じような形が、同じような意味で使われているというのが面白いと我々は思う。
いかがだろうか?


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[晴明神社]


そして、続いては伏見稲荷。これはある程度有名かもしれないが、千の鳥居が続くといわれる。
歩いていくと、奥の院まで行くと、狐につままれたような気分になる。


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[伏見稲荷大社]

ついで、八幡にある、石清水八幡宮。源八幡太郎義家が元服した神社。
以後、八幡宮は、源氏の氏神となる。

八幡宮は、応神天皇を祀っている。おそらく、かなりの勢力を築き、事実上、
日本国家と言っても良い程度の勢力になったのが、この、応神天皇だったようだ。

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そして、秋の紅葉が綺麗な場所を二箇所。



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[貴船神社]

ここは、京阪電鉄、出町柳から、叡山電鉄に乗り換えて、貴船で下車。


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[高台寺]

ここは、京都のメインどおりからも近いため、大混雑。
でも、おそらく、ライトアップ含めて、紅葉は相当綺麗。




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[冬の比叡山]

坂本からしか上にあがれないが、京阪のおでん電車を楽しんだりもできる。
しかも、上にはほとんど人がいない。かなり寒いが、すいているので、結構お勧めだ。























富山の旅~高岡編~

富山県と言うと、思い浮かぶのは、くコ:彡 ほたる烏賊とか、白魚など。
他にも、戦国時代の柴田勝家の付け家老、佐々成政、その前なら、神保氏と言うところだろうか。

ところが、実は、知られていないものがある。何と、日本三大大仏があるのを御存知だろうか?
大仏と言えば、鎌倉と奈良が、思い当たる方が多いと思うが、実は、日本三大大仏の高岡大仏が、ここ富山県高岡に存在している。



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見事な大仏で、出入りは自由。入場料も無料だった。



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そして、高岡城。前田利家の長男、前田利長が、隠居城として入った富山城が焼失したため、建てられた。桜の名所である。


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高岡城跡には、博物館がある。また、射水神社と言う越中国一宮がある。
古代最大の軍事氏族の惣領、万葉集でも有名な大伴家持の記録や、出雲本という古い本では、この射水神社が、越中国一宮とされている。

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もう一つの越中国一宮、気多神社。こちらは、近世になり、国府に近いことから、一宮とされたようである。

いずれにせよ、とても、古く、そして、静かなところであった。

ここで、問題が発覚。なんと、この土地では流しのタクシーが走っていない。
筆者は、数十キロのみちのりを、延々と歩いて駅まで戻る事になったのであった。

なお、駅付近でたくさんの美味い店がある。またJRで数駅の場所にある、魚津駅付近には、
萬*と言う店があるが、どこも美味い。 ※*には色んな字の幾つかの店がある。

ほたる烏賊を湯引きして醤油で食べたが、あんなに美味いものだとは思っていなかった。
富山の文化と食に触れた旅である。