アメンバーの歴史さんの『本当の日本の歴史』より許可を得て転載しております。http://ameblo.jp/create21/
大東亜戦争「日本肯定論」 4 日本統治経験国識者の証言
台湾
蔡焜燦氏 企業会長
「後藤新平は道路、鉄道、水道、港湾などのインフラ整備をはじめ、
台湾の衛生環境と医療の大改善等数々の大事業をやってのけたのだった。
台湾開拓、整備予算として日本の国家予算の四分の一という
べらぼうな額であった。日本のこうした統治政策は、世界にその類例をみない。
台湾の近代化に尽力した後藤新平は今でも「台湾近代化の父」と呼ばれ、
我々台湾人から惜しみない喝采と敬意を持って評価されている」
「現代の日本人たちは、日本を愛する事が出来ないと言うかもしれません。
日本はそれほどに戦争中にアジアの国々に悪いことをしたのだと。
しかし、それも私から言わせると歪曲された歴史観です。
日本が戦後から行ってきた教育は、あまりにも自虐的すぎました。
そうした考えに正義感を覚える輩は、ただ無知なだけです。
日本の皆さん、日本を愛しなさい、胸を張りなさい!
日本はあなたがた現代の日本人のものだけじゃありません。
私たち「元日本人」のものでもあることを忘れないで下さい」
「日本は台湾に鉄道を敷設し近代化へ大きく貢献することになる。
日本領台以前の台湾には道路と称されるものはなく、
交通手段は歩くかカゴでの移動しかなかった。
台湾の農業近代化を実現した「八田ダム」は戦後作られた
日本最大の愛知用水路の13倍、万里の長城の6倍にもなる」
「広枝音右衛門警部は
戦中台湾人兵士の命だけは保証するように米軍とかけあい、
『責任は全て日本人の私が取る。
祖国台湾には諸君の生還を願っている家族がいる』と言い広枝は自決し
台湾人部下は全員台湾人に帰国することができたのである」
許文龍氏 奇美実業会長
「私が生まれる30年以上前から日本時代は始まっていました。
父と母に聞いた話では、日本人が来て、
まず治安が一気に良くなったそうです。
いわゆる「夜不閉戸」、夜、ドアに鍵をしなくても眠れる状態。
次に良くなったのは衛生状態です。
日本の時代になる前は劣悪な衛生状態のせいで伝染病が多く、
うちの曾祖父も祖父も、三十歳まで生きられませんでした。
それが日本政府が上水道、下水道を造るなどのインフラ整備を行ったことで、台湾の衛生状態が改善され、台湾人の寿命が延びました。
台湾に造った上下水道は、当時の東京よりも進んでいたほどなんですよ。
当時造られた基隆港や高雄港も、日本のどの港より大きかったはずです。
その後も総督府は産業復興に力を入れ、
日月潭の水力発電や嘉南平野の烏山頭ダムなどが
台湾に造られていきました。特に、ダムが出来たことによって農業が発展し、
台湾はとても豊かになりました」
鄭春河氏 評論家
「大正時代、国際連盟で人種差別撤廃を提案した日本が、
白人諸国の大反対で否決されたことを思うと、まさに今昔の感がある。
有色の日本がホンコン、シンガポールで英軍に大勝し、
フィリッピンの米軍を駆逐したのを目のあたりに見た世界の有色民族から、
長年の間に習性とまでになったいた白人隷属の卑屈な気持ちが
ヴェールを剥がすかのように一掃され、「白人優位、白人不敗」の神話は、
これを機に音を立てて崩壊したのであった。
まさに大東亜戦争は、有色人種の白色人種に対する
壮絶なる巻き返しであり、そしてその力と気迫を持っていた国は、
その当時は日本しかなかったのである」
「私は生を日本に享けて僅か26年間の日本人なれど、
あくまで祖国日本を愛します。
特に自虐的罪悪感をもつ同胞に先ずその反省を促したい。
願わくは、一時も早く目覚めて大義名分を明らかにし、
民族の誇りにかけて速やかに戦前の日本人、真の日本国民に戻って下さい。そして、民族の発展と世界永遠の平和確立に貢献して下さい」
靖国神社を参拝された李登輝台湾元大統領