久し振りに高尾山を訪れた。体力が落ちたことを自覚しているので、石畳で舗装され、人の往来も多い1号路で山頂を目指した。



浄心門に掲げられた額には「霊気満山」と記されているようだ。気のせいか、はたまた季節のせいか、門をくぐると爽やかな空気に包まれたように感じた。


立派な杉の木が沿道に並び、仰ぎ見るとはこういうことかと気付かされる。自然に手を合わせたくなるのは、人間の力を超越したパワーやエネルギーをそこに見るからだろう。


手を合わせるのは無抵抗の印だと聞いたことがある。確かにそうだ。手を合わせた状態では攻撃などできないし、神仏やご先祖さまの墓前で手を合わせるのは恭順の証だろう。ところが、相手が人だと人は攻撃的になれる。人のことを言えないが、ウクライナの報道を見ていて、つくづくそう思う。


かといって、神さまの前では手を合わせる人も、信仰する神さまが異なると分かると、今度はそれが攻撃の理由になったりする。本当に人とは厄介なものだと思う。こんな岩場でも文句一つ言わずに根を張って生きてきた杉の木を見ると、先ずは静かにしなさいと忠告されているような気がしてきた。


帰りはせせらぎの音が聞こえる6号路を下ったが、赤い帽子の石仏がにこやかに迎えてくださった。平和と健康に感謝。

同志社混声合唱団(東京)の創立30周年を記念するコンサートが26日の土曜日に無事終了した。ヘンデルの「メサイア」全曲をソリストやオーケストラの皆さんと一緒に演奏したが、最後の「アーメンコーラス」を歌い終えると、感動や充足感や安堵がごちゃまぜになってボーッとしてしまった。



楽屋や受付の後片付けが終わり、解散する前に集合することになった。指揮者の先生やソリストの方々が一人ずつ感想を述べられたが、指揮者のN先生が「小さな事故はあったように思いますが、それを乗り越えて前に進む力がありました」みたいなことをおっしゃったのが印象に残った。これこそ個人ではなく団体の強みだろう。

来場くださった友人や知人からはメールやLINEで多くのメッセージが届いた。又、翌日の日曜日には間もなく90才を迎えるというグリークラブご出身の校友からお電話を頂いたが、その内容を記しておこうと思う。

「素晴らしい演奏だった。メサイア全曲だから、一眠りする曲があるかなと思って行ったんだけど、眠るどころかどんどん引き込まれて興奮し、元気になっちゃった。良い音楽からは力をもらえる。昨日は杖を使わすに帰宅できたよ。ありがとう。」

新型コロナの影響で一年数ヶ月延期になっていた同志社混声合唱団コンサートが今週末に迫った。今日は朝から夕方まで「ゲネプロ」なるものが行われ、皆さん「やっとゲネプロまでこぎ着けたか。長かったな」と感慨深くおっしゃっていたが、私にはゲネプロという言葉の意味が分からない。



そこで、こっそり調べてみたら、ドイツ語の「generalprobe」(ゲネラールプローベ)のことで、本番通りに練習し、リズムやテンポ、演奏の約束ごとなど、皆が同じ理解でいるかどうかを調べるという意味だと分かった。これまでは合唱団だけの練習だったが、4名のソリストとオーケストラが加わると同じ曲が違うようにも聞こえる。そういう新たな発見が楽しかった。

さて、終了後に合唱団の委員が集められ、ちょっと遅れて私も参加したら、「ペットのトイレシートを10枚ほど買いに行く」という話になっている。てっきり委員の誰かの愛犬用かと思ったら、コンサートの当日、管楽器奏者の方々がステージを汚さないよう、その上に管楽器を置かれるとのこと。そこで、近くのドン・キホーテに行ったのだが、96枚入りのものしかなかった。


結局、それを購入し、私が持ち帰ることになったが、必要なのは10枚だ。残りの86枚をどうしよう?(笑)