久し振りに高尾山を訪れた。体力が落ちたことを自覚しているので、石畳で舗装され、人の往来も多い1号路で山頂を目指した。



浄心門に掲げられた額には「霊気満山」と記されているようだ。気のせいか、はたまた季節のせいか、門をくぐると爽やかな空気に包まれたように感じた。


立派な杉の木が沿道に並び、仰ぎ見るとはこういうことかと気付かされる。自然に手を合わせたくなるのは、人間の力を超越したパワーやエネルギーをそこに見るからだろう。


手を合わせるのは無抵抗の印だと聞いたことがある。確かにそうだ。手を合わせた状態では攻撃などできないし、神仏やご先祖さまの墓前で手を合わせるのは恭順の証だろう。ところが、相手が人だと人は攻撃的になれる。人のことを言えないが、ウクライナの報道を見ていて、つくづくそう思う。


かといって、神さまの前では手を合わせる人も、信仰する神さまが異なると分かると、今度はそれが攻撃の理由になったりする。本当に人とは厄介なものだと思う。こんな岩場でも文句一つ言わずに根を張って生きてきた杉の木を見ると、先ずは静かにしなさいと忠告されているような気がしてきた。


帰りはせせらぎの音が聞こえる6号路を下ったが、赤い帽子の石仏がにこやかに迎えてくださった。平和と健康に感謝。