北大合唱団東京OB会「クラーククラブ」の第12回コンサートが一昨日、アプリコ大ホールで開催された。3年半振りの開催で、メンバーの平均年齢は74才に、又、ご出演の53名中、80才以上の方が14名おられるとのご挨拶に「おぉ!」という声が上がり拍手が湧いたが、年齢を感じさせない立ち姿と張りのある歌声に今回も感動を頂いた。

 

第一ステージは21世紀に作編曲されたアカペラ作品5曲から成る「こころの歌」、第二ステージは男声合唱とピアノのための「初診の歌」(木島 始作詞、信長貴富作曲)、第三ステージは「シューベルト男声合唱曲」から4曲、そして第四ステージが男声合唱組曲「水のいのち」という構成だったが、一番、興味があったのは、6月3日に同志社混声合唱団〈東京〉で歌う「水のいのち」だ。男声合唱と混声合唱では趣きも異なるのだろうが、高嶋先生がどのように指揮をされるのか興味があった。




その「水のいのち」は5曲から成るが、最初の「雨」は黙々と空中の塵を洗い流しながら降り続ける雨の模様が目に浮かび、映像にするならフルカラーより白黒の方が似合うように思った。第2曲の「水たまり」では、泥水に寄り添って見守る心が伝わって来て、最後は優しい気持ちになれた。第3曲の「川」は打って変わり、「なぜ低い方にしか水は行くことができないのか」という悔しさや空に焦がれる激しい思いがひしひしと伝わってきて、これまで何気なく見てきた川の流れが頭に浮かんだ。確かに、低い方にしか流れることのできない運命を背負っていた。

 

第4曲の「海」は、浜に打ち寄せては返す波を思わせる優しい旋律から始まるが、雨が洗い流した塵や川が運んできた泥水など全てを受け容れる大きな度量を感じさせ、最後に再び浜に打ち寄せる波を示す旋律が出てくるが、そういう大きくて、しかし、浜には静かな波を寄せて来る優しい海を思い描いた。第5曲の「海よ」にはフォルティシモで歌う「お、おぉ、海よ~」と歌う箇所があり、混声合唱でも迫力のある箇所だが、そこがどのように歌われるのかに関心があった。結果は「大迫力」で、男声合唱ならではの力強さを感じさせてもらった。


水にも性別があるなら「男性の水のいのち」だったと思うが、男の強くありたいと願う気持ちや、優しくありたいと思う気持ちがステージから伝わってきて、私もその気持ちを共有させてもらった。素晴らしい演奏だった。

同志社混声合唱団〈東京〉のコンサートが2ヶ月後に迫り、フライヤーが上がってきた。いくつかの案が出てきたが、10人から成る運営委員会で投票の結果、4対3対3で下記のものが採用された。委員の方々は「演奏する3つの曲にふさわしいものを」とお願いされて投票しているから、人により曲のイメージは異なるということだ。



もう一つ、いつも興味深く思うのは、指揮の先生が「ここはこのように歌いたい」「私はこう理解している」と所々で説明されることだ。作曲家と作詞家が楽譜を残し、楽譜にはリズムや音の強弱などたくさんの指示が書き込まれているが、指揮者により解釈が異なるということだろう。

「コンサート」の語源はラテン語の「cocerto」で「論争する」、「競い合う」という意味とのこと。英語の「concert」には協調や調和という意味があるらしいから、ちょっと意外な気もしたが、合唱なら先ずはパートごとに各々の役割を果たすべく競い合え、その上で、豊かで美しいハーモニーになるよう協力し合え、ということか。

まぁ、そんなことを考える前に、もう少し指揮の先生を見られるよう、暗譜しないと(笑)

帯にある通り、資産家とサラリーマンと地権者という三種類の人間が住んでいる「タワマン」(タワーマンション)が舞台だ。



資産家の開業医一家、夫婦揃って都市銀で働くサラリーマン一家、そして定食屋をしていた地権者一家が登場するが、それぞれに小学校6年生の息子がいたことから、経済力や社会的地位、息子の成績や中学入試に絡む教育方針などをついつい比較し、優越感や劣等感、嫉妬や羨望、共感や反感を味わいながら、各登場人物がこれまでの人生を振り返っていく。

悪人は一人も出て来ないし、各々の思いや発言、行動に多々共感できるものがあり、タワマンと言えども社会の縮図なんだと思えてきた。救いは各々の息子たちが見せる成長か。子供たちは親とは異なる時代を生きるのだから、邪魔をしてはいけないと改めて気付かされた。