体育会の運動部が不祥事を起こすと、「どう思いますか?」と尋ねられることが多い。幸い、私の現役時代には警察のお世話になるような事件は起こさなかったが、もし、私が不祥事を起こした運動部の現役選手だったら、次のように言いたいと思うだろう。



【現役部員に対して】
法律を破りたければ、退部してからにしろ。真面目に練習している俺らを巻き込むな。

【運動部に対して】
万一、法律を破った者が出てしまったら、かばい立てなどせず、警察に身柄を託しましょう。

【社会に対して】
部に連帯責任は求めるのは止めてください。お願いします。大多数の部員は無関係で、真面目に練習をしてきました。その努力を発揮できる機会を是非与えてください。

【再び、運動部に対して】
法律を犯した者がその罪を償い、復帰を希望してきた場合は受け容れましょう。その再生に力を貸しましょう。

学校も体育会も運動部も社会の一部なのだから、法律を守る義務がある。しかし、法律を破ったのが組織ぐるみではなく、個人単位なら、罪を償うのは個人だけで良いように思う。又、社会がそうであるように、罪を償い、再生を誓った者は受け容れる努力をすべきかと思う。

朝の散歩でバッサリ切られたと思われる大きな木の切り株を見つけた。直径は悠に1mを超えていた。良くみると「年輪」がくっきり見えて、この木は何歳だったんだろうと気になった。



帰宅後、「年輪」は英語で何というのかを調べたら「tree ring」と出てきた。なるほど、「木の輪」か。フランス語は 「anneau d'arbre」、イタリア語は「anello dell'albero」で、いずれも「木の輪」という意味らしいから、欧米人は年輪を見た目で表現し、日本人は年輪から年を重ねることに思いを馳せ、少し文学的になって年輪と名付けたのだろう。ちょっと良い気分(笑)

しかし、ドイツ語を忘れていたと調べたら、「baumring」と出てきた。やっぱり「木の輪」という意味らしいが、何となく聞いたことがあるような言葉だなと考え、はたと気づいた。これだ!


「バウムリング」のバウムは木という意味で、「クーヘン」は焼き菓子という意味らしい。切られた木は気の毒だが、こうしてお菓子の原型となり、広く長く愛されるようになったことは何よりの供養だ。これからも供養に協力し、美味しく頂きます(笑)

毎日新聞に面白い記事があった。東京大学の小林武彦教授(生物学)によると、「野生動物は老いない。老化するのは人間だけ」とのことだ。

 

例えば、海から遡上して放精や産卵を行う鮭は現役バリバリだから逆流を遡れる訳だが、生殖を済ませた途端、脳が委縮を始め、ホルモンが出なくなって死んでしまうそうだ。「子孫を残してくれてご苦労さま。あとはゆっくり余生を楽しんでね」という老後が鮭にはないのだ。

 

文字通り、ピンピンコロリだが、何故そんなことが起こるのかというと、激しく変化する環境で生物が生き延びるには、生物も変化を続ける必要があり、古い世代が死に、新しい世代が生まれることで生物は環境に適応できる進化を遂げて行くものらしい。そう言われると、デジタル化に順応しているのはアナログ派の私より明らかに子供たちや孫たちだし、新しい世代の方が変化に適応できる可能性が高いということだろう。

 

では、人間だけが老化することに何か意味や理由があったのかが気になるが、小林先生は「若い親に代わって子守りをしたり、経験知から若者たちを指導したりする共同体は統率が取れて効率的、シニアのいる共同体は生産性が高かったから、ヒトの進化には好ましかったのだろう」とおっしゃる。又、「若い時は動物のように私利私欲に走りがちだが、年を重ねると利他的になる。だから、野心ある若者を公共性の高いシニアが支える二層構造ができれば、社会の効率は上がる」と結んでおられた。

 

 

以上、古い世代になってしまった私からすると、老後があることを喜ぶべきなのか、野生動物同様に、若い世代の邪魔をしてはいけないと心掛けるべきなのか大いに迷うところだが、多摩動物園の猿の背中を思い出すと、「自分の人生を生きろ!」がぴったり来るように思う。