再び、小野田さんの言葉、


「何ごとも一所懸命やってきました。それが、自分にとっても良いことにも悪いことにもつながります。中学校の時に、退学されても仕方がないことをやりました。これはまずい、と一所懸命勉強して成績を上げたお陰で無事卒業できました」。


小野田さんは続ける、


「中学校を良い成績で卒業していなければ、陸軍中野学校にもルバング島にも行かなかった。島でも一所懸命頑張ったので、生き延びることができました。帰国してからも、ブラジルでも一所懸命働いたので、今につながっています」。


人間万事塞翁が馬のことわざを思い出すが、小野田さんの言葉を読み返すと、悪いことが起こったときや環境が一変したときに一所懸命努力されたことが分かる。やはり、ピンチのときにこそ努力が必要で、その努力により将来が開けるのだろう。


昨日、早稲田ラグビーが帝京に敗れた。筑波にも敗れている早稲田にとってはショックだったろうが、昨年は対抗戦で早慶明に敗れた帝京が大学選手権では優勝を飾っている。それを思うと、あくまでも本番は大学選手権で、秋の試合は更に一所懸命になれるキッカケを各チームに与えるものなのかと思う。


お~い、同志社も頑張れ~!

たまには勝たんと完璧に嫁さんの尻に敷かれるぞ・・・・はこっちの話か(笑)


ボルネオ7番のブログ-小野田さん
(自然塾の小野田さん)


小野田さんは日本に帰国された翌年の昭和50年、単身ブラジルに渡っておられる。小野田さんはそこで牧場を始められ、苦労の末、成功される。今や1800頭の牛を飼う大牧場主だ。


昭和59年には、逞しい青少年を育成したいと「小野田自然塾」を開かれた。同塾からは20年の間に2万人の子供たちが巣立ったという。


ボルネオ7番のブログ-小野田さん



小野田さんは何故ブラジルに移住されたのか。

そして、何故、牧場経営を決意されたのか。

又、何故、自然塾を始めようと思い立たれたのか。


正しい答えは分からないが、小野田さんがこんな言葉を残しておられる。

「物事は原点から考えると分かり易い。ジャングルで道に迷えば、迷い始めたところまで戻って考える」。


ここからは想像だが、小野田さんはすっかり変わってしまった日本に驚き、迷子になったような気分になられたのではないか。そして、ジャングルで道に迷ったときのように、迷い始めたところまで戻られた。その場所が「自然」だったのではないだろうか。


ジャングルでの30年間に及ぶ生活を支えたものは小野田さんの精神力や体力、使命感や責任感だと思う。しかし、ジャングルで過ごす内に、小野田さんは私たちの経験を遥かに超える自然の厳しさや力を実感されたのではないかと思う。青少年のために自然塾を始められたのも、自然の力を良くご存知だったからだろう。


もし、私が人生に迷うようなことがあった場合、どこまで戻れば良いのだろう。その前に、最近は物忘れが激しく、来た道をちゃんと覚えているかどうかが気になるが(苦笑)

同級生から小冊子を貰った。

小野田寛郎さんの過酷な、しかし力強い人生を紹介している。


ボルネオ7番のブログ-小野田寛郎さん


小野田さんは陸軍中野学校を卒業後、昭和19年12月、フィリピンのルバング島に渡る。間もなく日本は無条件降伏し、戦争は終結するが、小野田さんはその後30年間、ルバング島で「任務を続行」される。ジャングルの中で水や食料、眠る場所を確保するのは大変なことだったと思う。まさに生き残りを懸けた過酷なサバイバルだったに違いない。


昭和49年、小野田さんはやっと任務を解除され、小野田さんの長い戦争が終わる。ルバング島では直ぐに応戦できるよう頭を上に斜めに寝ていた小野田さんは「今晩から身体を真っ直ぐにして眠れる」とおっしゃったそうだが、検査入院された病院では、3階の部屋で寝ていながら1階の入り口が開く度に目を覚まされたという。ジャングルの中で心休まるひとときなど無かったのだろう。


その小野田さんの言葉。

「方位磁石は方向を教えてくれるが、川や谷のよけ方は教えてくれない。磁石にばかり気を取られていると、川や谷に落ちてしまう。自分で考えて行動しなければならない」。


なんと含蓄のある言葉だろう。

大学で経営学を学んでも、世の中の変化やライバル会社の出現に慌て、対応に失敗することがあるだろう。どんなに厚い信仰心を持っていても、布教のためには妥協したり我慢しないといけない場面があるだろう。そして、いくら監督やコーチからラグビーを教わったつもりでも、実際のゲームでは想定しなかった初めての局面に面食らうことがあるだろう。


「自分で考えて行動しなければならない」・・・・平易な言葉だが、小野田さんの言葉だけに重みを感じる。