先日、久し振りに原宿竹下通りを歩いた。


ボルネオ7番のブログ-竹下通り


平日の午後のことだったが、「どこが不景気やねん?」、「少子化ってどこの話?」と言いたくなるほど、多くの子供で賑わっていた。しかし、子供の数は間違いなく減っているらしい。


取引先のウェディングドレス屋さんから聞いた話だが、結婚するカップルが現在年間70万組いるそうだ。これだけでは多いのか少ないのか分からないが、昭和40年代には110万組のカップルが結婚したというから、約6割にまで市場が縮小したことになる。


しかし、驚くのは未だ早い。先日、ランドセル屋さんから聞いたところでは、現在、1年間に販売されるランドセルの数が100万個なんだそうだ。ということは、20年後、大人になった彼らが全員結婚するとしても、年間50万組にしかならない。市場は更に7割まで縮小するということだ。


この話を聞いてから、「市場が音を立てて縮小している」と話すようになったが、決して誇張しているとは言えないだろう。さて、そういう社会で生き抜くにはどうすれば良いのかだが、縮小も変化の一つだとすれば、先に変化して生き抜く会社や人が必ずいると思う。


ウェディングドレス屋さんも、気が付けば結婚式場を経営したり、新婚旅行の手配までされている。そういう変化をいとわないところが生き抜けるということか。私も、来るかも知れない食糧危機に備え、今の内からスリムになるか(^O^)/


10年ほど前のことだろうか。

千鳥ヶ淵でライトアップされた桜を初めて見た。

そのとき、桜が男の木ではないことを悟った。


ボルネオ7番のブログ-桜 三十路


ライトアップされた桜には妖艶な美しさがあった。これは男に出せる色気ではない。更に、咲き誇る桜の木々を眺める内に、妖艶を通り越した危うさのようなものまで感じてしまった。


ボルネオ7番のブログ-桜 妖艶


千鳥ヶ淵は元々江戸城のお堀だったし、近くには第二次大戦の戦没者を祀る墓苑もある。そういう歴史や、各々の時代を生きた人々に思いを馳せるから、余計に桜が妖しく、艶めかしく見えるのかも知れないが、夜に見る桜は、やはり女だと思うのだ。


渡辺淳一さんが、「桜の樹の下で」という小説を書いておられるが、そこに描き出される女の情念を際立たせるには桜が必要だったのかなと思う。これが「椰子の樹の下で」だったら、明るく屈託のない少年少女の初恋物語になってしまう(笑)


父は入浴中に、「同期の桜」を好んで歌った。


学徒出陣した父にとり、当時の記憶を辿る思い出深い歌だったのだろうが、それを聞いていた小学生のボル少年にそんな深いことは分からない。歌詞に出てくる「咲いた花なら散るのは覚悟」という一節を何度も聞く内に、「桜の花=男」というイメージを持ってしまった。咲き誇った後、一斉に散り始める桜こそ、男の生きざまを象徴するものだ、と考えたのだ。


今も、昼間に見る桜は男であってもおかしくないと思う。

人と同じように、桜にも幼少期、青年期、そして見事な花を咲かせる成人期があるのだから。


ボルネオ7番のブログ-桜 小学生
(小学生の桜。まだまだ蕾)


ボルネオ7番のブログ-桜 中学生
(中学生の桜。一部、あどけなさを残す)


ボルネオ7番のブログ-桜 高校生
(高校生の桜。美しくなる予感!)


ボルネオ7番のブログ-桜 大学生
(成人した桜。命短し 恋せよ乙女!笑)


ただ、夜に見た桜が私の考えを変える。(続く)