湯島聖堂を出た後、ニコライ堂に立ち寄った。
明治24年(1891)、ロシア正教の布教に来ていた聖ニコライにより建てられたものだが、同志社東京校友会の会報によると、聖ニコライと同志社の校祖、新島襄先生は幕末の函館で交流があったらしい。
脱国の決意を固め、函館でその機会を窺っていた新島先生は所持金を全て使い果たす。そこで、新島先生は知人から紹介された聖ニコライの家に住み込み、聖ニコライに日本語を教えることになったらしい。
そして、脱国決行の日、聖ニコライに真実を告げる訳にはいかず、新島先生は「母が危篤なので江戸に帰る」という嘘の手紙を残して家を出る。
それから10年、アメリカから帰国した新島先生が聖ニコライと御茶ノ水で再会したという説があるらしい。再会のとき、二人はどんな会話を交わしたのだろう。新島先生が謝る姿を想像し、ちょっと可笑しくなった。
「太初に言あり、言は神と共にあり」
(初めに言葉あり、言葉は神と共にあり)
ヨハネによる福音書に出て来る言葉。

