同級生から「面白かった」と勧められた。NHK大河ドラマで取り上げられる前に書かれた本だが、アマゾンで中古のものが見付かった。



戊辰・会津戦争を戦い抜き、鶴ヶ城に籠城した際には男装して銃を携え、見事な射撃の腕前を見せたという八重さん。勇ましい女性だが、奮戦むなしく会津藩は敗れ、賊軍となってしまう。傷心の八重さんは戦後、兄の山本覚馬さんを頼って京都に行き、そこで新島襄先生と出会う。


その新島先生は、山本覚馬さんから譲り受けた旧薩摩藩邸の敷地に同志社を設立されるが、当時の京都には3500のお寺と2500の神社、僧侶だけでも8000人はいたというから、ヤソ(耶蘇)教の学校ができるという噂に猛烈な反発と反対があったようだ。


新島先生がそれを乗り切れたのは、八重さんが居られたからだろう。布教や寄付を募るため旅に出ることの多かった新島先生の留守を守ったのは八重さんで、その姿が鶴ヶ城での八重さんと重なった。新島先生も八重さんも自分の信念や夢のために生涯を通して戦い抜かれた方だ。私も少しは同志社で学んだ意地を見せないと、お二人から叱られそうだ。

お正月に頂く年賀状が減ってきた。ここ数年、「年賀状のご挨拶は本年限りとさせて頂きます」とか「今後はSNSでのご挨拶とさせて頂きます」というメッセージが多くなってきたから、年賀状離れが加速しているのだろう。



そんな中、「年賀状は平安時代から続くコミュニケーションです。私は続けます」と書いてこられた方がいた。平安時代は言い過ぎではと疑い、調べてみたところ、確かに平安時代に始まったとする解説が出てきた。なんでも、藤原明衝(989~1066)という貴族がまとめた手紙の文例集に年始の挨拶が出てくるらしい。年賀状には千年の歴史があるのだ。

さて、私にとっての年賀状はどのようなものかを考えてみた。毎年12月を迎えると、翌年の干支にまつわる諺を探し、それに合うイラストを考えて描く。その時間が楽しいこともあれば、印刷屋さんの締切りが迫って焦ることもある。そうこうする内に年の瀬を実感し、新年のことを考えるようになるので、私にとっての年賀状は新年を迎えるための「準備体操」なんだろう。私の年賀状を受け取る皆さま、今しばらく準備体操にお付合いください。

DSKクワイア(男声讃美歌研究会)で横浜市西区の合唱祭に参加し、讃美歌3曲を歌った。指揮者とピアニストを加えても13名という小規模の男声合唱だったが、ステージから引き揚げるとき、他の合唱団の方から「教会にいるような気がしました」と言われたことが嬉しかった。



先生方からは講評を頂いた。
「男声による演奏で、外国のカソリック教会での演奏のように聴こえてきた。気品があった。」
「皆さんの歌声から、信じる心、愛する心、今日もとても良いものをいただいた。ありがとう。」
「レガートで母音のつながりがなめらかで、とても美しい響きのある声だ。ハミングも良かった。ブレスも深くてすばらしい。最後に、言葉ひとつを大切に歌われているのが伝わってきた。子音もきれい。素敵なうたをありがとう。」


終演後の打上げでは、先生方からの講評を巡り、「先生方は来年も我々の参加を促すため、意図的に褒めておられる」、「その通りや。良い気になるのは止めよう」、「いやいや、せめて今夜くらいは気持ち良う飲もうや」、「その慢心が上達を阻むねん」、「とりあえず乾杯せえへんか?」、「せやね!」みたいな応酬があったが、その後は合唱以外の話題で盛り上がり、賑やかな打上げになった。来週からは4月17日に開催される「国際シニア合唱祭」のための練習が始まる。