私の伯父は上海で戦死している。その伯父の遺影が靖国神社の遊就館に飾られたというので、早速お参りに行ったことがあるが、戦死された多くの方々の遺影や遺された手紙、葉書などを見ていると胸の締め付けられる思いがした。


間違いなく、「動員された大多数の国民は祖国防衛のために戦った」と思う。そういう犠牲の上に戦後日本の平和が築かれたわけだから、国や家族のために戦い、命を落とされた方々を祀るのは当たり前だし、靖国神社に参拝したいと思うのはごく自然の感情だと思った。


ただ、見る位置を変えてアジアから日本軍を眺めれば、日本では優しい父であり夫であったとしても、武器を持ってやってきた外国の兵士だったのかも知れない。これは太平洋戦争に限らず、戦争が常にもたらす悲劇なのだろうが、私たちはアジアから見た日本軍のことを想像しなければいけないのかなと思う。


山内議員がもう一つ、中曽根元総理の言葉を紹介されている。「新潮45」(2012年11月号)に掲載された言葉のようだが、冒頭に「太平洋戦争を経験した世代として、戦争を知らない世代に伝えておかねばならぬことがある」とおっしゃっている。今年58才になる私でさえ戦争を知らない世代だ。ここは、心して聴かねばならないと思う。


「二十世紀前半の我が国の帝国主義的膨張や侵略によって被害を受けたアジアの国々との怨恨は容易には消え去らないであろう。日本独特の『水に流す』は日本以外では通用しない。韓国や中国における現在の反日教育、ナショナリズムを高揚する教育をみれば、心のわだかまりが溶解するには長い時間と期間を要するとかんがえなければならない」。


「こうした考えに立って、我々の歴史の過失と悲劇に対して率直な反省を胸に刻みつつ、この失敗を乗り越えるための外交を粘り強く進めていく必要がある。そうした意味で、日本の歩むべき道は、失敗に対する深い思慮とともに、アジアと国際社会の一員として平和を守り、互いの利益と協力を尊重しながら国際社会に貢献して行くことである」。


現実的で説得力のある言葉だと思う。折りしも、シンガポールで開催されたアジア安全保証会議で、中国人民解放軍の威建国副総参謀長が尖閣諸島問題に関し、「我々より知恵のある次世代の人に解決してもらうべき」という棚上げを示唆したとか。時間が解決すると言えるほど、世の中甘くはないが、時間が経つ間に日本にも中国にも必ず変化がある。その変化が解決のきっかけを与えてくれることはあるかなと思う。


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ところが、先日、ハッとさせられる言葉に出会った。


みんなの党の衆議院議員、山内康一さんが「蟷螂の斧」というご自分のブログに書いておられた言葉だ。折りしも、麻生副首相がインド訪問中に、「少なくとも我々は1500年以上の長きにわたって中国との関係が極めてスムーズにいったという歴史は多分ない」と発言され、それが話題になったことに対して述べられた言葉だ。


「1500年の歴史の中には第二次大戦、日清戦争、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)、倭寇など、日中で戦ってきた歴史もあります。振り返ると日本が中国に攻め込む例ばかりです。第三者的に見たら、『日本は好戦的な国だ』と思い、中国の被害者としての側面に目がいくでしょう」。


確かにそうだ。攻め込んだのは日本で、日本が中国の軍隊に攻め入られたことは一度もないように思う。山内議員は更に続けておっしゃる。


「他方、遣隋使、遣唐使以来の交流の歴史もあり、さまざまな文化を中国から日本は学びました。明治維新後に多くの中国人留学生が日本に学び、日本語経由で西欧の技術や思想が中国に伝播し、さまざまな人間同士の交流もありました」。


これもその通りだ。古くから日中間には人の交流があり、良好な関係が維持された時代もあったのだ。山内議員はまだお若いのに、なかなか冷静で、ものごとを客観的に見ることのできる人だ、と感心しながらブログを読み進むと、別の日に中曽根康弘元総理の言葉を紹介されているのを見付けた。これも読み応えのある内容で、読み返す度に背筋が伸びるような気がした。


「私なりに大東亜戦争を総括するなら、次の五点に集約されます。

一、昔の皇国史観には賛成しない。

二、東京裁判史観は正当ではない。

三、大東亜戦争は複合的で、対米英、対中国、対アジアのそれぞれの局面で性格が異なるため認識を区別しなければならない。

四、しかし、動員された大多数の国民は祖国防衛のために戦ったし、一部は反植民地主義・アジア解放のために戦ったと認識している。

五、英米仏蘭に対しては普通の戦争だったが、アジアに対しては侵略的性格のある戦争であった。

(出典は中曽根元総理の「自省録」、新潮社2004年とのこと)


(続く)


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(この時期は紫陽花にばかり目が行く)

友人が中国から一時帰国した。


中国の靴工場で検品指導を行ない、2ヶ月に1度位の割合で帰国する。その度にランチをして、中国の様子や人々の表情などを聞かせてもらう。話の内容もさることながら、友人の表情が変わってきたことが興味深く、この定期的なランチが楽しみになっている。


彼がこの仕事を始めた当初は、「言うことを聞いてくれない」とか、「信じたのに裏切られた」という愚痴が多かった。深刻な表情に同情したものだが、最近は同じことを言うにしても、ニコニコ笑いながら、さも愉快なことが起こったかのように話す。状況は変わらないにしても、彼の心境が変わったのだと思う。


中国人と日本人は異なる文化や歴史、生活環境、そして教育の下に育っている。結果として、同じ出来事やテーマについて話し合うと全く相容れない考え方や認識を持っていることに気付く。太平洋戦争もまさにその一例だろう。防衛から始まった戦争か、はたまた侵略戦争なのか。


学徒出陣した父は、私が子供の頃から「ABCD包囲網」について話し、日本は戦争に追い込まれたのだと説明した。父は決して暴力を振るうような人ではなかったし、近所のおじさん、おばさんも優しい人たちばかりだったから、「日本人が理由もなく戦争を始めるわけがない」と思って私は育った。


そして、物心がついてからは、日本軍の暗号解読に成功していたアメリカは真珠湾攻撃を事前に知っていたとか、広島、長崎に原子爆弾を落とさずとも日本の敗戦は決定していたとか、日本こそ被害者というような主張に何か安心を覚えるようなところがあったように思う。


(続く)


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