お取引先が予期せぬ災害に備え、非常食を備蓄されている。その中に保存期限を間もなく迎えるものがあるとのことで、「一度、食べてみませんか?」とお裾分けしてくださった。



左上が「牛丼の具」、右上が「筑前煮」、そして中央が「鯖の味噌煮」で、保存食の為か、我が家の味付けよりは濃くて塩気が強いと感じたが、食べ終わってから、「災害時にはこんなお皿に出して食べることも出来ないのか!」と気付いた。

災害時には水も貴重品で、お皿を洗うどころか、飲み水や顔や身体を洗う水もままならないし、トイレも自由には使えない。幸い、そういう非常事態の経験がなかったけれど、平和で快適な生活の有り難さを感謝せねばと思った。

丸紅時代の上司はパリに駐在されていたことがある。その方とは今も電話のやり取りがあるが、昨夜、「カードルというフランス語がある。知ってる?」と尋ねられ、「もちろん、知りません!」と力強く答えて大笑いとなったが、その後、こんな話をされた。


カードルは絵画の額縁のことだが、企業で働くエグゼクティブのこともカードルという。恐らく、どんな名画もそれを引き立てる額縁があって初めて観る人に安心や感動を与えるし、そういう額縁があるように見える人のことをエグゼクティブというのだろう。


もう20年も昔のことだが、インドに出張した際、買い求めた絵がある。



生地にプリントされた絵で、無造作に丸められた生地の束の中から探し出した。3ドルもしなかったと思うが、帰国後、額縁に入れてもらった。絵の何十倍もの費用を要したが、家族や訪ねて来た人に見てもらえる絵になった。

人にとっての額縁は何だろう? 知性か教養か、はたまた威厳か。どれも自分にあるとは思えないが、少なくともインドから持ち帰った絵と同様、見られているという意識は持とうと思う。

昨日の合唱祭で「神奈川県知事賞」を受賞されたのは、「槻の木コーラス」という女声合唱団だった。残念ながら、私たち、男声讃美歌研究会の連続受賞はならなかったが、たまたま「槻の木コーラス」の演奏を会場で聴いていたので、「やっぱりな」というのが正直な印象だった。

 

 

ラグビーの試合を観ていると、「あぁ、もったいない!」と思う場面が度々ある。「せっかく次の攻撃につながる有利なモールが組めたのに、なんであそこで無理するねん」という呟きが回りからも聞こえてくる場面だ。ラグビーは頭数の勝負でもあるから、過信から猪突猛進して孤立するとボールを奪われたり、味方に出ないようにされてしまう。チームの組織的なプレーが崩壊すると攻撃は止まるのだ。同じようなことが、多分、チームプレーが求められる合唱にもあるのだと思う。

 

「槻の木コーラス」の歌声はリズムもハーモニーも見事に一体化していて、無理なく多彩な攻撃を連続させて前進するラグビーチームのようだった。あそこまで意思統一し、実行できるようになるまでには相当の練習を積まれたのだろうと思うし、その点、私たちの男声讃美歌研究会は練習不足だったのだ。

 

考えるところがあり、同志社混声合唱団は今月からお休みさせて頂くことにした。男声讃美歌研究会もお休みさせて頂こうと思っていたが、昨日の「無冠」がどうも悔しい。もう少し続けさせてもらおうかと思う。