二つ目は山小屋での一泊から学べることだ。


●蛇口をひねってもお湯は出ない。

●トイレは水洗ではない。

●携帯電話は通じない。

●忘れ物をしても近所にコンビニはない。

●歩くこと以外に移動の方法がない。

●夜は真っ暗で、ネオン街もない。


そういうことを経験すると、普段、私たちは如何に便利で快適な暮らしをしているかに気付く。逆の見方をすると、進歩や進化という快い言葉の裏側で、人間は本来持っていた能力や感受性を失ってきたのだと思う。闇に包まれた山の中で、一番不安を感じる動物は間違いなく人間だろう。


ボルネオ7番のブログ-yamagoya
(一泊した仙丈小屋)


そういう人間の弱さ、人間社会の脆弱さ、そして自然の厳しさを肌で感じるには山小屋での一泊が最適だと思う。ただ、ちょっと嬉しい発見もあった。山小屋での雑魚寝は、隣のイビキあり歯ぎしりありで決して快適とは言えないが・・・・


●幅1メートルのスペースと毛布2枚あれば人間眠れるもんだ!(^O^)/


僅かに残った野性を大事に保ちたいと思う。


今ごろ気付いたか、と笑われそうだが、今回の仙丈ケ岳登山で学ばせてもらったことがある。一つ目は、「自分の荷物は自分で背負う」という自己責任の基本だ。


今回ご一緒した仙丈ケ岳を愛する会には小学校6年生の男の子と4年生の女の子が参加していた。ご両親もご一緒だったが、子供たちは各々背中が隠れるような大きなリュックを背負っている。その姿が健気で、大丈夫か?頑張ってや!と後ろからその背中を見守っていたのだが、彼らは「疲れた」とも「荷物が重い」とも「代わりに持って」とも言わない。黙々と歩き、休憩時間には美味しそうに水を飲み、お煎餅を食べている。


最初の方こそ心配しながら見ていた彼らの背中も登るにつれ逞しく見えてきたし、それだけではなく、「大人の皆さんも、ちゃんと自分の荷物を背負っていて下さいね。まさか、誰か代わりの人に持って欲しいなんて思ってないでしょうね」と主張しているようにさえ見えてきた。そうなると、こちら側まで、「あぁ、疲れた」とか「ちょっと休みたい」という弱音が吐けなくなってしまった(笑) 「自分のことは自分で」は社会を生きていく上での基本的なルールだろう。登山はそれを体験させ、学ばせてくれるように思う。


子供たちだけではない。仙丈ケ岳を愛する会のN山会長は70歳を超えておられるそうだが、ちゃんと自分の荷物を背負い、回りの人のことを気遣いながら登っておられる。小学生たちから見れば「おじいちゃん」の年代だろうが、寝たきりのおじいちゃんより、一緒に山に登り、花の名前や山の物語を聞かせてくれるおじいちゃんの方が余程カッコいいだろう。大人たるもの、そういう元気で優しく、物識りなおじいちゃん(おばあちゃん)を目指さねばならないということを登山が教えてくれているように思う。


最後尾を歩いておられたのはレスキュー隊員でもあるK原さんだ。みんなの荷物の3倍はあろうかという重い荷物を背負っての登山だが、いつ見ても笑顔で、何かあればおっしゃって下さいという余裕の表情をされている。これも、余力のある者は回りの人たちのために少し重い荷物を持とう、何かあれば助けようという精神や、それができる人物の必要性を感じさせ、学ばせるものであったように思うのだ。K原さんとは3度目の登山だが、今回初めてそう感じたのは、小学生と一緒に登ることで、いつもなら閉じている感受性の蓋が開いたのかも知れない。



ボルネオ7番のブログ-mikoshiba
(自分の荷物を背負って登る親友のM柴。昨年の仙丈ケ岳登山)



「仙丈ケ岳を愛する会」主催の「ふれあい登山」に今年も参加させてもらった。昨年は生憎の雨で、ご来光を拝むことが叶わなかったが、今年は好天に恵まれ、しんしんと冷える仙丈ケ岳の頂上で日の出を迎えることができた。


ボルネオ7番のブログ-ご来光


ダウンジャケットにレインウェアを重ね着していても寒い頂上だったから、暖かな光を空に向かって広げていくお日様に思わず手を合わせた。もう一つ、ご褒美があった。日本一の高さを誇る富士山と、その次に高い北岳のツーショットだ。


ボルネオ7番のブログ-富士山と北岳


美しい富士山のシルエット、それを守るかのように立ちはだかる北岳。無言だが、「日本人よ、自信を持ってしっかり生きよ」と諭されているような気がした。


今回の登山では少し思うところがあった。追い追い書いていきたいと思う。最後に、迫力のあった雲海。


ボルネオ7番のブログ-雲海