中入り後は旭堂南海さんの「蘇生の五兵衛」から始まった。植木屋の五兵衛は大酒呑みで、仕事先で「この焼酎一升を飲み干したら50銭やるがどうだ?」と言われ、「好きな酒を呑んだ上に50銭までもらえるなら」と芋焼酎一升を飲み干して50銭を手にして帰宅する。ところが、玄関で転んで胸を強打し、意識を失って息をしていないと思われたことから葬式を出され、埋葬までされてしまう。それが何かの拍子に目覚め、ご近所さんや奥さんを驚かすという話だった。酔っぱらっているときも蘇生してからも、どことなく間延びした感のある五兵衛さんの様子がおかしくて、何度も笑わせて頂いた。

 

打って変わって、鯉風先生の「緑十字機の墜落」は、聞くほどに前のめりになるのが分かるほど次の展開が気になり、一言も聞き逃してはならないと思わせる話だった。

 

「日本の終戦記念日は8月15日ですが、アメリカでは9月2日の戦艦ミズーリでの降伏文書調印の日が戦勝記念日とされています。戦争は9月2日まで続いていたんです」という鯉風先生の前置きに、いったいどんな話をされるのかと思ったが、私の知らなかった史実を教えられることになった。

 

昭和20年8月15日の玉音放送により、日本は終戦を迎えたはずであったが、これに従わない陸軍の近衛連隊や海軍の厚木飛行場は徹底抗戦の構えを見せていた。そんな最中、マッカーサーから降伏文書に関する協議のため、降伏全権大使をマニラまで派遣するよう求められ、搭乗すべき飛行機は軍用機との識別のため白く塗り、緑十字を胴体に描くよう指示される。これが「緑十字機」だ。

 

(インターネットからお借りしました)

 

緑十字機には航続距離の長い一式陸攻が選ばれ、連合国側ではなく、日本の徹底抗戦派からの妨害に遭いながらも、8月19日、木更津から沖縄の伊江島まで向かい、海軍の河辺中将始め降伏軍使一行はそこからマニラまで米軍機で向かう。何とかマニラで降伏文書に関する折衝を終え、一行は伊江島まで米軍機で送り返されると、そこから再び緑十字機で木更津を目指すが、途中、燃料切れから飛行不能となり、静岡県磐田市の鮫島海岸に胴体着陸を余儀なくされてしまう。

 

幸い、怪我人はなく、降伏文書も全て回収できたため、一行は東京まで飛べる飛行機と無事に使える飛行場を探し、故障したまま置かれていた爆撃機「飛龍」を見付けると、これを急ぎ修理して浜松飛行場から飛び立つ。そして、8月21日、調布飛行場に無事着陸する。緊迫の数日間だった訳だが、もし、降伏文書が東京に到着していなければ、未だ戦争は終わらず、ひょっとすると徹底抗戦派との内戦状態に陥ったかも知れないし、ドイツのように一つだった国が分断されてしまったかも知れない。「戦争は始めるのは簡単でも、終わらせるのが本当に難しい」という鯉風先生の言葉が良く分かった。


それにしても、皆を笑わせることもあれば、深く考えさせたり、感動させたりする講談は実に奥が深い。

講談について教えてくださり、「相棒24」へのエキストラ出演の機会まで作ってくださった神田鯉風先生と、鯉風先生とは長いお付合いという旭堂南海さんが「二人会」をされると知り、上野広小路亭まで足を伸ばした。



開口一番は神田松樹さんの「寛永宮本武蔵伝」


剣豪、宮本武蔵が武者修行の途中、一人の駕籠屋と共に箱根山中で野宿する羽目になる。そこに現れた一匹の狼を武蔵が本能的に斬り捨ててしまうが、それを知った仲間の狼たちが集団で復讐にやってくる。しかし、腕の立つ武蔵に敵わぬと知った狼たちは高みの見物を決め込んでいた駕籠屋を襲い始める。が、その駕籠屋が武蔵も驚くほどの剛腕で狼たちの退治を始めるというお話。ストーリー同様、松樹さんの声には勢いがあり、面白かった。

 

続いて、鯉風先生の「赤穂義士銘々伝、神崎詫び証文」


赤穂浪士を取り上げた講談は数多くあるが、四十七士のエピソードを伝えているものを「赤穂義士銘々伝」というらしく、この物語は赤穂浪士の一人で、討入りのために江戸に向かう途中、浜松に立ち寄った神崎与五郎を取り上げている。浜松の酒屋で休んでいた与五郎は、大酒呑みで酔うと狼藉を働くという馬方の丑五郎に絡まれてしまう。その気になれば簡単に斬って捨てられる相手だが、大事の前の堪忍が肝要と我慢し、与五郎は丑五郎の言うままに詫び状をしたためる。その後、与五郎たち赤穂浪士が吉良邸に討入りし、主君の無念を晴らした上で切腹したと知った丑五郎は驚き、与五郎への無礼を後悔して泉岳寺に向かうと、以後、浪士たちの墓を守り続けたという話だった。目の前に与五郎と丑五郎が出て来るようで、特に与五郎の吉良邸討入りと切腹を知り、もはや無礼を詫びることもできぬと知って後悔する丑五郎の姿に感動した。

 

そして、旭堂南海さんの「赤穂義士外伝、忠僕元助」


赤穂義士銘々伝に対し、四十七士ではなく、赤穂浪士に関連する人や出来事などを取り上げたものを「赤穂義士外伝」というらしい。この物語は赤穂浪士の一人、片岡源五右衛門に仕えた元助という忠僕の話だった。吉良邸討入りを控え、浪士たちは大石内蔵助から身辺整理をしておくよう命じられ、源五右衛門も長年仕えてくれた元助に暇を出し、赤穂にいる源五右衛門の妻と子の面倒を見るよう頼む。驚いた元助は理由を尋ねるが、まさか吉良邸討入りを明かすことのできない源五右衛門は思いつくままに嘘を付き、それが直ぐにばれてしまい、ついには元助がそこまで嫌われたなら死んでお詫びすると脇差を抜いて死のうとする。そこに偶然立ち寄った浪士から他言無用で討入りの計画を聞かされた元助は自分の不明を詫び、討入りを果たした翌朝には新鮮なみかんを持参して浪士たちを労うという話だった。互いに相手を思いやる源五右衛門と元助のやり取りが実に温かくて面白く、大いに笑わせて頂いた。


ここで中入り。(続く)

一昨日、年に一度のバイオリン発表会が無事に終わった。今回は「宇宙戦艦ヤマト」を六重奏で弾かせて頂いた。



発表会が近付くと、毎回そのプレッシャーから「もう今年でバイオリンは止める」と言い出す私だが、今回はそれを言わなかった。多分、毎日練習できる環境になったことや、人前でバイオリンを弾いて度胸を養える機会があったことから、多少、心に余裕が出来たのだろう。ともかく、例年よりは平常心で会場に向かうことができた。


ところが、世の中そんなに甘くないことを思い知らされる。この一年間、殆どバイオリンの腕を上げなかった私に比べ、驚くほどの上達を見せる10代、20代の若者が次々ステージに出てくるではないか。最初は余裕の笑顔を見せていた私も次第に表情が強張ってくるのが分かったし、遂には、隣でやはり若者たちの上達に驚いていた三女と目が合い、「今日は帰ろうか」と言ってしまった。それくらい若者たちの成長が目覚ましかった。


最後は「まぁ、ここまで来たんだから取りあえず弾くだけ弾いておいでよ」と三女に諭され、ステージに向かったが、ありがたいことに、先生ご夫妻、先生のお兄さんご夫妻、そしてクロサワバイオリンのK園さんという強力な助っ人がバイオリン、ビオラ、チェロ、ピアノで私を支えてくださり、多少のミスはあったけれども、気持ち良く最後まで演奏させて頂いた。感謝。