大学の同級生が「今年定年を迎えるから、仕事は止めて故郷に帰ろうかと思う」と言ってきた。思わず「定年?来年と違うの?」と口走ってしまったのだが、一年浪人した同級生は私より一年早く定年を迎えるのだ。

昨日は同い年のお取引先の方から「役職定年を迎えた」という話も聞いた。役職定年というのは、管理職を離れ、専門職などに異動する制度で、組織からすると新陳代謝を図り、同時に人件費を抑えるという目的があるそうだ。

私も来年定年を迎える。その実感が湧いてこないのは私が鈍感で厚かましいからだろうが、もう一つ、大学の同級生にしても同い年の取引先の方にしても仕事人として衰えを全く感じさせないからだろう。

しかし、勤務先に定年はあっても、人生に定年はない。そう考えると、どれだけのガソリンが残っているかは分からないが、勤務先で定年を迎えた後はどこに向かって走っても良いということだ。あそこに行きたい、いやいやこっちも良さそうだ・・・そう迷える定年を迎えたいと思う。

タンポポ
どこに向かうかは風任せ、もありか ('-^*)/
この季節になると、二子玉川駅にツバメが帰ってくる。今年は三羽の雛が生まれたようだ。

ツバメの巣

ツバメは人が住んでいるところに巣を作る。天敵のカラスから身を守るためには、人のいる場所が好都合だと気付いたらしい。ただ、時にスズメに巣を奪われることがあるとのこと。そう言えば、我が家にもツバメの巣があったのだが、いつの間にかスズメの巣になっていた。

二子玉川駅の巣はスズメに奪われることもなく、毎年、ツバメが一夏を過ごしては、いつの間にか居なくなる。巣立ちとは良く言ったもので、巣を飛び立てれば一人前で、あとは自分の責任で生きていくのが定めなのだろう。

ツバメを見ると、オスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」を思い出す。南国を目指していたツバメがある町の王子像で一休みする。そして、世の不幸な人々を見て涙を流す王子像に気付き、王子像に散りばめられた宝石や金箔を王子が命ずるまま不幸な人々に届け始める。やがて、王子像はみすぼらしい姿となり、南国に渡りそこねたツバメも次第に弱っていく。

そういう悲しい話だが、なぜツバメなのかが分からなかった。渡り鳥なら他にもいるはずだ。そんな疑問を持っていたら、ある人が「ツバメは単独で海を渡るんだよね」と教えてくれた。群れになって飛ぶと目立つし、天敵に狙われやすい。ならば単独で行けというツバメの知恵とのこと。そういう独立精神の旺盛なツバメだから、幸福な王子と行動を共にしようと決意することもできたのだろう。

言ってみれば、ツバメは孤高の渡り鳥だ。
ちょっとツバメを見直したぞ(^O^)/
そんな言葉があるのかどうか知らないが、日本維新の会の分党騒ぎを見ていると、何か新しい問題が起こったのではなく、これまで隠されていた問題が露呈してしまったのだと思えてくる。言ってみれば、満ち潮で全く見えなかった大小の岩が、引き潮になった途端、はっきり見えてしまったという感じだろうか。

きれいに別れようという選択肢が政治的にどうなのかは分からないが、橋下さんも石原さんも表立っては相手のことを批判したり中傷したりしなかったのは良かったと思う。お互いに言い分はあったろうが、それを口にすることは醜いばかりで、何の利点もなかったように思う。

友人関係も取引関係も始まるときは希望に満ち、お互いに相手を尊重し、補い合い、素晴らしい未来を共有したいと願う。就職や結婚も同じだろう。言わば、満ち潮での船出だろうか。それが、状況の変化や意見の食い違いで引き潮になるとゴツゴツした岩場が出現してしまう。

そこでどうするかがオトナとコドモの分かれ道になり、オトナたるもの、露出してしまった岩に腰掛け、ゆったりと微笑み、自分の失敗を静かに振り返って次の満ち潮を待つ。決して泣き叫んだり、言わんや周りの責任にしてはいけないということかと思う。

美輪明宏さんの言葉、「悩んで落ち込んだとき、必要なのは理性。いらないのは感情。原因をクールに分析して、解決方法を見つける習慣を」。これまで感情に任せて大騒ぎしてきた私だが、次に引き潮に遭遇したときは、あり余る感情を封印し、なけなしの理性を総動員して事に当たりたいと思う(^O^)/