仕事で知り合い、たまたま同い年だと分かって仲良くなった友人から手紙が来た。今どきなんで手紙やねん、と思ったが、内容を読んで彼の意図が分かった。メールなら直ぐにでも返事しなくては、という気持ちになるが、手紙なら少し返事をするまで間があっても許される。友人は、ゆっくり考えてから返事をくれ、と私に望んだのだろう。



手紙の内容は「勤務先から契約の更新はないと言われた」というもので、定年退職後も契約に基づいて働いていた契約先から肩叩きにあったということらしい。

これがメールの連絡だったら、「あのね、僕たち来年70才になるし、同級生の殆どは仕事を止めている。これまで働かせてもらっただけでもラッキーやん」と返信したところだが、友人からすれば、「君だけはそういう返事を寄越すなよ!」という思いを込めて来たのだろう。期待に応え、少し考えてから返事しようと思う。

娘の旦那さんから薦められた「ニュータイプの時代」(山口  周 著)を読んだ。



「はじめに」の冒頭に「20世紀の後半から21世紀の初頭にかけて高く評価されてきた、従順で、論理的で、勤勉で、責任感の強い、いわゆる『優秀な人材』は、今後『オールドタイプ』として急速に価値を失っていくことになるでしょう。」と書かれている。一応、そのタイプの人間だと自負してきた私としては、「なんちゅうことを言うんや!」と腹立たしく思ったが、読み進むにつれ、「う~ん、おっしゃる通りかも」という気持ちになった。



「顧客に提供する価値の市場」という図が出てくる。「役に立つ・立たない」は「機能的便益」を示し、一方の「意味がある・ない」は「情緒的便益」あるいは「自己実現的便益」を示すとおっしゃっているが、その例として挙げられたコンビニの話が大変分かり易かった。すなわち、コンビニに置かれているハサミやホッチキスは「機能的便益」を提供する商品だからほとんど一種類しか置かれていない。しかし、そんなコンビニが200種類以上も取り揃えている商品がある。それは何か? 煙草だ。この例は良く分かる。元スモーカーの私にも「これしか吸わない」という好きな銘柄があったからだ。

 


更に例として挙げられた「自動車業界が提供する価値の市場」には「う~ん」と唸ってしまった。すなわち、トヨタや日産の車、ベンツやBMWは役に立つ安全で快適な移動手段だが、トヨタ・日産とベンツ・BMWの価格差は、オーナーにとっての意味がどれくらいあるかということになる。そして、フェラーリやランボルギーニという2人しか乗れず、荷物も積めず、車高が低くて悪路も苦手の役に立たない車に何千万、何億というお金を払う人がいるのは、「役に立つ」ことより「意味がある」ことに経済的価値が認められているからだと解説されている。

 

「タダ(無料)でも要らない」という言葉は以前からあったが、多くの市場で供給が需要を満たし、消費者が好きな場所で、好きなタイミングで、好きなものだけを買える時代になったということか。そういう時代につき、過去の成功体験や机上の論理が必ずしも通用するとは限らないのだから、先ずは試してみようという遊び心や軽さこそ「ニュータイプの時代」には求められるということなんだろう。さて、私はニュータイプの時代に適応できるかどうか・・・。

同級生から「昭和で数えると今日は昭和99年9月9日やで」というメールが来た。ホンマかいな、と一瞬疑ったが、我々は昭和30年生まれで今年69才になるから、確かに昭和99年になる。


(同級生と。前列右端が私。高校3年生)

「俺が最年長やから俺が払う」と言うと「おっ、昭和の男!」と笑われ、「マイカーやないと運転し辛い」と言うと「もう今は平成も終わって令和ですよ」と言われ、「看護婦さん」や「女優」と言おうものなら「それ、昭和の死語です」と叱られる。

我々は奇跡と言われた戦後の経済復興と共に成長し、バブル・エコノミーもその崩壊も体験させてもらった。「Japan as No.1」という本が話題になり、日本人ビジネスマンがエコノミック・アニマルと揶揄された時代も知っている。それがどうしたと言われそうだが、私たちも変化の時代を生きてきたのだから、変化して良いこと、変化しなくて良いことを静かに話せる昭和の男を目指そうと思う。