どうしても捨てられないもの・・・それはラグビーのジャージとラグビー仲間が寄せ書きしてくれたボールだ。特に、中学、高校、大学、社会人で実際に着用して戦ったジャージは「試しにゴミ箱に入れてみるか」と考えただけでも手が震えてくる。実際、ちょっとだけ手に持ってみたのだが、次の瞬間にはヒシと抱き締めていた(笑) これは絶対に捨てられない。

ラグビー

という訳で、「RUGBY」と書いた衣装箱を作り、その中にジャージとボール、その他ラグビーに因む思い出の品々を全て入れた。ずっと先のことであって欲しいが、いずれ私をお棺に入れるときが来る。その際には、これら全てを一緒に入れて欲しいと思う。

ラグビー箱

妻 「こんなに入るかしらね?」
ボル 「花は要らん。そのスペースに入れてくれ」
妻 「分かった。この『RUGBY』だけでいいのね?」
ボル 「うん、あと、仙太郎の最中を頼む。2個」(笑)

過去を捨てるとまで言いながら、捨てられないものがあることをどう釈明するかだが、ラグビーのジャージに関して言えば、表現は悪いが、身体に彫り付けた「イレズミ」みたいなものなんだろう。他のジャージを着たいとは思わないし、これらを着るにはそれ相当の痛みと我慢があったように思うから。
この塗り絵の効果があったのか、長女はきちんと歯を磨くようになったから、私も親としての責任を立派に果たしたということだろう。そう考えると、写真も手紙も思い出の品々も今日に至る通過点の記録で、マラソンに例えれば、ゴールを目指して今も走り続けているランナーの5kmや10kmの通過タイムみたいなものだと思えてきた。

だったら捨てちゃっても良いか・・大事なのは力強く走り続けることだろう・・多少乱暴だが、試しにスクラップブックを一冊バラバラにして引きちぎり、ゴミ袋の中に入れてみた。意外や意外、これが妙に爽快で、結局、20冊ほどあったスクラップブックを3時間掛けて全て引きちぎり、ゴミ袋に入れた。

過去を捨てる、は大袈裟だとしても、過去の記録がどんどん無くなっていくと、面白いもので 「未来しかない!」という気持ちになってくる。これもマラソンに例えると、選手たちが通り過ぎた後の沿道からフェンスやノボリが撤去され、選手としては前を向いて走るしかないという感じだろうか。

その勢いを借りて、今度は子供の頃の写真が貼られたアルバムの整理を始めた。亡き母が作ってくれたアルバムで、破り捨てるには少し抵抗があったが、母が元気なら「後ろなんか見んでええ。前向いて歩き!」と言うだろう。そこで、この一枚だけスマホで撮影し、全ての写真を捨てた。

ケン幼少

かように、どんどん順調に進んだ整理だが、どうしても捨てられないものが出てきた。

(続く)
丸紅時代の先輩が食事に誘って下さった。

先輩 「今日は何かスッキリしてるね」
ボル 「おっ、分かりますか?」
先輩 「うん、何かあったの?」
ボル 「はい、過去を捨ててきました」
先輩 「うん? えっ? なに~!?」

かつて長女が使っていた部屋が物置きになってしまっている。壁一面に本棚を置いたことが良かったのか悪かったのか、読み終えた本に加え、子どもの頃からの写真アルバムに卒業アルバム、家族や親しい人から頂いた手紙やカードのスクラップブック、商社マン時代に郵便物の封筒から切り集めた海外の切手等々、さまざまなものがギッシリ詰まっている。それらを整理することにしたのだ。

ところが、始めてみて分かったことは取捨選択の難しさだ。これが実に悩ましい。写真には思い出があるし、手紙やカードには送ってくれた人の思いを感じる。どれもこれもが大事なもので優劣を付けられる訳がない。作業を始めて直ぐに行き詰まり、10分ほど腕を組んで考え込んでしまった。しかし、答えが出る筈もなく、何となく目の前にあったスクラップブックを開いたら、懐かしい絵が出てきた。

はみがき

幼かった長女に歯磨きの習慣を付けさせるために作ったものだ。歯を磨けば塗り絵ができる・・そういう工夫をしたのだ。

(続く)