第九の演奏を聴いた澤柳記念講堂は、成城学園を創立された澤柳政太郎氏のお名前から命名されたものだが、今年はちょうど澤柳政太郎氏の生誕150周年に当たるとのこと。では、澤柳政太郎氏とはどのような方だったのかと資料を読み始めたら、成城学園が成城小学校から始まっていることが分かった。澤柳政太郎氏は先ず小学校を作られたのだ。それを知って俄然興味が湧いた。

澤柳政太郎氏
(澤柳政太郎氏。成城学園のHPから)

澤柳政太郎氏は「文部官僚として義務教育制度の確立に貢献し、東北帝国大学や京都帝国大学の総長を歴任した」とある。そういう方が私立の小学校を創立されたとは一体どういうことなのか。大正6年にしたためられた「私立成城小学校創設趣意」にはこう書かれている。

「此の国の此の地方の此の家の此の子という目前の生きた児童を対象として其の個人の性情能力に適合した教育をせねばなりません。」

又、昭和2年、トロントで開催された国際教育会議では次のように述べておられる。

「子供達に他国に関する公平なる智識を与へ、彼等が自国の特質を認め尊敬するやうに他国の其をも認め尊敬するように教へ込むのが必要である。」

100年前、90年前の言葉だが、全く古さを感じさせないのは、今も同じことが教育の現場で求められているからだろう。実際、成城小学校では少人数制の教育が試されたり、劇や音楽などの芸術教育が積極的に取り入れられたり、一人ひとりの個性や能力を引き出すための教育が施されてきたとのこと。私立だから出来たことだろう。

海外にもいち早く目を向けておられたという澤柳政太郎氏のことだから、将来日本で必要となるのは豊かな個性と磨かれた感性を持ち、外国人に対しても卑下せず威嚇せず堂々と接することのできる人材で、そういう人材を育てるには大学では既に遅く、又、国公立では限界があると思われたのかも知れない。
ベートーベンの交響曲第9番「合唱付き」の演奏を聴いた。成城学園の「澤柳記念講堂落成記念コンサート」で東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団と成城合唱団により演奏されたもので、総勢200名の出演者が奏でる第4楽章は特に迫力があって素晴らしかった。

第9

「第九で歌ってみたい」などと偉そうに言っているくせに、正直言うと、第1楽章から第4楽章まできちんと聴いたのはこれが初めてで、「第1楽章、聴いたことがあるぞ」、「おう、これが第2楽章か」、「うむ、第3楽章でこうなるのね」という新鮮な発見を経て、クライマックスの第4楽章を迎えた。

指揮者の松岡 究さんが演奏前の解説で、「第4楽章に至る前にも喜びを表現する旋律が出てきます。しかし、それらはホンモノの喜びではなく、不安や心配が入り混じります。ホンモノは第4楽章に出て来るのです。だから歓喜の歌なんです」みたいなことをおっしゃっていたように思うが、実際、歓喜の歌には迷いのない喜びがあり、それがストレートに伝わってきた。言葉は分からずとも、音楽には感情を伝える力があるのだろう。

このような機会を与えて下さったMさん、有難うございました!
スクラップブックを整理しているとき、亡き父が送ってきた業界新聞の切り抜きが出てきた。父は機会工具業界で長く仕事をしていたが、60歳の還暦を迎えたときに業界紙のインタビューを受けたらしい。今から30年前のことだ。私は今年還暦を迎えるが、父は私と同じ年齢のときに何を考えていたのだろう。

父の記事

父らしいと思ったのは「今の若い人をどう思うか」という質問にこう答えていることだ。「船舶特攻隊員として水面を走り、戦中戦後、芋をかじってラグビーに情熱を注いだ時代が私の青春だとすれば、平和に飼育された現代の若者は感動のドラマに乏しい。しかし、情報知識の収集には優れた才能を発揮し、柔軟性に富んでいる。」

「平和に飼育された」とは厳しい表現だが、「平和呆けしてはならない」が口癖だった父からすると私たちの世代は能天気に見えたのだろう。しかし、優れた面を褒めているところは、「人の悪いが面ではなく、良いところを見なければいけないよ」と私に繰り返して諭した父らしい。父を慕う人は多かったが、父のそばにいると居心地が良かったのかな思う。

最も印象に残ったのは、今後の抱負を聞かれ「人生は常に挑戦である」と答えていることと、もう一つ、普段心掛けていることを尋ねられ「勇気を失ったものは全てを失う」と言い切っていることだ。30年前に読んだときには印象に残らなかったが言葉だが、今読み返すと、父がどのように生きたいと思っていたのかが良く分かる。

この記事が出てきたのは、還暦を迎える私に何か伝えたいという父のメッセージなのかなと思う。