私の記事に「いいね!」をくださる親切な方はほぼ決まっているが、先日、恐らくは初めて「いいね!」をくださった方がいた。珍しいこともあるものだと、その方のブログを訪ねたら、「稼げる人の常識、稼げない人の常識」という本を出しておられることが分かったので、早速、購入して読ませて頂いた。



国内でホテル12軒、雑貨制作販売の会社など8社を経営し、バリ島では不動産事業、ヴィラ開発を行い、更には不動産や株式、太陽光発電にも投資している・・との紹介に、成功を絵に描いたような方かと思っていたら、一度は共同経営者に裏切られて会社を追われ、一度はご友人の保証人になったばかりに数億円の借金まで背負い・・という大変なご苦労を2度までされていたことが分かった。

 

そんな方が「稼げる人」と「稼げない人」の分かれ道を45の状況ごとに説明されていたので、スーッと無理なく頭に入って来る言葉がいくつもあった。「運は"運が良さそうなやつ"にしか寄ってこない」、「世の中で形のあるもので一番大事なものはお金」、「稼ぐ人は交遊関係が狭くとも、人間関係の貯金になるようなものを持っている」、「上手くいかない時に相手のせいにしていては成功しない」、等々。


しかし、最も印象に残ったのは「今置かれている状況を"ゼロ"として考えることにしている」という著者の姿勢だ。私はもうすぐ長く勤務した会社を離れるが、一年間は同じ仕事をしてはいけないことになっている。未だ働きたいと思っている私ではあるが、これまで培ってきた知識やノウハウ、人脈は使えないということだ。その状況を「ゼロ」として受け入れ、リセットできるかどうか。それを考えさせられた。

一年ぶりに朝のジョギングを再開した。春はいろんな花が咲いて気がまぎれるし、息が続かなくなったときには「花を愛でるため」という理由で堂々と立ち止まれるから、私には好都合だ(笑)

 

今朝もそんな理由で立ち止まったら、ツツジがきれいに咲いているのを見付けた。あれっ、と思ったのは、異なる色の花びらが混じり合うツツジがあったからだ。

 

 
回りは白のツツジばかりなのに、白とピンクが半分ずつというツツジ。人に例えるならハーフか。
 
 
ちょうど四分の一だけがピンクというツツジもあった。人に例えるならクォーターか。どちらも「マイノリティ」だか、マジョリティの白のツツジと水や養分を仲良く分け、共に美しく咲いている。
 
花々も「きれいだよ」と声を掛けられると喜ぶと聞いたことがあるので、ツツジには「きれいだよ」と話し掛けると共に、ついついマイノリティを差別したり仲間外れにしてしまう人間のことを思い、「君たちは偉い!」と声を掛けた。

朴 令鈴さんからご案内いただいたコンサート、「ブラームス最終章 作品 119, 120, 121」を聴きに行った。



ブラームスは57歳のとき作品111の弦楽五重奏曲を完成させ、作曲への意欲を失い、終活に取り掛かっていたとのこと。ところが、クラリネットの名手ミュールフェルトと出会ったことから創作意欲に火が付き、再び作曲に取り組んだらしい。

そうして残された最後のピアノ曲「4つのピアノ小品 作品119」を朴 令鈴さんが、最後の器楽ソナタ「クラリネット・ソナタ 変ホ長調 作品120-2」を吉川裕之さんが演奏され、そして最後の歌曲「4つの厳粛な歌 作品121」を藪内俊弥さんが歌い上げられた。

演奏と演奏の合間には、塚田佳男さんがブラームスとクララ・シューマン(作曲家ロベルト・シューマンの妻)の間で交わされた手紙のいくつかを朗読され、クララを慕うブラームスの熱い思い、それを嬉しく思いながらもどこか距離を保とうとするクララの心情がひしひしと伝わってくるようで、隣で聴いていた同級生のA山さんに「オトナは辛いね」と囁き、2人で深く頷き合った。

ブラームスは63歳で亡くなっているが、これらの作品はいずれも60歳を迎えてから作曲したもので、穏やかな心情の中にも苦しみや苛立ちがあり、年齢を重ねながらも失わなかった情熱があり、そして最後の歌曲「4つの厳粛な歌」には、クララを喪い、孤独の中にも粛々と最後の時を迎えようとしていたブラームスの決意が込められていたように感じた。感動した。