年賀状に「新しい挑戦を続ける」と書いたので、「今年は何に挑戦するの?」と聞いてくださった方がいる。私の挑戦と挫折の歴史(お料理教室、ゴルフ、ヨガ、乗馬クラブ、スカイダイビングなど)を良くご存知の方だ。



実は、昨年末から新しい挑戦を始めてはいるのだが、未だ継続の自信がないので、「未だ思案中です」と答え、話を逸らそうと「挑戦の挑という字はどこから来たか」という話題に変えた。前から気になっていて、自分なりに仮説を立てていたので、その考えを伝えてみた。

すなわち、「挑」という字は「桃」と似ているから、兆は木になる桃の実のことで、その実を手で取ろうとすることから「挑む」という漢字が生まれた。又、桃の実を取るところを持ち主に見付かってしまい、一目散に桃の実を抱えて逃げた輩がいたことから、「逃げる」という漢字が生まれた。

この「ボル7説」は大ウケしたものの、念のため、インターネットで調べてみたら、「兆」は占いのために火で焼いた亀の甲羅に現れた割れ目から生まれた象形文字だとAIが教えてくれた。なるほど、吉凶を占ったことから「兆し」という意味になったのだろう。

亀の甲羅が占いに使われていたとは知らなかったが、あちらこちらから対立やら分断が聞こえてくる現状を思うと、多少の割れ目は良いとしても、バラバラにはなって欲しくないと思う。

今朝、美しい虹を見た。



しばらく眺めたあと、なぜ「虹」という漢字は虫偏なんだろうと疑問に思った。そこで、インターネットで調べたら即座に「AI」が答えてくれた。

(以下、引用する)
「虹」という漢字に虫偏が使われているのは、古代中国で虹を竜になる大蛇が空を貫くことでできたものと信じられていたことに由来しています。「虫」は蛇を表す意味があり、「工」は貫くことを意味するため、この2文字を組み合わせることで「虹」という漢字ができました。古代中国では、虫は昆虫だけでなく、蛤や蝙蝠なども含めて虫の一種と考えられていました。
(引用終わり)

早いだけではなく見事な説明で、これでは「物知りおじさん」も「広辞苑」も敵わないのではと思った。AIに奪われる仕事がこれからどんどん増えると聞いているが、それを少しは実感できたように思う。

さて、AI に仕事を奪われないために我々に出来ることは何か? AI に詳しくないから自信たっぷりには言えないが、決断することかなと思う。AI は説明も提案もしてくれるが、決めるのは私、という勇気を持つことが我々には大事かなと思う。

その先人たちの哲学については、しんめいPさんによる「超訳の超訳」が各々の似顔絵の横に書かれている。



ブッダ「自分なんかない」

龍樹「全部、空」

老子「ありのままが最強」

荘子「この世は夢」

達磨「言葉はいらねえ」

親鸞「他力本願でOK」

空海「欲あってよし」


本を一通り読み終わると、この超訳の超訳も大変良くできていることが分かる(笑)


私が特に共感できたのは、龍樹が説いたとされる「空」についての説明だ。例えば、アメリカと日本は太平洋という海で隔てられてはいるが、そんな境界線は「幻」に過ぎず、海水がなくなれば陸でつながっているのが見える筈だ。そう考えれば、富士山はニューヨークにもパリにもか南極にもつながっているし、五大陸もすべての国もつながっているのが分かると説く。


だから、境界線のような幻が消えた「空」はどのような境地かというと、「虚無」ではなく「縁起」、すなわち「全部がつながっている」状態こそ「空」だとおっしゃるのだ。


人と自然もしっかりつながっている。例えば、「水」は雲として存在しているが、「雨」になって地上に降り注ぐと「山」に染み込んでその一部になり、やがて「川」と水道管を通ってあなたの家にやってくる。それを飲めば、水は「あなた自身」になる。だから、雲も雨も山も川もあなた自身とつながっているという訳だ。これを読んだときには、自然を汚してはいけないし、人間同士が戦うのは愚の骨頂だと自然に無理なく思うことができた。


地球の環境を守り、世界に平和をもたらせるのは仏教かなと思わせる程の説得力があった。