昨日は「こどもの日」、国民の祝日に関する法律によると、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としているとのこと。4人の孫たちがやってきて、賑やかな一日になった。



お赤飯には「赤い色には邪気を払う力がある」とされることから、祝いの席に出されるようになったとか。孫たちにはこのまま素直に育って欲しいと願う。


生ハム、茹で玉子と野菜のサラダ。私は尿酸値が高いので、生ハムは眺めるだけ(涙)


孫たちからリクエストのあった海老フライとサーモンフライ。リクエストしただけあり、瞬く間に完食。


新じゃが、新たま、明太子のサラダ。こちらはオトナのための一品だったが、初孫のRちゃんは「これ、おいしい!」とお代わり!


締めはシーフードとパプリカのパエリア。異なる色のさまざまな食材が一つになって出てくるのを見ると、人も争ったりせず、調和の取れた平和な世界であって欲しいと思う。


サプライズは「母の日」のお祝いに娘たちが持参してきた妻への花束と・・・


孫たちが「おばあちゃま、お料理ありがとう」と持参してきた絵と手紙。こどもたちの成長を喜べるオトナの日になった。感謝。

バイオリンを習い始め、13年目を迎えた。お月謝袋の右下にある「No.13」は「13年目」を表しているそうだから、丸12年、習い続けてきたことになる。



12年もあると、生まれたばかりの赤ん坊は立って歩けるようになるし、文字や言葉を覚えて本を読んだり感想文を書いたりもできるようになる。子供は12年の間にものすごい進化(成長)を遂げるわけだ。

それと比較すると、私の57才から69才までの12年間は、出来たことが出来なくなるか、又は、出来るにしても時間が掛かるようになるという退化(老化)が多かったように思う。

そんな中、バイオリンだけは、12年前の習い始めより今の方が上手くなっているだろうから、これは老化に対する意義のある抵抗だったと言えるだろう。今以上に上手くなるのは難しいとしても、もう少し続けようと思う。

丸紅勤務時代に大変お世話になったお取引先のインド人が亡くなられた。当時の私は商社マンとしては駆け出しで、知識も経験もない上に英語もろくに話せない若造だったが、出張でお邪魔すると朝から晩まで私に付き添い、いろんなことを教えてくださった。



いつしか「インドの父」と呼ぶようになったが、今も印象に残っている言葉がある。「カースト制度」について質問したときの答えだ。「あれは職業制度でもある。両親の仕事を子供が引き継ぐことで、プロフェッショナリズムが脈々と継承される一面もある。生まれながらにして職業や人生が決まるのは不公平だと思うだろうが、それを受け容れることで、平穏な人生を過ごせる人もいる。実際、思うような職業に就けなくて落胆、憤慨し、自殺するのは大学を出た青年だ」。



又、大通りに座り込んでいる貧しい人たちを指して、「君は彼らを気の毒に思うかも知れないが、彼らは仮に政変があっても生きていけるが、私は全てを失う可能性がある。だから毎日、何ができるかを考え、働いているんだ」。


インドと日本ではあまりにも環境が異なるし、当時はストンと落ちるほどの理解ができなかったが、その後、私にも守るべきものが少しはできて、インドの父が悩んでいたことが少しは分かるようになった。今頃、天国で「遅い!」と笑っているかな。

合掌。