朴 令鈴さんからご案内いただいたコンサート、「ブラームス最終章 作品 119, 120, 121」を聴きに行った。



ブラームスは57歳のとき作品111の弦楽五重奏曲を完成させ、作曲への意欲を失い、終活に取り掛かっていたとのこと。ところが、クラリネットの名手ミュールフェルトと出会ったことから創作意欲に火が付き、再び作曲に取り組んだらしい。

そうして残された最後のピアノ曲「4つのピアノ小品 作品119」を朴 令鈴さんが、最後の器楽ソナタ「クラリネット・ソナタ 変ホ長調 作品120-2」を吉川裕之さんが演奏され、そして最後の歌曲「4つの厳粛な歌 作品121」を藪内俊弥さんが歌い上げられた。

演奏と演奏の合間には、塚田佳男さんがブラームスとクララ・シューマン(作曲家ロベルト・シューマンの妻)の間で交わされた手紙のいくつかを朗読され、クララを慕うブラームスの熱い思い、それを嬉しく思いながらもどこか距離を保とうとするクララの心情がひしひしと伝わってくるようで、隣で聴いていた同級生のA山さんに「オトナは辛いね」と囁き、2人で深く頷き合った。

ブラームスは63歳で亡くなっているが、これらの作品はいずれも60歳を迎えてから作曲したもので、穏やかな心情の中にも苦しみや苛立ちがあり、年齢を重ねながらも失わなかった情熱があり、そして最後の歌曲「4つの厳粛な歌」には、クララを喪い、孤独の中にも粛々と最後の時を迎えようとしていたブラームスの決意が込められていたように感じた。感動した。

AIの解説によると「いただきます」は・・・


「食事を始める際の挨拶で、食事に関わる全ての人々や食材への感謝の気持ちを込めた言葉です。具体的には、食材を作ってくれた人、運んでくれた人、料理を作ってくれた人、そして食材となった命への感謝を表しています」とのこと。



台所に何が置いてあるんだろうと思ったら、左がニンジンのヘタを水に浸していたもの、右は小松菜の根っこを同じく水に浸していたもの。ニンジンのヘタからは葉っぱがにょきにょき伸び始め、小松菜から出てきた葉は根っこを覆い隠すほど大きくなった。


ものを言わない野菜も生きているんだよ、と見せつけられた気分。食事する前には、それが魚でも肉でも野菜でも、心から感謝して「いただきます」を言おうと思う。

娘が海外出張するとのことで、5日間ほど孫を預かった。小学校4年生の女児と保育園年長組の男児の2人だが、年長組の男児はたまたま私と同じ誕生日で、ちょうど64才の年齢差がある。



保育園への送り迎え、入浴、朝ごはんと晩ごはん、就寝前の本読み、と同じ時間を過ごしたが、とにかく「どうして?」「どうやって?」「いつ?」という質問を多く受けた。答えに困ったのは、大学生がラグビーの練習をしているのを見付けたときだ。

「あれ、何をしているの?」
「ラグビーの練習や」
「おじいちゃまもラグビーしてたんだよね?」
「うん」
「どうしてラグビーしたの?」
「うん?」

たまたま、おじいちゃまのパパがラグビーしていたから・・みたいな答えをしてしまい、孫は「ふーん」と首を傾げてしまったが、正しくは「ラグビーに興味があってやってみたくなったんや」と答えるべきだったろう。

私に比べ、髪の毛がフサフサの孫を羨ましく思ったが、64才の年齢差で痛感したのは髪の毛より「好奇心」の差だ。孫にとっては見るもの聞くもの全てが好奇心の対象で、それが募れば「やってみよう」「調べてみよう」「詳しく聞いてみよう」になるのだろう。孫にならい、もう一度、好奇心を取り戻そうと思う。