昨年3月、NYカーネギー・ホールにご一緒したHさんからコンサートのご案内を頂いた。Hさんはドイツの作曲家 Hugo Distler(フーゴ・ディストラー)の名を冠した室内合唱団、フーゴ・ディストラー・ヴォカールアンサンブルに属しておられるが、東京カテドラル聖マリア大聖堂でコンサートを催されるとのこと。チケットを2枚お願いし、同級生のA山さんと伺った。



会場の東京カテドラル聖マリア大聖堂は天井の高い大きな聖堂だが、すべての曲を無伴奏で演奏されると知り、少し驚き心配もしたが、賛助出演された室内合唱団 vox alius と最初に歌われた「甘き死よ、来たれ」(バッハのアリアを基に、ノルウェーの作曲家ニーステッドが編曲したとのこと)が始まると、透明感のある美しいハーモニーが大聖堂いっぱいに響き渡り、思わず隣のA山さんと顔を見合わることとなった。

(東京カテドラルの外観)

その後、室内合唱団 vox alius が演奏されたパレストリーナの「泉を求める鹿のように」は題名通り、静かな森の中にある泉に鹿が佇む平和な光景が目に浮かぶような歌声、メンデルスゾーンの「神よ私を裁いてください」は大聖堂に美しい歌声が厳かに響き渡り、最後は喜びに満ちた歌声で締められ、暖かな思いに包まれた。

(大聖堂の内観)

休憩を挟み、後半は2017年にフーゴ・ディストラー室内合唱団の発足を呼びかけられたという谷 郁さんの指揮で、同合唱団がディストラーの「合唱受難曲 op.7」を演奏された。イエスの登場、ユダの裏切り、最後の晩餐、捕縛、大祭司カイアファの審問、総督ピラトの訊問、判決、そしてイエスはゴタゴタへと向かい、十字架につけられる。そういう受難曲が美しいハーモニーで演奏されたが、歌うというより、その物語を語りたいという強い思い入れを感じ、それがひしひしと伝わってくるようで感動した。Hさん、素敵なコンサートのご案内、ありがとうございました。

出口治明さんが2022年11月に出された本だが、なかなか読み進めなくて本棚に入ったままになっていた。ところが、長期化するウクライナとロシアの戦争、パレスチナとイスラエルの戦争、それから米国トランプ大統領の帝国主義化とも取れる言動が気になり、世界はこれからどうなるのか何かヒントになることはないかと思い、本棚から取り出して読み始めた。

 

帯には「人類5000年史はひとつなぎの物語・・・一気に読むと大きな流れがわかる!」とあるが、前回は第1章、第2章の「紀元前」から読み始めて挫折したので、今回は第11章、第12章の「20世紀」から読み始めることとした。この辺りは日本史や世界史で教わったことが多少記憶に残っているから読みやすい。が、早速、「そうなのか!」という記述が出てきた。

 

 

先ずは1902年の「日英同盟」の説明。

大国ロシアに対する利害の一致から成立した同盟という理解は間違いではなかったが、出口さんの説明にある見出しは「グレートゲーム(大英帝国とロシアの覇権争い)を戦う大英帝国は日本を傭兵に」だ。「傭兵」という言葉に引っかかったが、当時、南アフリカでボーア人と戦っていた大英帝国は50万人という大軍をくぎ付けにされてしまっており、その隙を狙って南下し、インドを脅かしたロシアに戦力を割くことができない。そこで、日清戦争に勝った日本に目を付け、同盟を結んだという説明だった。なるほど、だから「傭兵」か。

 

当時、大英帝国はインド、スーダン、ケニア、南アフリカなどの植民地を有する豊かな国で、正確なGDPは不明ながら、ドイツ、アメリカ、大英帝国、ロシア、フランスが世界をリードする大国だったようだから、日清戦争に勝利したとは言え、日本はまだまだ発展途上の小国だったのだ。しかし、当時の日本人は私と同様に、日英の国力差を冷静に見ることな突き進み、その後に続く日露戦争あたりから不幸な道を歩み始めてしまったのかなと思う。

 

(続く)

後任が決まったので、その紹介と引継ぎを兼ね、お取引先への挨拶回りを始めた。最初に伺ったお取引先で「今年70才になりますので、ついに追い出されることになりました」とご挨拶すると、「いよいよご卒業ですか」と返された。「はい、よくぞ、この歳まで働かせて貰えたものと感謝しています」と答えたが、「卒業」という言葉に違和感が残った。


ハッピー・リタイアメントという言葉がある。AIによると「定年前に老後の資金を確保して退職し、悠々自適の生活を送ること」ということらしい。そう言われると、あくせく働き続けるのはアンハッピーなのかと尋ねたくなるが、私は生来の貧乏性のせいか、もう少し働きたいという気持ちが強い。


AIによると、「卒業」とは所定の学業課程を修了することらしい。なるほど、私が小学校から大学まで無事に卒業できたのは、各々の課程を学び終えたからだろう。しかし、社会に出て働き始め、何か有益なものを提供し、その対価を貰うことで生活を維持してきた「社会人」に卒業があって良いのだろうか。


(ラグビーからも多くを教わった)


私は仕事を通して多くのことを学んできたし、今も学び終えたという実感など全くない。もっと学びたいし、社会がどのように変化していくのかを感じられる場に身を置いておきたいと切に思う。