もう一つ、大変印象的だったのは下のような絵が出てきたことだ。

 

 

「頭」は理性の場。

「心」は感情や欲求の場。

「身体」は心と一心同体でつながる感覚の場。

 

頭はコンピュータ同様に二進法が基本で、計算や情報の蓄積を行い、それを元にした推測、分析、計画、反省を行う。過去の後悔や未来への不安はここで生み出される。又、重要な特性として「コントロール」したがる。「〜すべき」、「〜してはいけない」という言い方はこの頭発信のメッセージらしい。

 

これに対し、心は「〜したい」、「〜したくない」という言い方をする好き嫌いの世界で、頭と違い、「今」や「ここ」が大事。喜怒哀楽は心から生まれるとのこと。身体は心と一心同体なので、心に元気がなければ身体も元気がないという分かり易い世界だ。

 

先生によれば、これが「人間の仕組み」で、動物と大きく異なるのは「頭がある」ことだ。だから人間は善悪や正誤を判断し、人間の文明を作ってきた訳だが、反面、もう済んでしまった過去に捉われたり、未来を不安に思い過ぎて心や身体を病気にしてしまうことがあるということだろう。

 

そういう意味で、絵の中の頭と心の間にある扉は閉めっぱなしにしてはいけないとのこと。閉じれば頭が心や身体を置いたまま行き過ぎてしまうから、頭と心の交流を維持し、バランスを取りなさいということだろう。

 

多分、そのバランスや、頭や心、身体の特性は人によって異なるから、決して「普通=マジョリティ」になろうと頑張る必要はないんですよ・・それが先生からのメッセージかなと思う。

 

 

これも紫陽花だろうか?初めて見た色のように思うが、「普通」でなくていいんだよ!(笑)

 

精神科医、泉谷閑示さんの著書だ。

 

 

泉谷閑示さんに興味を持ったのは、JAF機関誌の人生相談で「いつも彼女がいる男性ばかりを好きになってしまうのですが、そんな私は異常でしょうか?」と質問してきた女性に対し、「そういうこともあるでしょう」と肯定し、更には「愛は道徳を破る」という神話学者ジョーゼフ・キャンベルの言葉まで紹介されていたからだ。これは面白いお医者さんだと思い、早速著書を買わせて頂いた。

 

いくつか印象に残る記述があったが、最初になるほど、と思ったのは「子育てのポイント」だ。泉谷先生は大学で精神医学や心理学を教えておられるが、女子学生から「良い子育てのポイントは何ですか?」と尋ねられたとき、「私はクリスチャンではありませんが、マリア様がイエスを育てたようなつもりで育てること」と答えられたらしい。

 

先生曰く、聖母マリアはイエスを神の授かりものとして育てたのであって、決して自分の子供とは思わなかっただろうとのこと。すなわち、自分の子供を他者として認識し、一体この子はどんな人間なんだろうという自然な関心を持ち、丁寧に観察することが大事だとおっしゃるのだ。「子供に良かれと思って」という親の気持ちは時に親のエゴであるという警告でもありそうだ。

 

子育ての最中はそこまで冷静にはなれないし、心の余裕もないように思うが、この歳になって成長した子供たちを眺めると、確かに子供たちは私たちとは異なる時代を生きて行く別の人格なんだと分かる。泉谷先生がおっしゃる通り、「授かりもの」なんだろう。

 

(続く)

南アルプスの登山道を切り拓き、山小屋を建て、登山者が安全に登山できるよう、生涯を掛けて南アルプス開拓に取り組んだ竹澤長衛さん(1889〜1958)。今年もその遺徳を偲ぶ「長衛祭」が催され、久し振りに参加した。

 

私のリュックには長衛祭の参加札が下げてある。登山の際の御守り代わり。

 

長衛祭は北沢峠にある長衛碑の前で行われ、約100名の参加者が一人ひとり伊那市名産のアルストロメリアの花を捧げた。花言葉は「凛々しさ」、「柔らかな心配り」・・・長衛さんにピッタリだ。

 

 

その後、参加者には成敗汁という、高山植物を食い荒らす鹿や猪の肉を使った汁が振る舞われ、お腹がいっぱいになったところでお開き。翌日の東駒ケ岳への記念登山に備え、早々に就寝した。ところが・・・

 

 

翌日は生憎の強い雨で、午前5時に「中止」が発表された。一緒に参加していた同級生のM柴が「せっかく東京から来たんやから、多少無理してでも登るか? 栗沢山なら行けるかも」と気遣ってくれたのだが、参加賞の手拭いに書かれていた長衛さんの言葉を思い出し、登山を断念した。

 

 

「山は大きいでなぁ、どけえも逃げていかねぇ、天気が悪けりゃ、また来るさ」

 

長衛さん、また来ます (^_^)v