朝晩は涼しくなったし、蝉もいつの間にか静かになった。いよいよ秋が来たのかな、と思っていたら、朝顔がまだ力強く咲いているのを見付けた。

 

 

 

しかし、良く見ると、花も葉っぱも厚みがあって、見慣れた朝顔より丈夫そうだ。そこで、調べてみたら、宿根朝顔という多年草の朝顔なんだと分かった。毎年花を咲かせ、6月から10月頃まで咲いているとのこと。美しい青色からオーシャンブルーという別名もあるようだ。

 

もう一つ、調べる内に「宿根」は仏教の言葉で「 前世から持っているとされる能力や素質」を意味することが分かった。俄然、興味が湧き、私の宿根は何だろうと考えたが、もし、ときどき自分でも嫌になる欠点も宿根なら、それだけは今世の間に治しておかないと、来世の私から叱られそうだ(笑)

幾松でお土産を頂いた。帰宅して開けてみると、五箇条の御誓文が書かれた湯呑みが出てきた。


ブリタニカ国際大百科事典によると、五箇条の御誓文とは慶應4年(1868年)3月14日、天皇が天地の神々に誓うという形式で示された明治新政府の基本方針とのこと。その内容は・・


一、広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ。

一、上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経綸ヲ行フヘシ。

一、官武一途庶民ニ至ル迄、各其志ヲ遂ケ、人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス。

一、旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ。

一、知識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スヘシ。


正確な意味まで分からずとも、新しい時代を迎えた躍動感や意気込みが伝わってくるようだ。


 

驚いたのは、五箇条の御誓文を起草した由利公正は当時39才、修正したという福岡孝弟は33才、そして訂正を加えて完成させた木戸孝允は35才という若さだ。その年代に私は何をしていたのかと思い出すと、自分のことが恥ずかしくなってしまう。


しかし、当時の平均寿命が50才なら、彼らの年令は今で言うと53才から63才位だ。まだ間に合う。衆議院も解散することだし、真面目に日本という国のことを考えて見ようかと思う。


その後、別の部屋に案内され、舞妓さんと芸妓さんの舞を見せて頂いた。

 

 

三味線の音色が柔らかで、お姐さんの声も良く通り、ちょっとタイムスリップしたかのような感覚になった。着物の色や柄も、その後ろにある金屏風も普段目にすることがないものばかりだから、そんな気がしたのかも知れない。桂小五郎や倒幕派の志士たちも、時にはこういう平和な時間を持てたのだろうか。

 

 

学生時代の体力や瞬発力は失ってしまったが、学生時代にこんな場所には来れなかったし、舞妓さんや芸妓さんと一緒に過ごすという贅沢など想像もできなかった。そう考えると、歳を重ねながら得たものあるのだから、我々は皆、良い歳の取り方ができたのかなと思う。ラグビー仲間に感謝。