昨日、10月3日はドイツ統一の記念日だったようだ。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、翌年の1990年10月3日にドイツが統一されたとのこと。偶然だが、ベルリンの壁が崩壊する1ヶ月ほど前に、私はベルリンの壁の前に立ち、記念写真を撮っている。その時はよもや1ヶ月後に壁が取り壊されるとは想像もしなかった。

 

(Wikipediaに出ていた写真)

 

ドイツの話になると、亡くなった父が「日本はドイツのように分断されなくて本当に良かった」と言っていたのを思い出す。日本にも連合国による分割統治の計画があったし、もし実行されていれば、どんな現実になっていたのだろうかと思う。


異なる政治思想や体制の下、東西ドイツがそれぞれ発展し、約40年の時を経て再統一されたことになるが、今も旧東ドイツと旧西ドイツでは失業率や所得面で地域格差が見られると読んだことがある。

 

そういう問題を抱えながらもドイツはEUの中心的役割を果たし、移民を受け容れ、その間も赤字財政に積極果敢に取り組んで成果を上げている。ドイツが大人の国家であるように私が感じるのは、現実を受け容れ、できることを粛々と行い、ドイツはこういう国家だと世界に発信できているからだろう。さて、日本はどのような国家に見られているのだろう。

同志社高校や大学のラグビー部で監督やコーチを務められたI先輩が72才で亡くなられた。ハッキリものを言う人で、私も現役時代に厳しい叱責を受けたことがあるが、実は愛情深い人で面倒見が良かった。お世話になった人は私も含め沢山いる筈だ。

お取引先の社長を務めておられたFさんも76才で亡くなられた。総務畑で活躍された元商社マンで、肚の据わった豪放磊落な方だったが、一緒にいると細やかな心遣いをされる方だと分かった。社長を退かれてからは、還暦少年団なる組織を主宰され、会員の皆さんに生涯現役であれと説いておられた。


I先輩とは10才しか違わないし、Fさんとも14才しか違わないから、こういう引き算をしてしまうと少なからず動揺し、意外に時間がないぞ、さぁ、どう生きたらええねん、などと浮き足だってしまうが、考えてみれば、子供たちが幼い頃はどう生きようかと考えたり迷ったりできる余裕などなかったし、毎日がもっと気忙しくプレッシャーも強かった。それを思い出すと、今の私の責任など知れているし、制約も無いに等しいのだから、これまで通り、いやいや、これまで以上に挑戦的に生きたら良いのかなと思う。

I先輩、Fさん、お二人はその通りとおっしゃいますよね? 私が存じ上げているだけでも、結構、好きに生きられた面もありますもんね(笑) 私も頑張ります。

北大合唱団の東京OB会が25年前に組織されたクラーククラブが10回目のコンサートを催された。

 

 

第1ステージで歌われた「草野心平の詩から」という男声合唱組曲は、草野心平の詩にタダタケなる愛称で呼ばれる多田武彦さんが曲を付けられたものとのこと。初めて聴く曲だったが、生真面目でどこか孤独な男の後ろ姿を思わせる演奏で素晴らしかった。

 

第2ステージはグスタフ・マーラー作詞作曲の「さすらう若人の歌」が演奏されたが、マーラーが自身の失恋から作った歌らしく、メロディーにも歌詞にも(ドイツ語で歌われたが、日本語訳が添えられていた)「男の純情」が感じられ、マーラーの心の痛みが伝わって来るようだった。

 

第3ステージは「J POP」がテーマで、井上陽水の「夢の中へ」や長渕剛の「乾杯」が歌われたが、指揮者の方が「松田聖子さんのヒット曲なので、我々が歌うとどうなることやら」とおっしゃっていた「瑠璃色の地球」が予想以上に良かった。歌詞に出てくる純な女性の思いに男の純情が見事に応えたのかなと思う。それから、加山雄三の「海 その愛」は豊かな海を思わせる歌声でとても良かったように思う。

 

圧巻は第4ステージの「唱歌の四季」で、「朧月夜」は滑らかな転調に余裕と余韻があり、ため息が出そうになった。「茶摘」はきれいに歌い上げられ、日本語はこんなにも美しいものなのかと感じ入ってしまった。「紅葉」に至ってはリズムもテンポも音の強弱も見事に調和していて、その中で唯一、ピアノの伴奏が絶妙のアクセントになっていた。「雪」はリズミカルな各パートの掛け合いが楽しく面白く、知らず知らずの内に一緒に口ずさんでいた。最後の「夕焼小焼」は無伴奏で始まったが、柔らかなユニゾンで歌われたところで痺れてしまった。本当に素敵だった。日本の美しい風景が目に浮かび、日本語の美しい響きに心癒されたように思う。